第15話 媛姫付き老女の哀哭





 最後は毒見役が試食した料理を銘々がお仕えする姫君に配膳した老女たちだった。

 地味な吾亦紅模様の絽をまとい、髪に白い物が目立つ媛姫付き老女は、指先で押されただけで倒れてしまいそうな痩身をようやっとの思いで殿さまの前に運んで来た。


 シワばんだ目を真っ赤に泣き腫らして、見るからに痛々しい。

 ご自身も涙を流しながら、殿さまは労わりの声をかけられる。


「長年、媛姫ひと筋に愛しんでくれたそなたにまで、かような嫌疑をかける仕儀は、まことに忍びないが、これも公正な務めのありようと思ってどうか勘弁してくれい」


 だが、とつぜんの受難に取り乱しきっている老女に肥後守の声は届かないらしい。

「お生まれになってこの方、わが身よりも大切にお守りしてまいりました姫さまが、かくも儚く身罷られましたいま、年老いたわたくしばかりおめおめと生き延びる事態が辛くてなりませぬ。いっそわたくしも一緒に連れて行っていただきとう存じます」


 細い身体を、よじりによじり、ただひたすら身も世もない哀哭にかき暮れている。

 喉の奥から突き上げるものを飲み下すように、殿さまは物寂びた声で告げられる。


「十七年間の長きにわたり、媛姫に寄せつづけてくれたそなたの真心あふれる温情、まことにかたじけなく思うておる。亡き姫になり代わり、あらためて礼を申すぞ」


 今度は耳に届いたとみえ、「殿さま、さようなことを仰せになられましては、媛姫さまがおもどりになれませぬ。異界に踏み入れかけたお御足のきびすを、いつ何どき娑婆へ引き返されるやも知れませぬゆえ、どうぞただいまのお言葉はなかったものになさってくださいませ。後生ですから、どうか、どうか……」老女は切々と訴える。




      *




 渡りかけた三途の川を途中で引き返した蘇生譚のいくつかをうわさに聞いた記憶はあるが、凄絶な断末魔を目の当たりにしたあとだけに知恵には、にわかに信じ難い。

 家臣や奥女中衆もいっせいにざわめいたが、老女は半ば本気で信じているらしい。


「相わかった。取り消そう。なれど、わしの感謝の念は素直に受け取ってくれぬか」

 殿さまが懸命に頼みこむと、哀れ老女は濡れそぼった小さな顔を昂然と上げた。


「もちろんでございますとも。ただいまのもったいなきお言葉は、わが終生の宝玉とさせていただきたく存じまする。嗚呼、それにいたしましても、いきなり媛姫さまを奪われてしまったいま、わたくしは何をよすがに生きてまいればよいのでしょうか」

 老女の目は頼りなく虚空をさまようが、だれにもどうしてやることもできない。


「まことに相済まぬがな、もう一度だけ訊ねさせてくれい。そなたは毒見役から受け取った三方を、そのまま媛姫の席に運んだのじゃな?」あらためて殿さまが問うと、

「さようにございます。厳重に掛けられた蝿帳に虫一匹たりと入りこむ隙はなかったと承知しております。まして、だれかが手を加えるなど、金輪際、考えられませぬ」

 さすがに重責の身、老女はしとどに泣き濡れながらも、肝心要は厳然と抑えた。





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