第5話 身内にさびしい肥後守
あらためて思い返せば、殿さまはお身内にご縁の薄い定めであられたやも知れぬ。
いまだに相思相愛と語り継がれる最初の結婚生活は、わずか四年で終幕となった。
早逝した先妻・阿菊ノ方(享年十八)のあと長男・幸松も亡くなった(享年四)。
さらに、先妻の没後、側室から継室に直られた於万ノ方との間にもうけた次女・中姫(享年六)を筆頭に、三男・将監(一)、三女・菊姫(二)、六女・風姫(二)、七女・亀姫(一)と、ほとんど毎年のように六人のお子を相次いで亡くされていた。
そのうえ、昨年は、肥後守も於万ノ方もご夫婦揃って保科家の将来を託されていた次男・正頼さまを「振袖火事」(明暦の大火)の避難先で亡くされた(享年十九)。
そうした不幸な状況に追い打ちをかけるような、本日の思いがけない事件である。
亡き兄弟妹たちの分まで手塩にかけて来られた長女・媛姫さまの命まで、しかも、父親である自身の目の前でむざむざ奪われた悲痛には拝察に余りあるものがあった。
*
ゆえに末子・正純が怯えて於万ノ方に縋りつくほど肥後守の怒りは苛烈を極めた。
「おのれ! こたびの松姫の婚姻の儀、畏れ多くも上さま御自らのご指名であられるぞ。無上に目出度きハレの席で卑劣な
広大な屋敷中を家鳴りさせんばかりの轟々たる咆哮は、れっきとした二代将軍さまのお子でありながら江戸の町屋の片隅で不本意な生を享けて以来、堪えに堪えて来た不遇な境涯を初めて外に噴出させる、肥後守さまの魂魄の叫びだったのやも知れぬ。
うわさによれば、殿さまのご生母の静さまは、先々代の公方(秀忠)さまの乳母・大姥局さまの侍女をつとめていたときに、儚げな美貌がお目に留まり、極端な悋気で知られる御台所(阿江之方)に内緒で、俗に言う「日陰っ子」を身籠られたという。
そのご生母さまゆずりの端整な面立ちが、こうした場面ではいっそう凄味を増し、日頃の冷静沈着をかなぐり捨てて猛り狂う形相には、まさに鬼気迫るものがあった。
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