やっつめ 夕日の目様

 私はフリーのジャーナリストをやっています。最近賞を貰ったりしたのですが、約一年前まではうだつの上がらない駄目記者をやっていました。そんな私が更生したきっかけのお話です。


 ・・・


 ある日、私は知り合いと飲みに行っていました。その知り合いは週刊誌の編集者で、たまに一緒に仕事をやっていました。そんな彼が私を飲みに誘ってきたのです。

 個室のある居酒屋で、私たちは注文を済ませました。すると、編集者はわたしに耳を貸すように言い、ひそひそと話し始めました。

「最近この辺りで失踪事件が頻発しているのは知っているか?」

 私はそんな情報は知りませんでした。ニュースにもなっていないし、私の知っている情報通からも何も聞いていません。

「なんですか、それ」

「いやな、家の中で突然失踪して、それで帰ってこないんだってさ。それなのに家族の誰も捜索願を出さずに放置するんだって。なんか事件が絡んでそうじゃない?」

「まるでフィクションじゃないですか」

「それが、本当らしいんだよ」

 私は正直なところ、この話を馬鹿にしていました。

 個室の入口の暖簾が上げられて、店員が酒を持ってきます。編集者はなぜか店員に聞かれたくないようで、突然静かになりました。

 店員がいなるなると、酒をぐいっと煽って話し始めます。

「で、調べてみてくれない?」

「え、そんな情報でですか?」

「いいじゃん、どうせ暇だろ?」

「嫌ですよ。暇でも余計なことはしたくないです」

「ケチだな」

 編集者はそう言ったきり、失踪事件の話題を出すことはありませんでした。私たちはそれまでの仕事のことや、愚痴を言い合い飲み潰れていきました。


 ・

 

 目覚めると、自分の部屋にいました。昨日と同じ格好で、息は酒臭く、胃は気持ち悪く、頭は痛みました。どうやら記憶がなくなるくらい飲んでしまったようだと思い、とりあえず水を飲もうと思って台所に行きます。

 そのとき、なんとなく違和感を感じました。部屋がいつもと違っていたのです。いや、正確に言えば、部屋がおかしいのではなく、私自身が部屋の異物になっているような感じがしました。私はここに存在してはいけないと思ったのです。

 私は反射的に玄関へと向かいました。自分の異物感に我慢なりませんでした。二日酔いとは関係なく、吐きそうになっていました。

 玄関扉に手をかけます。しかし、力を入れてもちっとも開く気配がありません。おかしいなと思い、体全体の体重をかけるようにして開けようとします。それなのに扉は軋むだけで、開きそうもありませんでした。

 私はすぐに窓へ向かいました。窓は鍵が閉まっていなかったので、そのままスライドしようとします。しかし、窓も開きそうにありませんでした。

 私はその後も、沢山の扉を開けようとしてみました。しかし、どこも開きません。三時間ほど外に出ようと努力して、しかし外に出ることはできなかったのです。

 私は途方にくれました。自分の異物感に吐き気を覚えながらも、それを解決する方法は見つからなかったからです。

 とりあえず、二日酔いを覚ますためにもシャワーを浴びることにしました。シャワーを浴びながら、自分の置かれている状況を冷静に省みます。

 「昨日記憶を無くすまで飲んで、帰ってきたら家に閉じ込められていた。この家にとって自分は吐き気を催すほど異物であり、早く外に出るべきである。」ここまでが分かっていることです。

 シャワーを浴びて冷静になってみると、とりあえず誰かに電話をかけて冷静になるべきだと思いました。しかしスマホを取り出し、画面を見てみると圏外で、WiFiにも繋がっていません。外界から完全に遮断されていました。私はこのとき、本当にどうしようもなくなってしまったのです。

 私はソファに座り、吐き気に耐えながらあるひとつの希望に縋っていました。それは助けがくることです。今日は午後から打ち合わせの予定です。打ち合わせに私が現れなければ、怪しんで助けに来てくれるかもしれません。とてつもない吐き気で座っていることも苦しい中、私はそう思うしかありませんでした。

 そのとき、突然インターホンが鳴りました。もしかしたら助けが来ているのかもしれません。命からがらといった様子でインターホンの画面を見に行きます。

 しかし私は画面を見てひっ、と小さく悲鳴を上げてしまいました。そこには私が映っていたのです。しかも、仮面のように表情が全くなく、陶磁器のように血の気がありませんでした。あまりにも不気味で、私はインターホンに応答しませんでした。すると、画面の向こうにいる私はまたインターホンを押します。一回……二回……三回……と、何度も押します。それでも無視していると、ピンポンピンポンピンポンピンポンと連打するようになりました。私は音に耐えかねて応答しました。

「……はい」

 すると、画面の向こうの私は口が耳まで裂けるほど笑い、こう言いました。

「そこから出ろ」

 そう言った瞬間、インターホンの画面は真っ暗になりました。不気味で仕方ありませんでしたが、気付くと吐き気がなくなっていました。しかも異物感まで軽減している気がします。

 しかし、さっきの怪しい出来事に加え、「そこから出ろ」と言われてしまっては、逆に出ると危ない気がします。私はどうすることもできず、ただソファに蹲りました。吐き気が無くなっていたので、さっきより随分楽でした。それどころか、自分が随分部屋に馴染んできた気がします。

 

 ・


 窓を見ると、気付かないうちに夕方になっていました。遠くにカラスが飛んでいて、夕日が二つ並んでいました。そう、夕日が並んでいたのです。私は驚愕しました。

 口を開けて夕日を眺めていると、違和感に気付きます。夕日に横線が入っていたのです。そしてその線は微妙に動いていました。

 突然、線が大きく動きます。開いたのです。それは巨大な目でした。夕日は目だったのです。私はそのとき、とてつもない居心地の良さを感じました。それまで異物感を感じていたはずの部屋はこのとき真に私と一体になり、あの目と同調したのです。私と部屋は目の下であるべき姿に戻ったのです。私は目に祈りを捧げました。


 ・

 

 気付くと、朝になっていました。私はきちんとベッドで寝ていました。スマホを見ると、編集者と飲んでいたはずの日です。編集者からは「今日飲みに行かないか」というメッセージが入っていました。私は喜んで飲みに行きました。

 その日の夜、編集者に会うと随分やつれていました。

「随分やつれたな」

「そうか?前からこんなもんだろ」

「そうだったっけ。まあいいや。話したいことがあるんだ」

 私は彼に目について熱弁しました。しかし「何言ってんだ」と言われるだけでした。これだからこいつは駄目なんだ。私みたいに敬虔にならないと。私はある程度酔うと、すぐに家に帰りました。

 次の日、編集者はどうやら行方不明になったようです。私の祈りが通じたようです。

 それからは私は目の言う通りに真面目に仕事をしました。そうすると、私の評価はぐんぐんと上がっていき、ついには賞を貰えるほどになったのです。

 こうして私は立派に目に仕えることができるようになりました。皆さんも目のために働くことは大事ですよたすけて。では、私のお話はここまでです。

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誰かが語る怖い話 北里有李 @Kitasato_Yuri

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