ななつめ 瞳花

 約十年前のことです。

 突然夫の会社から、夫が死んだという電話がかかってきました。トラック運転手だったのですが、交通事故を起こしたそうです。車線から飛び出してきた軽自動車を避けようとして電柱にぶつかり、即死でした。相手は重症ですが無事だったそうです。相手の運転手と会ったとき、どうやら気が動転していたようでよく分からないことを口走っていましたが、その後の問題は周りの人が何とかしてくれたようでした。


 当時の私と夫の間には幼稚園に通う五歳の息子がおり、私は夫が死んだショックから立ち直る暇もないまま、育児と仕事に追われることになりました。相手からの賠償金などでお金には多少余裕がありましたが、悲しみを忘れるためには仕事をするしかなかったのです。


 ・・・


 そんなこんなで私は仕事終わりに幼稚園へ息子を迎えに行きました。息子は幼稚園ではとてもお利口にしているらしく、幼稚園の先生も助かっていると聞いていました。しかし、その日は迎えに行くと泣きじゃくっている息子と困った様子の先生が出迎えてくれました。

「どうしたの?」

「目があるのー!」

 私は意味がよく分からなくて先生を見ますが、先生も何がなんだか良く分かっていないようです。

「すみません。昼頃からずっとこんな感じで……」

 詳しく話を聞くと、昼食をとっていた時に急に外を指さして怖がり、泣き出してしまったのだそうです。私も何がなんだかよく分かりませんでしたが、息子はとりあえず園から出たがったので先生に挨拶をして家に帰ることにしました。

 車に乗って家に帰ります。隣のチャイルドシートでは涙の跡をつけた息子が寝ていました。泣き続けて疲れてしまったのか、すぐに寝始めてしまって何も話を聞くことができませんでした。


 ・


 家に着き、駐車をして寝ている息子を車から降ろします。すると息子が目を覚ましてしまいました。

「あれ起きちゃった?」

 そう聞くのですが、息子の目線は私のほうを見ませんでした。どうしたのかと思い、首を傾げた途端、息子はまた泣き出してしまいました。

「またいるー!」

 そう言われ、私も息子の視線の先を見ますが、何もいませんでした。

「なにもいないよ?」

「いるの!」

 イマジナリーフレンドでも見えてるんだろうかと、そのときは思いました。

「怖いの?」

「怖い!」

「じゃあ早くおうちに入ろうか。おうちは大丈夫だからね」

 そう言うと、息子は納得して家に入ってくれました。しかしその日は庭側の窓には絶対に近付こうとしませんでした。


 ・


 翌日、幼稚園に息子を連れていこうと思うと、やはり庭を異常に怖がります。しかし庭には少しの雑草と、夫が死ぬまでの趣味だったガーデニングの花があるだけでした。

「なにがあるの?」

「目があるー!」

 息子は泣きじゃくりながらそう言いました。私はなんとなくイマジナリーフレンドというやつとは別な気がして、少し怖くなりながら聞きます。

「どんな目なの?」

「お花に目がついてる!」

 そうやって息子は花を指さします。しかしそこにあるのは普通の綺麗な花でした。私はやはりイマジナリーフレンドの類だろうと思って、さっさと幼稚園に行くことにしました。

 幼稚園につくと、息子は家に帰りたがりました。

「いや!おうちがいい!」

 私はだんだんとイライラしてきていました。

「なんで?」

「怖いから!」

「大丈夫だよ。ほら、先生もいるし友達もいるでしょ?」

「やだ!」

 そうやって何度か問答をしていると、私が限界を迎えてしまいました。ただでさえ夫を失った心労から疲れ切っているというのに、わがままを言われてキレてしまったのです。

「いい加減にしなさい!ほら、行って!」

 そう怒鳴ると、周りの視線が刺さるのを感じました。息子はぎゃんぎゃんと泣きます。私は顔が真っ赤になりました。そのあとは私自身が混乱してしまい、どうやって帰ったのかあまり覚えていないのですが、何とか息子を幼稚園に送ることが出来ました。

 そこからは一度家に帰り、仕事に向かいます。私は家に帰るころにはすっかり冷静になっていて、激しい自己嫌悪に陥りました。息子に申し訳ないし、ママ友たちとの付き合いもやりづらくなってしまいました。

 何度もため息をつきながら仕事の準備を終わらせ、庭に出ます。そして車に乗ろうとしていた時でした。視界の端に写るものに何か違和感があります。なんだろう、と思い、そちらに目をやると、私は仰天しました。

 いくつもの目と、目が合ったのです。沢山の花が咲いているはずの花壇の植物の茎の上、本来花が咲いているべきところに目玉が乗っており、しかもそれらは全て私を見つめていたのです。私は腰を抜かし、気絶してしまいました。

 恐らく気絶していたのは三十秒ほどでしょう。ハッと気が付くと私は芝生に倒れ伏しており花壇を見てもそこには植物があるだけでした。

 私はさっきの光景を疲れからくる幻覚だと思いました。すぐに起き上がり、少し汚れた服を叩いてから仕事に出かけます。しかし、いつまでたってもあの光景は瞼の裏から消えてはくれませんでした。


 ・


 仕事が終わり、息子を迎えに行きます。少し心配していましたが、息子は朝のことは忘れてしまったかのように私を出迎えてくれました。しかも随分と上機嫌です。

 私は幼稚園の先生に朝のことを謝罪してから息子を車に乗せます。息子は車に乗ると同時に話をはじめます。

「あのねーお父さんがね、見てるんだよ」

 あまりにも脈絡がなくて少し驚きましたが、私もすぐに応じます。

「そうなの?どこから見てるんだろうね」

「あそこだよ」

 そう言って息子はまた指をさしました。そこには二輪の花が並ぶようにして咲いていました。

「あのね、目はね、お父さんなんだよ」

 私は朝の光景を思い出しました。

「そうなんだね。お父さんが見守ってくれてるんだね」

 そう言って私は泣きそうになりました。私自身にもその目は見えていたのです。夫は私と息子を忘れないでいてくれたのです。

 私は車を運転することができなくなり、車を路肩に停めて泣きました。

「大丈夫?」

「大丈夫だよ。ごめんね」

 息子は私の頭をポンポンと撫でてくれました。

「ありがとうね……」

 そこまで言って私は一つ疑問が産まれました。

「なんで目がお父さんだってわかったの?」

「お父さんが教えてくれたんだよ。『見られてるよ』って」

「目が喋ったの?」

「ううん。お父さんの声が聞えたんだよ」

 息子がそういった瞬間、とてつもない衝撃に襲われました。エアバックが作動し、私はエアバックとシートに挟まれてしまいました。隣を見ると、驚いた表情の息子がいました。私は数秒動くことができませんでしたが、すぐに気付きました。

 追突されたのです。

 私が何とか車を降り、息子を助け出していると、後ろから追突してきた運転手の男が出てきました。

「突然白い球に視界を遮られたんだ……」

 男はそう言って、呆然とするだけでした。

 幸い、息子も私も無事でした。


 しかしそれからは、毎年のように交通事故にあうようになったのです。その間ずっと、私と息子には「目」が見えていました。私たちは薄々、これが何か悪いものだと気付いていました。しかしお祓いに行っても変化はなく、神に祈ってみたりすらしてみましたが効果はありませんでした。

 そして先月ついに、息子は自転車の交通事故で死にました。

 私には、未だに花の目が見えています。

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