第3章〜白草四葉センセイの超恋愛学演習・基礎〜①

 発車を告げるアナウンスがホームに響く。

 耳元からうなじに掛けて、綺麗に揃えてカットされたボーイッシュな髪型の少女は、緊張した面持ちで、こちらを見据えていた。


 「ねぇ、クロ……わたしは、クロのことが好き……クロ……クロは、わたしのことをどう想ってる……?」


 彼女の緊張感が、そっくりそのまま自分にも伝わったように、ピリピリした空気を感じた。


 「いや、急にそんなこと言われても……」


 自身の当惑が、今度は相手にも伝わったのか、彼女は、戸惑ったような、あるいは哀しそうな瞳で、こちらを見つめた。

 機械音のメロディーとともに、転落防止用のホームドアが、オレとシロの間を遮った。


 「シ、シロ……オレは、オマエと、ずっと――――――」



4月9日(土)


 ピンポ〜ン! 

 

と、2LDKの自室のチャイムが鳴る。

 昼食の用意のために少し早く起きたためか、リビングで友人たちを待つ間、ウトウトとまどろんでいたようだ。

 あわててスマホを確認すると、時刻は、午前十時過ぎ。

 LANEでのメッセージ交換を終えたばかりの親友の来訪を予測し、リビングの壁に備え付けられたインターホンの親機の通話ボタンを押すと、カメラ越しに玄関ドアの前に立つ人物が目に入る。


「えっ!? 白草……?」


 自分の予測が外れたことに、思わず声が漏れる。

 そこには、壮馬きせそうまではなく、もう一人の来訪予定者である転入生の姿があった。


「おはよう! 黒田クン」


 予想よりも早い彼女の来訪に困惑しつつ、玄関のドアを開けると 


「えへへ……来ちゃった……」


と、カビが生えたような古典的シチュエーションのセリフを口にしながら、白草は、手土産と思われる有名洋菓子店の紙袋をかざし、可愛らしく小首をかしげた。


 その洋菓子店のフィナンシェは、オレの好物のひとつでもある。


 昨日、壮馬以外の誰にも話したことがなかったはずのオレが片想いをしていたクラスメートの名前を見事に当てて見せたように、この転入生は、なぜ、オレの好みを把握しているのか……。


 そんな疑問をなるべく表情に出さないよう、彼女に語りかける。


「ずいぶんと早い到着だな……」


 部屋に招き入れながら、そう声をかけると、彼女は意味深な笑みを浮かべて、


「フフ……ドキドキした?」


などと、口にする。


「あぁ……壮馬が先に来るとばかり思っていたから、驚いたよ」


 思ったことを正直に伝えると、今度は、やや憤慨気味のようだ。


「そういう意味じゃないんですケド!?」


 ただでさえ、自分は異性の気持ちが変化する理由に敏感な方ではないのに加えて、まして、相手は、前日に知り合ったばかりの転入生だ。

 コロコロと変わる彼女のテンションに面食らいつつ、平静を装って、


「ま、まあ、とりあえず、冷たいモノでも飲んで、ゆっくりしてくれないか? もうすぐ、壮馬も来るはずだから……」


と、冷蔵庫から取り出したペットボトルから、グラスに緑茶を注ぐ。

 しかし、彼女は、そんなこちらの内心を知ってか知らずか、


「へぇ……黄瀬クンは、まだ来てないんだ……じゃあ、黒田クンとは、しばらく二人きりだね……なんだか、ドキドキするな……」


などと、妖艶と言っていいような瞳で見つめてくる。


 ちょっと、待て……!


 なぜ、出会ったばかりであるはずのオレに、そんな視線を向けてくるんだ……?

 不意に、昨日、壮馬が発した


「白草さんって、初対面の人間との距離の取り方がバグってない?」


という言葉を思い出した。

 あらためて、この転入生が転校翌日にも関わらず、我が家に訪ねてきた来た理由を確認するため、なるべく冷静に彼女と目線を合わせながら、慎重に発言する。


「な、なあ、白草……オレの恋愛相談にのってくれる……アドバイスをしてもらえるというのは、とても感謝してるんだが……もう少し距離を考えてくれないか? 白草に、あまり近づかれると……」


「なになに? もしかして、女子に慣れていない黒田クンは、わたしみたいなに近寄られると、緊張するとか?」


 ニヤニヤと笑いながら、さらに、にじり寄ろうとする白草四葉。

 

(自分自身で、超絶美少女とか、ナニを言ってるんだ!?)


と、普段の自分ならツッコミを入れているところだが、残念ながら、冷静さを失っていたオレは、頭も舌も上手く回らない。


「……………………」


 無言のままのオレに、相変わらず熱い瞳を向けてくる、その眼力に負けて、視線を逸らすと、彼女はフッと微笑み、


「まあ、わたしの魅力に動揺するのもわかるけど……こんなに簡単に落ち着きを失ってるようじゃ、レッスンの方も気合いを入れないとね……」


と、なぜか嬉しそうな表情で語る。

 彼女は続けて、


「それじゃ、まず、黒田クンが、相手の女子のどんなところを気に入っているのか、ジックリと聞かせてもらいましょうか?」


などと、勝手に話しを進めようとする。――――――が、今度は一転して感情を失くしたかのような表情になっていて、そのようすは、まるで犯罪者に尋問を行う取調官のようだ。


「ちょ……ちょっと待ってくれ! いきなり、そんなことを言われても、頭の中の整理が追いつかない……」


 オレ自身よりも、十五センチ近く身長の低い彼女が、ジリジリとすり寄ってくる姿に気圧され、後ずさりしながら、そう言うと、自称・恋愛アドバイザーは、さらに圧を掛けてきた。


「ナニを言ってるの? 昨日も話したとおり、まずは相手と自分の気持ちや立ち位置を知ってからでないと、適切なアプローチ方法もアドバイスできないでしょう?」


 彼女の言うことは、正論なのかも知れないが、ただでさえ、予想外に早い来訪にたじろいでしまっている自分には、自らの恋愛話を語るだけの心の準備が出来ていない。

 にも関わらず、彼女は、目だけ笑っていない笑顔で、なお一層のプレッシャーを感じさせる気配のまま、身体を寄せてくる。


「恋愛心理学から恋愛工学、ティーン誌のモテ技にいたるまで、あらゆる恋愛理論を研究してきたわたしに、すべてを任せればイイの!」


 彼女がそう言って、グイと身体を寄せた瞬間、あまりの重圧に、大きく足を後ろに踏み出したのがまずかったのか、フローリングの床に置いていたクッションを踏みつけてしまったオレは、そのまま後方に倒れ込んでしまった。


 ドスン――――――


という大きな音とともに、なんとか受け身を取りながらも、自室の床に打ち付けられたオレが、両肘をさすりながら顔を上げると、腰の上には、白草四葉の姿があった。


 それは、総合格闘技で言うところの完全なるマウントポジションという格好だ。


 これがリング上なら、グローブ付きの拳で頭部をタコ殴りにされるところだろう。


 だが、残念ながらオレは、女子に殴られて喜ぶような性癖を持ち合わせてはいない。

 この体勢から、なんとか抜け出そうと、以前にネットで調べたことのある「相手にマウントを取られた場合」の対処法を必死に思い出しながら身体を動かす。


 しかし、先ほどまでの流れで、テンションの上がりきった新たなクラスメートは、こちらの動作を意に介することなく語り続けている。


「大丈夫! 心配しないで……わたしは、! さぁ、黒田クン、覚悟を決めなさい!」


 上半身と下半身の両方に鈍い痛みを感じながら、恋愛アドバイザーを自称する新しいクラスメートの尋常でない熱の入り具合に、


「壮馬――――――!!はやくきてくれ――――――!!」


と、地球に襲来したサイヤ人の戦闘力に絶望したZ戦士のごとく、オレは界王拳の修行を積むキャラクターの登場を祈るしかなかった。

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