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序章


 わたくしたちを、別つ日が来るだなんて思いもしなかった。


 幼馴染のイヴァンは、とても素敵な男の子。白銀に煌めく髪に、柔らかな緑の瞳の美少年。

 わたくしは天御門家に、イヴァンはお向かいさんのミハイロフ家に、星々が祝福する同じ夜に生まれた。

 古くから親交のある両家は仲が良く、家族のように、双子のように、お互いが唯一無二として慈しまれて育ち、それは今までもこれからも変わらないと思っていた。


 ――けれど、それが変化したのは、十三歳の誕生日を迎えた次の日のこと。


「……え、ヴァーチャが、魔王討伐のメンバーに選ばれた……?」


 目の前が真っ暗になった。


 帰る家が違うだけで、学校生活でも、それ以外でもお互いの場所を行き来していた。唯一で、運命共同体。そんな言葉がぴったりね、と笑いあったばかりだったのに。

 なんで、どうして、と絶望するわたくしを他所に、母も、父も、イヴァンの御両親も喜色満面で、自分だけがポツンと独り取り残されてしまったようだった。


「白雪」


 そ、と手を握られる。

 肩が触れ合うほど近い隣に並んだイヴァンは、柔らかく、美しく、悲哀を瞳に乗せて微笑んでいた。


「俺は、どこにいても白雪と一緒だよ」

「……いやよ。いやだわ。我儘だってわかってる。とても喜ばしいことだって、喜ばなくてはいけないってわかっているの。それでも、ヴァーチャが、イヴァンがわたくしから離れていくンだと思うと、どうしようもなく寂しくて、心細くて、泣きわめきたくなるの」

「ふふっ、俺も同じさ。俺と白雪を引き離すなんて、魔王ってやつはとんだ命知らずらしい」

「なんで、なんで、笑っていられるのよ……わたくしは、こんなにも貴方のことが――!」


 胸が苦しくて、張り裂けてしまう痛みに顔が歪む。

 魔王討伐なんて、何年かかるかもわからない。それどころか、死んでしまうかもしれないのに、どうして笑っていられるのかわからなかった。わたくしはこんなにも離れがたいと叫んでいるのに、イヴァンは違うとでもいうの?


 夜空を照らす月色の瞳からはらはらと涙が溢れる。肩口で揺れる射干玉の髪に指を通して、ゆっくりと柔らかな花を抱きしめて、イヴァンは白雪を腕の中に閉じ込める。


 思春期の男女の幼馴染が、仲違いすることなくいつまでも仲良くするふたりに両親たちは微笑ましく見守っていた。

 親の庇護下とは厄介だ。いつまでも子供であることを自覚せざるを得ない。どれだけ結果を出しても、実力を見せても、所詮まだ十代の子供。十三歳にもなって、門限が七時ってどういうことだ。それも、向かいの家を行き来するだけなのに。

 白雪が、大層な家柄のお嬢様だっていうのは理解している。それでも、なぜ違う家に帰らなければいけないのかわからなかった。白雪は俺といるべきなのに。俺は、白雪と共に在るべきなのに。

 過保護すぎると言っても過言ではなかった。なのに、それが、四千年ぶりに蘇った魔王の討伐メンバーに選ばれたとたんに、「可愛い子には旅をさせろと言うわよね」だとか「男たるもの、野宿くらいできなくてどうする」だとか、禁止していたアンタらが言うのかよ、と手のひらを返すのだから呆れてしまった。

 さっさと魔王なんて倒して、俺は花が枯れてしまう前に水をやらないといけないんだ。


 騎士だとか、英雄だとか、そういうのに興味はない。ただただ、イヴァンは白雪という美しく可憐な花を育てる庭師でありたかった。


 美しい、可憐な、夜にだけ咲く白い雪の花。

 高潔な血筋に生まれ、愛を注がれて箱に詰められて育てられたお嬢様。


 幼馴染だから。両親同士が仲が良いから。


 異性との交友を禁じられている彼女が唯一関わることができる俺。鳴いてても可愛い。笑っているのも可愛い。拗ねてる表情も、怒っているところも。

 穢れを知らない真っ白な花の幼馴染が、自分にだけ感情を揺り動かすのが愛おしかった。

 イヴァンの初恋は白雪で、白雪の初恋はイヴァンだった。


 ひっそりと、しとやかに、緩やかに紡いでいた途中だった戀に水を差されて嬉しいはずがない。


 ただ、はらはらと涙をこぼす白雪が可愛らしくて微笑んでいるだけで、その内心は全てに向けて憎悪が燃え滾っていた。


「白雪。俺の可愛い白雪、約束しよう」

「……約束?」

「そう、約束。俺は五年で、……いや、四年で帰ってくる。連絡は、難しいかもしれないけど、俺は白雪のことを忘れないよ。だから俺が帰ってくるのを待っていててほしい」

「帰ってくる、保障なんてないじゃないぃ」

「俺が、白雪との約束を破ったこと、あった?」


 目尻に溜まった雫を指先にすくわれる。シルクの白いハンカチが押し当てられて、頬をきれいにしてくれる。

 イヴァンがわたくしとの約束を反故にしたことなんて一度もなかった。風を引いても、熱が出ても、わたくしとの約束を優先してくれた。もちろん、そういうときは叱ってやって自宅まで送っていくのだけど。


 目尻を下げて、困り顔をする。顔が良いから、どんな表情をしても様になるのだ。そしてわたくしがその表情かおに弱いことを知っている。

 堀の深い目鼻立ちに、白銀の柔らかな髪。理智的な豊かな瞳は、白雪にだけ温度を持って緩められる。まろい頬の美少年は、あと数年すればきっと美しく、逞しい青年へと成長するだろう。


 かく言う白雪も、美しい少女だ。

 柔らかな白いミルクの肌に、紅要らずの唇。長いまつ毛に縁どられた目尻の上がった瞳は気の強さが伺える。しかしそれが、名家の娘として正しくあろうと気を張っているだけだと知っているのはイヴァンだけだ。

 洗練された立ち振る舞いに、気高い精神と、声をかけるのを躊躇ってしまう美貌。美しく成長するのを信じて疑わないイヴァンは、その過程を共にすることができなくて酷く残念だった。


「……ううん。ない、わ」

「だよね。俺の第一優先はいつだって白雪だ」

「四年も、離れてしまうのね……」

「四年後の今日、会いに行くから待っていて。だからそれまでは、高潔で、純潔で、気高く美しい、俺だけの唯一の華でいてよ」


 友達も、恋人も作らないで。

 暗にそう告げる幼馴染に月を瞬かせて、破顔する。


 明確な執着と、かわいらしい独占欲だった。


「ふふ、ほかでもない最愛である幼馴染あなたのお願いだものね。いいわ、待っていてあげる。――だから、貴方からわたくしに会いにきて」

「もちろんだよ。俺の可愛い白雪」






第一章 月獅子の凱旋


 ――四年後の今日。


 ぱちり、と意識を切り替える。頬に影を落とすまつ毛を瞬かせ、白雪はドレッサーの鏡に映った自分を見つめ返した。

 モヤがかっていた、空を歩いていたような意識がはっきりとしていく。彼と道を分かれてから、こんなにも頭が冴えているのははじめてだった。


「うん。今日のわたくし、一段と輝いているわ」


 にっこりと、満面の笑みを浮かべて立ち上がる。

 窓の外は火灯し頃で、オレンジの街灯がぽつりぽつりと順繰りに点いていく。


 一点の曇りもない、満月の瞳。白い冬の月みたいだと言われた瞳は年月を過ぎていくたび色濃くなっていき、やがて黄金に輝いた。

 キズひとつない白雪の肌に夜の帳を広げる射干玉の髪は腰まで伸びて、今夜に限って緩やかに巻かれてハーフアップに結い上げられている。黒髪に差された簪がひとつ、しゃらりと水晶と雪の飾りが一歩踏み出すたびに揺れていた。

 化粧要らずの美貌はより一層冴えて輝き、まろく柔らかな頬は薄紅に彩られている。


 魔王討伐を果たした勇者一行の無事を祝う凱旋パーティーに、天御門家は招待されていた。

 異国の生まれである勇者たちの故郷で順番に祝賀会や凱旋が行われ、ヒタカミノ国――イヴァンの生まれ故郷が最後の凱旋であった。


 旅に出てしまったイヴァンと定期的な手紙のやり取りや、水晶や水鏡を使っての通話はめったにすることはできなかった。それでも記念日や毎年の誕生日には必ず通話と、プレゼントを贈ってくれた。

 今日身につけている物はすべてイヴァンからのプレゼントだ。簪は去年の。ドレスは、今年のプレゼントだった。


 淡いホワイトブルーのカクテルドレスは驚くほどぴったりとサイズがあっていて、天御門家が贔屓にしている衣装屋とイヴァンが直接やりとりをしてオーダーしたものだった。ビジューや宝石のカケラが散りばめられており、生地からなにまでこだわったと言っていたが、いったい総額でいくらつぎ込んだのやら。

 白雪のこととなると、財布の紐が緩みがちというよりも常に開きっぱなしのイヴァンのことだから、より良い物を突き詰めてオーダーしたに違いない。魔王討伐の旅の途中になにをやっているのよ、と呆れはしたが、同時にとっても嬉しかった。

 添えられていたメッセージカードには『約束の日に』と。あぁ、嗚呼、嬉しくて嬉しくてしかたなかった。


 そして、今日。約束の日。四年前の、今日。

 浮足立っているのが自分でもわかる。礼儀作法に厳しい母も、今日ぐらいはしゃいだって何も仰られないはずだ。


 四年の月日は、わたくしに与えられた試練だった。

 親しい友人を作らず、毎日イヴァンのことを考えて、自己研鑽に精進する。もちろん、自分磨きも怠らない。

 天御門家の令嬢として、イヴァンの隣に並んだとして、恥ずかしくない淑女へと成長できたと自負している。


「お嬢様、外に馬車がついております。旦那様と奥様がお待ちです」

「わかったわ。すぐに行きます」


 最後に、後頭部で揺れる簪を鏡で確認して、カツリ、とヒールを鳴らした。


◇ ◇ ◇


「天御門家の皆さまでございますね。お待ちしておりました」


 王族から直々に招待状を送られてきている我が家には控え室が用意されている。凱旋パーティーは三部に分かれており、オープニングの自由な談笑の場と、勇者たちの祝勝を乾杯する立食、そして勇者たちと彼らに選ばれたパートナーが躍るダンスパーティーだ。

 プレゼントされたドレスは非常にかろやかで、くるりとターンすると花が咲いたかのようにも見える。当たり前のように、白雪はイヴァンのパートナーであることを疑いもせず、ダンスレッスンも手を抜かなかった。

 むしろ、自分以外の誰をイヴァンは誘うと言うのか。


 和やかに会話を交わしながら案内役のフットマンに黙ってついて行くのが耐えられなくて、こっそりと「先に会場へ行っても良いでしょうか」と伺いを立てた白雪に母は苦笑しながらも是と頷いた。


 ひとり家族の輪を外れて、イヴァンがいるだろうメインホールへと足を向けた。


 すれ違う子息令嬢が、わたくしを見て驚いた表情かおをしているが、どこかおかしなところでもあるだろうか。

 思わず眉を顰めると、向けられていた視線が慌てて散っていく。


『天御門白雪』と言えば高嶺の華である。

 人を寄せ付けない雰囲気を纏い、玲瓏と冴えた美貌は見るものを虜にする。成績優秀で、美しい花の美貌、それに加えて国で一、二を争う名家のご令嬢。

 冷たく、気が強い印象を与えがちな美貌だが、困っている人がいれば率先して声をかけに行き、話しかければ柔らかく返答をしてくれることを彼女の同輩たちは知っている。

 人に優しく、自分に厳しい人だと認識をしている誰もが、白雪に婚約者がいないことを不思議がった。白雪に恋心を抱く多くの子息は自分にもチャンスがあると夢を見ている。


 伏し目がちの瞳には常に陰りを帯び、月光の影で咲く儚い花のような人、と言う印象だった白雪が、いつにも増して凛とした雰囲気をまとい、瞳がまっすぐに上を剥いてキラキラ輝いていたのだ。

 誰が見ても浮足立っている。穏やかで落ち着いている彼女のそんな姿を見たことがなかったクラスメイトたちは、驚き、そして彼女の心をそこまで動かしたのは誰なのだろうかと邪推する。


 メインホールへと足を踏み入れれば、すでに半数以上が集まっており、談笑に講じていた。

 若い子息令嬢が多く目立ち、誰もが綺麗にメイクアップしている。仲の良い者同士でグループができており、これといって親しい友人を作っていない白雪は、広いホール内を見渡してイヴァンの姿を探した。


「あ、白雪様……!」

「白雪様もいらっしゃったのですね!」


 教室でよく話しかけてくれる令嬢たちの姿に、急いていた気持ちを落ち着かせる。


「ごきげんよう。素敵なドレスね、ふたりとも」

「あっ、ありがとうございます……!」

「白雪様にそう言っていただけて嬉しいですっ」


 頬を薄紅に染める可愛らしいクラスメイトに笑みを緩めた。

 彼女たちと軽く会話をしながら、目でホール内を見まわすが、思っていたよりも人が多くてイヴァンの姿をなかなか見つけられない。――もう、会いに行くって言っていたじゃない。

 苛立ちに歪みそうになる唇に無理やり笑みを湛えていると、黄色のドレスをまとったクラスメイトが首を傾げて不思議そうにする。


「どなたかお探しですか?」

「……わたくし、そんなにわかりやすかったかしら」

「ふふ、そうですね、なんだか生き生きしていらっしゃったものですから」

「……ヴァーチャ、……勇者の皆さまを探していたの」


 ぱち、と茶色の瞳を瞬かせて、驚きを露わにする令嬢たち。白雪が、勇者一行に興味があるとは思いもしなかったのだ。教室でそういった話題を出してもそれほど乗り気ではない様子だったし、だからこそ、このパーティーにいることにも驚いた。

 御家として招待されてきているなら、祝勝を乾杯する時まで控室にいてもいいはずなのに、わざわざ談笑の場に来られるということは、彼女もやっぱり勇者様たちに興味があったのだろう。そう自分を納得させて、あえて口には出さなかった令嬢は会場内を見渡して「それなら、あちらに」と彼女が指をさした先――。


「――白雪」


 美しく、気高く、逞しく、青年へと成長したイヴァンがいた。


 シャンデリアの光を受けて輝く白銀の髪。深緑の瞳は穏やかに凪いで、ぐんと伸びた船長でわたくしを見下ろしている。

 あぁ、四年前はほとんど同じ目線だったのに。彼の成長を嬉しいと思うと同時に、過ぎ去った時間に寂寥感で胸が締め付けられた。


「白雪、綺麗になった」

「ヴァーチャ、貴方もとっても格好よくなったわ」

「そのドレス、着てくれて嬉しい」

「うふふっ、ほかでもない貴方が用意してくれたんだもの。約束の日に《・・・・・》、って」


 柔らかな花のほころぶ微笑に間近で目にした令嬢たちは惚けてしまう。同性をも魅了してしまう美しいこの方が、こんなにも感情をあらわにしているのを見たことがなかった。


「やっぱりわたくし、ヴァーチャがいないとダメみたい」


 ふんわりと、愛しさが溢れ出す。とろり、とこぼれた蜜を掬うように、まるで花嫁を攫うように、腕の中に閉じ込められた。

 爽やかな石鹸の香りと、甘いムスクの香りが鼻先を掠めて、花が、わらう。


 時が止まったかのように、周囲の音が掻き消える。世界が、自分たちだけしかいないのかと勘違いしてしまう。



― 略 ―






第三章



― 略 ―



 空が鈍色へと染まっていく。ぽつり、ぽつり、と雨粒が降り注ぎ、やがて雨風は強く身体へと叩きつけられる。

 頭から雨に打たれる生徒たちは、それでも魔物やアヤカシの撃退に尽力を尽くす。武器を手に、魔物と退治する騎士。サポートアビリティで補佐をする術師に、中距離を担える魔法使い。


 騎士のイヴァンは前線へ、術師の白雪は後衛で、自分ができることに最善を尽くしていた。


 頬に張り付く黒髪が鬱陶しい。苛立ちのままに、令嬢らしさをかなぐり捨てて舌を打つ。黒髪をかき上げて、荒れ果てる目前にジリジリと焦燥感に苛まれる。


 ――天御門家。ヒタカミノ国の大神に仕える第一神使にして、国守の役目に就く最後の砦。陰陽道に天御門有り。かつて天御門家の祖である最高峰の術師が契約を果たした『十二天将』

 平和と調和を司る吉将の六合と、北の守護神である玄武を招来して学園と後衛組の守護に徹していた白雪は、新たなる神を呼ぶために霊力を巡らせる。今までで多くても二柱までしか招来をしたことがなかった。三柱目となると、白雪の負担がおおきくなるからだ。


「――『騰蛇とうだ』、来て」


 ス、と吸った息を緩やかに吐き出した。

 ゴウと炎が渦巻き、その中から少女が現れる。


「主様、ご機嫌麗しゅう」

「来てくれて、ありがとう」


 疲労を隠して目元を緩める。


 火神・凶将『騰蛇』

 白い肌に赤褐色の長い髪が揺らぐ。雨に濡れることなく白雪の隣にふわりと浮かぶ幼い少女の姿をした神は、十二天将の中でも好戦的で、最も戦を好む神だ。

 背中で羽ばたく炎の翼に、下半身はまるで蛇を思わせる鱗に包まれた尾。


「お願いが、あるの」

「なんでしょう、主様?」

「わたくしを、あの人のところへ連れて行って」

「……あの、いばんとかいう男ですか」

「ふふ、イヴァン、そう、イヴァンのところへ」

「……六合と玄武に、怒られたくありません」

「大丈夫よ、わたくしのお願いって言えば怒られないわ」



◇ ◇ ◇



「――……ヴァーチャ……?」


 雨の中、立ち竦む。右手は騰蛇と繋がれて、駆けていくことを許されない。


 どしゃり、と。泥水の中に倒れた白銀の彼。じわり、じわりと滲んだ赤が広がっていく。


「騰蛇、離して」

「ダメです。主様を危険に晒すわけにはいきません」


 血反吐を吐く叫びだった。目前の出来事が信じられない。どうして彼が倒れているの? どうして、彼から赤色があふれているの?

 ざわざわと心臓の内側から毛が逆立って、冷や汗が背筋を伝った。


 周囲にはまだ有象無象の魔物やアヤカシが集まってきている。では、彼の胸を刺し貫いた刀は誰の?


「――騰蛇! これは、命令よ! 敵を、敵を殲滅なさいッ!!」

「主様のご命令とあらば」


 ゆるりと手が解けて、幼い少女の姿を借りた凶将騰蛇が炎の翼を羽ばたかせる。にぃんまり、と口元に残忍な笑みを浮かべ、刃のついていない柄だけの刀を頭上へと掲げた。

 十二天将にとって、第一に従うべきは主人の命令だ。式神とは言っても、元は天上に在るべき神であり、第一が『命令』ではあるものの、個神としての性格によっては命令を拒否する天将もいる。隣にいたのが青龍や天一貴人であったなら、騰蛇のようにはいかなかった。


 騰蛇の第一は「戦闘」だ。

 凶将と恐れられ、血で血を洗う戦を求める火神。


 命を散らすことに悦楽を覚え、血に飢えた狂神。


炎刀えんとう


 ゴウ、と蒼い炎が広がった。天へと昇る勢いの炎は瘴気に侵された魔のモノを払う清浄の炎。ゴウゴウと燃え盛る炎はやがて刀の形に収まり、高密度のエネルギーに引き寄せられた魑魅魍魎が集まってくる。


「――灰燼かいじんするがよい」


 白い細腕で、一閃。

 熱風が吹き荒れる。


「ヴァーチャ、ヴァーチャ、起きて」


 白い制服が汚れるのも厭わず、地面に膝をつく。頭の天辺から雨に打たれて、頬から顎を伝っていく。まるで涙のようにとめどなく落ちていく雫を拭いもせず、浅く呼吸を乱すイヴァンを抱き起した。

 抱き上げた、手のひらが赤色に染まる。とめどなく、止まることなく、あふれていく、こぼれていくイヴァンの命に表情かおが歪んだ。


「ヴァーチャ、起きて、笑って、声を、聴かせてっ」


 言葉が震える。うまく息を吸えない。吐くこともできなくて、は、は、と犬のように上がった息がこぼれた。嗚呼、こんなの、ぜんぜんおしとやかじゃない。彼に相応しくない。笑顔を浮かべないと、凛と背筋を伸ばさなきゃ、泥なんてわたくしにふさわしくない、あぁ、あぁ、でも、だけど、そんなの、むりよ、できっこない、わたくしは――わたしは、イヴァンがいないと、二本の足で立つことすらできないのに、イヴァンがいなくちゃ、息をすることもままならないのに――!


 少女の号哭が飴の中に響き渡る。


 白雪の感情の波に反応して、騰蛇の炎がより一層吹き荒れた。一匹、また一匹と屠られていく魔物たち。清浄なる炎に恐れをなしたアヤカシは気が付けばいなくなっていた。


「そんなの、ゆるさないっ、わたしから離れていくなんて、だめよ、ゆるさないんだから、お願いヴァーチャ、目を覚まして……!」


 とぷん、と闇が一滴。

 ざぁざぁと雨が降る。赤い水溜まりに、闇が広がる。


「――主様?」

「しなないで、ヴァーチャ、」


 満ちた底なしの湖から、月が放たれる。解放された霊力――否、神気に常人が耐えられるはずもなく、魔物は浄化され、生徒に教師、侵入者の人間ども、すべからく平等に意識を失っていく。

 白き聖なる光はやがて色を失い、黒く、深く、どこまでも堕ち続けていく闇となった。


「だいじょうぶよ、だいじょうぶ、ぜったいにあなたをしなせないわ」


 まるで自分に言い聞かせているようだった。

 倒すべき魔物がいなくなり、詰まらなさそうに唇を尖らせた騰蛇はようやく主の異変に気が付く。


 美しい、夜の髪が夜明けを知らせているのだ。


 毛先から徐々に白が侵食していき、主様が主様でなくなってしまう、そんな不安に襲われた。


「主様!」


 人を人と思わぬ、そんな目だった。

 光を失い、闇に侵された瞳。主は確かに人であった。それなのに、どうして彼女から感じる気配は、我らと一緒なのだろう。


「……騰蛇、わたしたちが戻って来るまで、良い子にしているのよ」


 とぷんっ、とまるで闇に溶けてしまったかのように、白雪はイヴァンを抱いて堕ちていった。

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②幼馴染の騎士様はわたくしにゾッコンです! 白霧 雪。 @yuki1230

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