【完結】Scene#33 私たち

 はいなくなり、私たち三人は安寧を得た。


 私たちは揃ってスーパーに行った。無論、パソコンを買うためである。


 途中、銀行のATMコーナーで私は二万円を下ろした。彼曰く、文字を打つだけで事足りるのだから、一番安いタイプのパソコンで構わないと。四万円もあれば買えるだろうとの事だった。


 柴原老人は先ほど農道で、私に対して明確な嫌悪を示した。無理もない。老人にとって私は、大切な彼を突然襲った人間である。そもそも、透明な彼の存在を認知している人間が自分以外にいたことを驚き、そしてあるいは、嫉妬したのだろう。


 その素性の不明さという意味では、老人にとって私は彼以上に透明で不確かな存在だったのだ。私はむしろその想いに深い共感を覚えた。大切な彼を失うかもしれないというのは、大きな恐怖だっただろうから。


 私は農道の真ん中で、彼を知ることになった経緯を話した。その真っ直ぐな想いを、彼ではなく老人に向かって訴えた。


 奇妙な会談であった。だが、老人もまた、私同様、彼に惹かれる私の気持ちに同情したのだろう、私たちはほんの数分で、分かり合った。


 私は私で、透明なだけで実際には非常に無防備な状態である彼を、二週間も、しかも無償で保護してくれた老人に、感謝したい気分であった。そして私は実際にそうした。


 ありがとうございました、と頭を下げる私に、老人は一瞬眉をしかめたが、それでも照れた笑いを見せて、「いや、いや」と手を振った。私たちは、互いの彼に対する想いを確認し、共感し、そして同じだけのライバル心により、金を半分ずつ出しあって彼にパソコンをプレゼントすることを決めたのだった。


 家電売場の店員は、私たちを見て一瞬不審そうな目つきをした。年齢で言えば祖父と孫ほどだが、どこか違和感があるのかもしれない。だが、そんな事はどうでもよかった。店員というのは常にこういう訳知り顔をしたがるものだ。


 彼が選んだ四万円のノートパソコンは、思いのほか大きな箱に入っていた。店員が購入済みを示す包装紙を貼り、箱を私に渡そうか老人に渡そうか迷っている時、突然、私たちの後ろに居た彼が手を伸ばして掴み、老人と私との間に置いた。


 店員は目を見開いて、呆然と見ていた。眼球をグルグルさせて、その不思議な光景を見た仲間を探すように周囲を見回し、誰も居ないことに気付くと、なぜか引きつった愛想笑いを浮かべた。


 私と老人は顔を見合わせて、肩をすくめ、そして笑いあった。二人で箱を持ち上げると、その意外な重さに心地よさを覚えながら、堂々と胸を張って、店を出た。


 老人は自分の家を見せることを躊躇した。彼を初めて案内する時にそうしたように。


「もう知ってるわ。ボロボロの家で、捨てられた場所にあって、それで、ボットン便所なんでしょう」


 私が言うと、何で知ってるですか、と老人は目を丸くした。


 説明するのは難しい。あれこれ考えたが、やがて面倒になって、


「だって、私はこの物語の語り手だもの」


 と答えた。


「物語?」


「ええ、これは夢の話なの」


 何をどう納得したのだろう、老人は目を細めて私を見つめ、やがて嬉しそうに頷いて、「消臭剤を買ったですよ、強いのをね」と、舗装されていない土の上に足を踏み出した。


 箱を開け、包みを剥がすと、中から銀色のパソコンが現れた。


 私たちは彼を挟んで座っていた。彼が銀色のパソコンを取り出してちゃぶ台の上に置いた。


 私も、老人も、思わず溜息を漏らしてしまった。この古びた部屋の中では、メタリックな光を放つその四角い物体が、未来から転送されてきた兵器のように見えた。


 彼は慣れた手つきで電源を入れ、プリインストールされているワードソフトを立ち上げると、キーボードを操作して適当な文字列を打った。


「久しぶりに触るなあ」


 彼が満足気に言った。私は嬉しくて、彼の肩に手を回しながら、言った。


「どんな物語を書くの?」


 少し間をおいて、「君らのことだよ」と彼は答えた。


「私たちのこと?」


「そう、君らのこと」


「私のことも、書くですか」


 老人が、不安そうに聞いた。


「当たり前じゃない。柴原さんが居たから、彼は無事に生きてられるんだもの。あなたがもし彼を受け入れなければ、彼は今ごろ誰かに捕まって、ひどいことをされていたかもしれない。透明人間なのよ、好きなだけいじられて、実験されて、研究材料として灰になるまで利用されたに違いないわ。それを救ったのはあなたでしょう。あなたは立派に彼を守った。物語に登場しないはずがないわ」


 私が言うと、老人は信じられないといった顔をした後、鼻を鳴らして泣き始めた。


 彼は黙ってキーを打ち始めた。


「彼はその時、鏡の中で顔の輪郭が曖昧になっていくのを、自分の問題だと考えた」。


 私はその背後に周り、首筋に絡まりながら、彼の頬に唇を押し当てた。


「ねえ、タイトルは何ていうの?」私は聞いた。


「透明考」と彼は答えた。

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透明考 @roukodama

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