第五部 暗黒竜の渇望

序章  ※

 赤鬼が山中を彷徨さまよっていた。


 なんだ、あんな高さから落ちても俺は無事じゃないか。


 周りには周りには天空から落ちたと思われる暗黒物質をまとった鬼の肉片が散らばっていた。戦に負けたのだ。


 赤鬼の後ろから突然影が現れた。


 「どこへ行く?」


 そこには青銅の鎧を纏った鬼が。鬼族にとってそれはなつかしい旧式の鎧だ。冥界から出土する青銅の鎧。だが魔導物質による鎧ではなく、鬼にはすぐ不自然な鎧であることを察知した。しかも鎧の中に鬼がいる様子がない。幽霊だろうか?


 念のために声をかけてみた。


 「おお! 同士よ。生きていたのか!」


 「そうだ。同士だ。持国天」


 独特の重い声が響く。イマ王こと閻魔天ではないか!


 「お前は死んだ」


 「そんな馬鹿な。こうして生きているではないか?」


 「後ろを見ろ」


 そこには無惨にも暗黒物質鎧をも破壊され肉片となった持国天の死体があった。


 幽霊の悲鳴が大地に木霊こだまする――!


 「その絶望を認めれば冥界にて青銅の鎧を授けようぞ。さすればこの世にもこうして出られる。我のようにな。そして我ら主インドラ様を解放するのだ」


 その声にかすかな希望を持った幽霊は消滅せずまだこの世の大地に残ることに成功した。

 閻魔天が死と冷酷なる美を兼ね備えた三つ目の青黒き仮面を外すと……鎧の中は誰もいない。がらんどうだ。


 (そ……そういえば。なぜ重鎮ともあろう閻魔天様が戦いに参加しなかったのであろうか……。閻魔天様は地獄での亡者と獄卒の鬼の管理で手一杯なのか?)


 「これが今の私。そして未来のお前の姿。肉体が滅びた後、この姿をインドラ様からもらいうけ、復活させていただいた」


 なんと、左手に持つ仮面から閻魔天の声が発せられた。閻魔天はおくすることなく再び鎧兜に己の仮面をはめ込む。


 「インドラ様からですと!」


 「そうだ」


 「そして鬼族の国を支える者持国天よ、我はお前の死体の一部を持っていく。そして新たな青銅の鎧をお前の魂の器とする。我のようにな。何、腐りやせぬ。大丈夫じゃ」


(蘇る……ということか?)


 「なにせお前も青銅の鎧が己の肉体となるのだからな。共に行こうぞ」


 言い終わると閻魔は指で魔法陣をくうに描き……角度を変え……地面に置いた。


 「アスモデウス!」


 言うや否や大地に突然闇の渦が生まれる。


 「閻魔様、ご用件は」


 「簡単だ。王子に取り付き、王子の子をはらませろ。その子を新たな国王とするのだ……。傀儡くぐつだがな」


 「承知」


 そのままアスモデウスは大地に生じた渦の中に消えた。闇の渦はまだ残っている。


 「我らも行こうぞ。地獄へ。仲間となった鬼らで一杯だ」


 閻魔の足元に闇の渦が生まれる。本来触ることの出来ない幽霊を青銅で出来た手が掴む。もう片方にはいつのまにか持国天だったものの肉塊を砕けた鎧となった暗黒物質ごと詰め込んで持っていた。引き寄せたのだ。そしてそのまま二人は闇の渦にゆっくりと沈み、そして渦ごと消えた。


 床に現れた渦からゆっくりと姿を現す。渦から抜け出すとそこは閻魔天の居城の一室のようだ。武器庫であろうか。鎧や剣、そして仮面が並んでいる。肉塊を詰め込んだ魔導物質の鎧を置くと肉が潰れる音が武器庫に響き渡った。閻魔天は武器庫に並ぶ鎧から一つを選び取り、両手で鎧を台座に置いた。


 「これがお前の新しい肉体となる鎧だ」


 そして閻魔天は包み代わりにしていた魔導物質の鎧から持国天だった肉塊の一部を次々青銅の鎧に詰め込む。粘りつく腐肉と血が重なり、飛び散る音が武器庫にこだまする。閻魔天の青銅の手と腕は血だらけとなったが、閻魔天は仮面から獣のような低い喉音を鳴らしながら嬉しそうに作業を続けた。やがて閻魔天は肉塊を青銅の鎧にすべて詰め込み終えた。


 鎧にある肉塊と骨はじわりじわりと鎧に吸われ同化していく。


 「この鎧は魔導吸収物質が化合されている青銅の鎧。魔導物質とは己の肉体の力を最大限に引き出すもの。あるいはエネルギーを放出するもの。反魔導物質は魔導物質が持つエネルギーを遮断する」


 青銅の鎧は鈍い光を放つ。


「これに対し、魔導吸収物質はエネルギーを吸収する。そう血肉を吸うのだ。そして魔導吸収物質そのものが血肉となり、生命体となる。エネルギーを得るために血肉を食らう魔導物質を埋め込まれた鬼とは似て異なるもの。とはいえ魔導物質も魔導吸収物質も同じ冥土物質。我ら暗黒の者にとっては友」


 青銅の鎧に付いた血はすっと消える。


 「そしてお前の魂もここに収容する」


 閻魔天の言われるまま黒き煙となった持国天が鎧の中へ入って行った。


 煙が鎧の中にすべて納まると鎧がやがて血管が浮き出て……やがてゆっくり脈打つ。鎧は血肉と魂が同一のものと認めたようだ。鎧がゆっくりゆっくり血肉を吸っていく。用済みとなった持国天のかつての鎧だけが無残にも横に転がっていた。


 己の鎧には兜こそあったものの、もちろん顔を守る部分は空洞になっていた。


 「そしてお前にも貌が必要だろう」


 閻魔天が壁にかけてある様々な表情を持つ仮面から選んだのは……。この上なき死と美と恐怖を兼ね備えた黒色の鬼面であった。仮面にはするどい牙も備えてあった。閻魔天は持国天の眼球を空洞になっている仮面の目の部分にはめ込み、そのまま鎧兜の空洞部分に付けた。仮面は鎧を通して血肉の養分を吸い、さらに仮面は鎧の中に充満している黒き煙を吸い取った。


 「お前のデスマスクだ、持国天。今度は仮面の部分がお前の頭脳となる。思考もそこから今度は生じる。仮に青銅の鎧を破壊されたとしても何度も蘇ることができる。なにせお前はもう死んだのだからな」


 眼球と視神経ししんけいが仮面と同化し…さらに傷ついた眼球が仮面によって修復され、青き瞳の光が持国天の仮面に灯る。大きな牙を持つ仮面の口は鬼族の時のまま己の自由がままに動かせるようになり、鎧に付けられた手足も自由に動かせるようになった。己の皮膚となった鎧兜に仮面が吸い付き一体化するも容易に己の青銅の手によって仮面は付け外せた。己のかつての血肉がどんどん鎧や仮面に吸収され、やがて鎧の中から血肉が消えた。久しぶりに仮面を通じて己の体中に感覚が全身に伝わった。自分の顔となった仮面を青銅の指で触ると肌の感触が己に伝わった。新たな命がここに誕生した。


 「気に入った」


 幽霊が発する独特の冷気が伴う重い声を持国天が仮面から発した。


 「その仮面も眼球以外はお前の体の一部となる。もっとも鬼の時のように捕食しないと眼球にも仮面にも栄養がゆかないぞ。捕食し続ければ鎧自体やがて元の肉体に戻る。もっとも標準体に退化するが」


 鎧から重低音の笑い声を発するイマ王。そして次に剣とさやを差し出す。


 「その剣は魔導物質とは違い、切っただけで命を吸い取るもの。いわば吸血の剣。この剣は吸魔の剣という。お前に授ける」


 閻魔天はまたしても喉音を鳴らす。今度ははっきりとすすり嗤う声で。持国天も剣を受け取ると霊鬼独特のすすり嗤いを仮面から発した。


 「友たる持国天よ、そなたには元阿修羅族の王妃たるシャチー様の領土を作ることからはじめようか。迫害された地上の魔の残党と共にな」


 それを聞くと閻魔天の後ろにずっとひざまずいて笑いをこらえる魔が立ち上がり、「御意」と答えた。アスモデウスだった。よく見ると皮膚は青黒い。死臭も放っている。


 「ここは地獄。生者は本来いてはいけない場所。たとえ鬼であっても。例外は鬼神か鬼神が転送した鬼か地上に禁忌きんきの術を使った召喚者がいる場合のみ。なお、生者は地獄の食べ物を口にするともう戻れません。シャシー様も空腹のようですし……ですから私がお送りいたしましょう。送った先が新たなるアジトです」


 「すまない。そなたは本来は西方の魔王に仕える身であろう?」


 「西方の魔王もここ地獄に落とされし身分でございます。もっとも向こうの魔王は神の手の上で踊る魔王ですが。ですのでこちらの戦いのほうがおもしろいのでございます。」


 「広目天よ!」


 次に地中から生じた闇の渦から現れたのは巨大な一つ目を持つ暗黒物質の鎧をまとった暗黒騎士。


 「インドラの肉片はかき集めたのだろうな?」


 「はっ、仰せのとおり薬剤で肉片を塗り、他の者と見分けてこうして瓶に入る程度の肉片が集まりました」


 「さっそく肉を培養してよみがえらせよう。命の恩人への恩返しだ」


 閻魔天は地獄中に響くようにまたしても喉音を鳴らした。


 閻魔天のそばでひざまずくアスモデウスと広目天も鉛の声で笑い出す。そのまま地中の闇の渦に消えていった。すると閻魔は懐から珠を取り出し呪文を唱えた。ずると靄が発生した。珠に封じてあったのは幽鬼であった。


 「すまぬ。閻魔よ」


 現れたのは幽鬼となったインドラであった。


 「しゅ……インドラ様、必ずや持国天のように鎧にて復活させます」


 「それで良い……我の肉体さえ集めれば器として復活できるのだからな」


  インドラは自らの意思で珠に戻った。珠に戻らないと幽鬼は最悪の場合……雲散霧消うんさんむしょうして永久消滅してしまうからだ。


 こうして鬼らの最後の逆襲とロスタムの最後の戦いが始まった――!







 ロスタム王子が全国行脚しているときにアスモデウスが村人に化けて発した『誘惑の煙』を吸い込む。いやむしろロスタムは誘惑の煙を歓迎するように吸った。そのロスタムの欲望を受け止める女がいた。


 ロスタム王子が性欲に負けて一緒に寝た女こそかつてインドラに陵辱されたにも係わらずインドラを愛し、自分の種族であるはずの阿修羅の神々を追放することに手を貸し、天の后となった者。天空の后となった阿修羅族……。そう、「反逆の后」ことシャシーであった。

 王子の熱き欲望が本物かどうかを確かめた。たしかに阿修羅にして竜の血筋を持つ人間の味であった。女は己の欲望も存分に堪能した後、衣服を着込み寝室を後にする。彼女は重要な使命を帯びた仕事を終えたのだ。


(これでアスラ・人間・竜・魔族の血を引き継いだ王子が誕生する。あとはこの王子を傀儡くぐつにすればいいだけ。インドラ様。あと少々の辛抱ですわ)


 女は己の腹をさすりながら魔法陣を描きそのまま別の場所に消えようとする。そのとき起きだしたロスタムに呼び戻される。


 「もし、わが子が生まれたときは男の子なら腕輪を、女の子ならサークレットを渡してほしい」


 女はロスタムの願いを聞き入れた。ロスタムは王として王位継承権維持のためになんと隠し子を作るつもりだったのだ。隠し子を見分けるための王家の紋章も入っていた。



 この欲望と安佚あんいつおぼれた行為こそがロスタム王の悲劇の発端であった。

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