第2話

「悠、また見てる」

「ん」

 賑やかな教室。四月になればクラス替えがあるからだろう。終業式を前に、どこかそわそわと落ち着きがない空気が漂っている。

 かく言う瀬戸と根古屋も似たようなもので、私立文系志望と国公立文系志望は別クラスになるようだとか、理系志望は数が少ないからひとまとめにされるだとか、真偽の怪しい先輩方からの受け売りを口にしながら、来年はどうなるかなと話していた。

 その会話をぶった切って、声をひそめての指摘。根古屋はぐりぐりとこめかみをもみほぐした。

「お前に気づかれるなんて、俺も焼きが回ったな……」

「おいこら。年齢イコール彼女いない歴はお互い様だろうが」

「菊池先輩に振られたばかりの瀬戸裕也くん、記録更新オメデトウ」

「そういうイジリはせめて古傷になってからだろ親友!」

「声が大きい」

 生徒会長に万年片想い中とウワサの先輩に告白するだなんて、そもそも無謀が過ぎるのである。少女漫画のヒーロー枠だぞあの生徒会長は、と。

 散々無理だやめとけ諦めろと善意の忠告をしたにも関わらず当たって砕けた親友に向ける根古屋の視線は冷たい。なにせこの男、そういう無謀極まりない告白が初めてではないのだ。

 たとえば、幼稚園の頃。来月結婚するのだと幸せそうに話していた保育士の先生への初恋などまだ微笑ましい方で、幼馴染にべったりの委員長だの、隣の席のサッカー部と喧嘩ップルよろしくじゃれ合う陸上部のエースだの、誰がどう見ても本命の相手がいる女子にばかり惚れては告白し玉砕を繰り返しているのだ。

 惚れっぽい上に素直といえば聞こえが良い愛すべき単細胞。それが瀬戸裕也という男なのである。

 とはいえ、瀬戸裕也がそこまで絶望的に異性にモテない人間かといえばそんなことはなく。裏表のない性格とお人好しな性分はそこそこ悪くない評価を得てはいる。いるのだが、他の男に惚れている女子ばかり好きになってしまうせいで、めでたく今年も年齢イコール彼女いない歴を更新し続けているというわけだ。

「いい加減、思い立ったが吉日とばかりに猪突猛進ロクにアピールもせず告白するのはやめたらどうだ」

「そうやってお前みたいにおっとりうじうじしてる間に他の男に告白されて付き合っちゃったらイヤだろ、普通!」

「俺に嫌味言うとか成長したなあ裕也クン」

「あだだいたい、いたいって!」

 ぎぶぎぶ、と腕を叩かれようがヘッドロックをかけたまま力を抜くでもなく、根古屋はひとつため息を吐いた。

「脈はあると思うんだけど、いかにもうぶだからなー……こっちからグイグイ行ったら引かれそうで」

「お前のその謎の自信の根拠はいったい……」

「しっかり観察すればわかる。お前と違って」

「うるせー好きな子のこと冷静に観察なんかできるか!」

「ていうか『観察』って言葉自体にツッコもうよ……こええよ……」

 瀬戸裕也の斜め前、黒田昴がドン引きしてますと表情でも声でも伝えてきたが、根古屋は飄々と受け流した。

「とにかく誰でも良いから『彼女』が欲しいだけならともかく、ド本命相手に玉砕覚悟の告白とか死んでもゴメンだね。最悪卒業までの三か年計画だ」

「サラッと新入生の頃から目付けてた発言来たな」

「そんな前から好きなのに告白どころか遠くから見てるだけとかヘタレにもほどがないか……?」

「玉砕王に言われてもね」

「誰が玉砕王だ腹黒糸目!」

「それ、柊木さんに聞かれてたら生まれてきたことを後悔させてやるからな」

「すんませんっした!」

 こういう時、根古屋が嘘も冗談も言わないと理解している瀬戸の判断は早い。

 うむ、と満足げに頷く根古屋を黒田がまたもやドン引きした目で見ていたが、いつものことといえばいつものことなので誰も指摘はしなかった。

 帰りのHRが終わった放課後、そもそも教室全体が騒がしく、多少声が大きくなった程度で注目を集めることがなかったのも幸いだった。

 ようやく解放された瀬戸が床に崩れ落ちるのを見もせずに、根古屋は再び窓側、教室の隅に視線を向ける。

 スマホと手帳を見比べながらなにやら書き込んでいる横顔の真剣さに、自然、根古屋の頬が緩む。

 柊木のの、という彼女の名前を根古屋は愛らしいと思う。特にひらがなの名前が良い。友人間では明るく笑い声をあげることもあるようだが、こと対男子となるとすとんと無表情になり淡々と話す彼女の、思春期特有の潔癖さなどついつい頭と言わず頬や全身あますことなく撫でて撫でて可愛がってしまいたくなるいじらしさだ。

 とはいえ、根古屋はこれでも良識と常識のある高校生男子である。欲望は妄想に留めて、こうして少し離れたところから彼女を見守っているのがその証拠だ。

「見守るっていうか、そろそろストーカー一歩手前っていうか……」

「いや見ちゃうでしょ。だってあんなに可愛いんだよ?」

「それ同意しても否定してもアウトなやつでは?」

 にっこり。黒田の質問に根古屋は微笑で答えた。愚問というやつである。

「かわいそうに柊木さん……よりにもよってコイツに目を付けられるなんて……」

「失礼だな。いいんだよ、両想いなんだから」

「その自信だけはあるとこ、さすが瀬戸と幼馴染なだけはあるわホント」

「それはオレにも失礼だからな黒田!」








 尾の数だけを持てると、最初に気づいたのは二番目だったろうか。

 女の、それも見目麗しいと評判の殻ばかり集めていた酔狂な兄弟で、人界の権力者を惑わしては世を乱し、その混乱ぶりを眺めることをたいそう好んでいた。

 そうしてさんざん好き勝手面白おかしく生きていた二番目の兄弟も、物見遊山で訪れた極東の島国で、よりにもよって半人半妖の術師に調伏されたらしい。いつだかの宴の時に話題になって、まあ因果応報だよな、とあくびをした記憶がある。

 他の兄弟たちも似たようなもので、好き勝手暴れまわって調子に乗った頃に退治され、改心したり呪詛の塊と化したり、なかなかバラエティに富んだ最後を迎えたようだ。中には本性である妖狐の姿ではなく、大蛇だの狼だのの殻を被ったまま死んだ兄弟もいて、そんなこともあるのだなあと感心した。死んでも脱げない殻とは、どれほど体になじんでいたのか。

 五番目と呼ばれていた自分は、そんな良くも悪くも自由な兄弟たちをよくあんなやる気あるよなあ、行動力の化身なんだなあと、せいぜい遠目に眺めるくらい。

 日なたに寝そべって、うとうとまどろむ内に千年が過ぎた。気づけば尾は九つに分かれていて、うつらうつら舟をこぐのにも飽き始めていた。

 二番目が封じられたという石でも見に行こうかと、思いついたのは春の日のこと。風に紛れて祭の喧騒が届いた日だった。

 そういえば、アレは祭が好きだったなあ、きっと人間が賑やかにしているのが好きだったのだなあと、思い出したのがきっかけと言えばそうである。

 とはいえ、今まで深山幽谷奥深くでまどろんでいただけの自分には、人里に紛れられるような殻はない。さてどうするかと考えて百年、身重の女が行き倒れているのに行き会わせた。

 胎にいる我が子がとうにその命を潰えさせていることにも気づかず、婚家を逃れてきたらしい。ひどく痛めつけられた痕があちこちにあり、それでも腹をかばい、神仏への祈りをとぎれとぎれに繰り返す女を見て、ふと魔が差した。

『胎の子と自分、どちらを助けてほしい』

吾子私の子どもを』

 女は迷わなかった。だから、命を亡くした赤子の殻を被ることにした。

 その後女はどうにか逃げ延びて、山中で子を産んだ。我が子の殻を被った五番目にはついぞ気づかず、産褥の熱で朦朧としながら、赤子に乳をふくませたまま冷たくなった。

 人の殻をひとつ手に入れれば、後は簡単だった。折しも戦乱の世、老若男女問わず死人は多く、その場その場で相応しい殻を手に入れては取り替えて、そうやって人の世に馴染んでいった。

 大陸を気ままに歩き、海を渡り、二番目が封じられた石を前にした頃には、人の世はとうに夜闇の暗さを忘れ去っていた。ついでに二番目を封じた石も割れていて、絶対これは面倒なことになると確信したのでとっととその場を立ち去った。風の噂では、またぞろ好き勝手やっているらしい。一度や二度封印されたくらいではめげないのだ、あの兄弟は。

 まあそれも良い。都会の喧騒と娯楽の多さにすっかり順応していた五番目は、いつものように死にかけていた赤子の中に潜り込んだ。どうせ倦むほど長い生、今度はありふれたヒトの一生とやらを体験でもしてみるかと、そんな気まぐれからである。

 根古屋の家に生まれた五番目は待望の第一子としてたいそう大事に大事に育てられた。年老いた両親は諦めかけた頃に生まれた我が子に悠と名付け、いずれ莫大な資産を受け継ぐ後継として相応しい教育を与えていった。

 今まで都合が良いからと、孤児や行き倒れの貧民ばかり殻にしてきた五番目にとって悠となってからの日々はとても新鮮で、今までになく上手くヒトとして振る舞えていた。

 瀬戸裕也に出会ったのは、同じような資産持ち同士が集まるちょっとしたパーティとやらでのこと。将来のために今から子どもたちを仲良くさせておくための会で、瀬戸の御大が堂々と引き連れていた愛人の子が裕也であった。

 後に瀬戸裕也本人から聞いた話だが、その日父が彼を連れて行ったのは完全に衝動的な行動だったらしい。前々から疑ってはいたものの、本妻との間に生まれたとされていた嫡男との親子関係が検査によって完全に否定され、ついカッとなって、とのことである。

 当然そんな事情は周囲にはわからないので、遠巻きにされた裕也とうっかり目が合ってしまったのが悠であった。

 いきなり幼稚園を早退させられ窮屈な服を着せられ、連れて行かれた先では明らかに歓迎されていない。だがいきなり駄々をこねて逃げ出してはマズいことだけは幼い裕也でもなんとなくわかったそうで、同じように誰とも話さずひとりでいる――正確には根古屋の両親と一緒にいたのだが――悠を見つけ、道連れにしよう! と思ったのだとか。

 そんなわけで目が合った途端駆け寄って来た裕也に連れ出され、根古屋は初めて鬼ごっこなるものをした。そういえばこの殻に入ってから走ったことはなかったなと、思い出した頃には顔面から盛大に転んでいたのである。根古屋の母は悲鳴を上げ、何が起こったかわからず転んだまま呆然とする悠に裕也は容赦なくタッチをして次お前が鬼な、とのたまった。視界の隅では瀬戸の御大が頭を抱えていた。

 御大は、息子がすまないと根古屋の両親に平謝りする内にとうとう耐え切れず嗚咽をこぼし、元よりお人好しだった根古屋の両親は親身になって話を聞いてやった。悠が遅くに生まれた子だったこともあり、根古屋の両親が御大よりひと回り以上年上だったこともよかったらしい。

 その後、瀬戸の御大は正妻と離婚。大人の事情から遠ざけておく意味もあり、裕也はしばらく、根古屋の家で面倒を見られていた。

 そうなれば後はもう家族ぐるみの付き合いというやつで、不本意ながら腐れ縁の幼馴染になったふたりは現在、何の因果か同じ高校でまるで中流家庭の子どものように暮らしている。

「まさか瀬戸のお坊ちゃまじゃなくなった途端こんなにモテなくなるとはな……」

 しみじみとお目付け役兼友人の黒田が言えば、瀬戸はぶすくれて唇をひん曲げる。

 別にお坊ちゃまでも本命には振られてたけどな、と言わないくらいには、根古屋もこの愛すべきお馬鹿のことを気に入っている。黒田とて同じだろう。

 神妙な顔をして、瀬戸が寝転がっていたソファから身を起こした。読みかけの漫画はローテーブルに置く。

「どうして俺の好きな子は俺のこと好きになってくれないんだと思う?」

「他の男を好きな女子に惚れるせいだろ。おまけにお前のことが好きだとかいう奇特な女子のことは振るし」

「その子のこと好きでもないのに告白オッケーするなんて不誠実だろ」

「よかったな。お前の好きな子たちも軒並み同意見みたいで」

「そういう正論はヤメロまじで」

 

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