JK退魔師、恋をする

北海

第1話

 柊木ののは恋をしている。

 片恋の相手は、猫背の猫田くん。もとい、根古屋くん。朝、校門前、いつも一緒にいる瀬戸裕也に、眠そうにあくびをしながら適当な挨拶を返す横顔にひとめ惚れをしたのだ。

 ひょろりと長い手足をいつももてあまし気味に曲げて、不器用でどうにもイイ感じにスタイリングできないのだと、ふわふわの髪の毛をよく風でぼさぼさにしている男の子。

 クラスの男子なんて大声で騒いだりひそひそ卑猥なことを顔つき合わせてにやにや話してたり、ちょっとお近づきになりたくない、もっと言うなら視界に入ってもほしくないタイプばっかりだと思ってたのに、根古屋くんは違う。つい声が大きくなりがちな相手を宥めたり、クラスの女子で誰が一番胸が大きいかなんて、噴飯ものの話題で盛り上がりかけたアホどもをそれとなくたしなめて話題を変えたり、とにかくまっとうなのだ。

 一度、騒ぐことが盛り上げることだと勘違いしているタイプの男子が、お高く止まりやがって、と根古屋くんをからかったことがある。

 どうせこの中に好きなやつでもいるんだろ、いい恰好しやがって、と。

 その時に、なんと根古屋くん、「いるけど」と普通に答えたのだ。

 あまりにあっさり肯定されたものだから、からかうつもりでいた連中も絶句していた。

 続けて根古屋くん、「竹内、お前もだろ」と続けたものだから、そこからまたギャアギャア面倒くさいことになったのだけれど、そこは割愛。

 根古屋くんはいわゆる、あっさり系男子だ。悟り系、菩薩系? いや、菩薩ではないかな。瀬戸裕也になにか言われてヘッドロック決めてるとこも見たことあるし。

 普通に、普通の、芸能人みたいに恰好いいわけでも、少女漫画のヒーローみたいにお金持ちだったり家庭が複雑だったりもしない、普通の男子高校生。それが、柊木ののが絶賛片想い中の根古屋悠くん。……そのはず、だった。

「普通だと思ってたんだけどなあ……」

 ガンガンと痛む頭を押さえて、深く深く息を吐く。

 現実逃避に目をそらしたくても、どうやらあちらも気づいたらしく。驚きに見開いた目をゆるゆると細め、にんまりつり上がった口が、場違いに朗らかに「あれ?」と言葉を紡ぐ。

「柊木さん。もしかして、見えてる?」

 ゆらり、揺れたのは九つあるという尻尾の影だろうか。

 右手でつるしていたモノをドシャリと落として、手を払って。そこで返り血に気づいたのか、うあーとのんきに嘆いてみせる。

 根古屋くんのそんな一連のしぐさがあまりに平和で、いつも通りで。抜けそうになる気をどうにか引き締めて、ののはぎゅっと手にした刀を握りなおした。

 大丈夫、おちついて。目をそらしたらダメ。仕事の時いつもそうしているように、自分に言い聞かせる。

 根古屋くんが落としたモノが、ぐずぐずと影に溶けていく。でも、そんなこと気にしている余裕がない。

「……妖狐なのに、偽名が『ネコ』なのはどうかと思う」

「たまたま手に入った戸籍が『根古屋』だっただけだよ」

「さらっと戸籍売買匂わさないで! 本部への提出書類が増える!」

「大変そうだね? 退魔師さん」

「ああああああ~……」

 ああもう、うずくまりたい。地面に寝っ転がって駄々こねるちっちゃい子になりたい。もっと言うなら何も見なかったことにして帰りたい。

 日中こそ春の気配を感じる今日この頃だけど、とっぷり夜も更けた丑三つ時、調子に乗ってひざ丈にした袴からびゅうびゅう風が入り込む。つまり、寒い。

 もう帰ろ? 帰っちゃお? 何にも見なかったことにしよ? ……なーんて心の悪魔がささやくけれど、涙を飲んで。いや涙をこらえて鞘から刀を抜き放つ。

「せめて私がうっすら嫌な気配感じ取れるくらいに化けててよね! 根古屋くん九尾の狐!」

 そうだったら、それだったら、私だってこんな無謀な片想い、そもそも始めずにいられたのに!








 柊は魔除けの木だ。

 多分我が家、柊木家の名前はあやかって付けたんだろう。賀茂だの安部だの退魔の大家とどこか遠くで血がつながってるなんてことは一切ないけれど、これでも一応退魔の一族だから。

 木っ端のような末端とはいえ、そもそも退魔師になれる人間自体が希少だったりするので、お強いお偉い一族の人たちの目につかないところで細々と、夜回り先生みたいなことをして日銭を稼ぐのが家業。うん、もちろん薄給だよね! せめて警察とかの公務員的な立場が欲しかった!

 退魔師の報酬は出来高制だ。世知辛いと言わないでほしい。めちゃくちゃ強い悪霊とか妖怪相手にしても固定給とかやってらんねえわ、ってつよつよ退魔師の方々がおっしゃるせいなのだ。おかげで我が家、常にギリギリの生活だけどね! でも一般職に就くにはから続かないんだよね! つらい!

 そんなわけで、少しでも収入を増やそうといたいけな女子高生たる未成年の私までもこうして休前日は近所をプラプラしなきゃいけないのです。おかず一品増やしたいねせめて。健康和定食と言い張っても動物性たんぱく質皆無の食事は成長期にはつらいもの。

 いつもだったら、浮遊霊をいくつかお祓いして帰るだけのお散歩だった。でも今日は全然霊も小妖も見当たらなくて、せめて最低時給分くらいの成果は挙げたいと、欲を出したのが敗因ですねわかります。

「同じクラスのよしみで見逃してくれないかな」

「見逃してほしいのはむしろこっちなんだけど、お上と契約してる以上、通報義務があるんだなこれが!」

「こんなに大人しく暮らしてるのに?」

「うんごめん多分治安維持に貢献してくれてる方だとは思うありがとう! その足元の悪霊とか私がこの前取り逃したやつだよね、手負いで逃がしたら凶悪化するだろってバチクソ怒られたから覚えてる!」

「ああ、だから柊木さんの気配がしてたのか」

 言いながら、根古屋くんは見もせずにぐりぐりと悪霊だったものを踏んづけている。ソレがすっごいうめき声っていうか悲鳴上げて命乞いしてるのに、まるで聞こえていないかのようににこやかだ。

「俺、平和主義なんだよね」

「うーん説得力のない絵面」

「ほんとほんと。ケンカどころか、クラスで大声を出したこともないだろ?」

「思い返せばやんわりとクラスを掌握していたような……? 全部手のひらの上でコロコロ転がしてるから争いも生まれないよ的な……?」

「平和だろ? うちのクラス」

 否定しないっていうことはつまりそういうことなんだな? くっそこれ完全に始末書だ! 再修業だっておじいにまた山籠もりさせられるやつ!

(いやでも、クラスの気になるあの子♡の気になる理由が『人外だから』なんて普通気づかないじゃん!? 賀茂や安部の何某だったらいざ知らず!)

 水たまりみたいになってしまった悪霊の残滓を踏みつけて、根古屋くんがひょいひょい歩み寄ってくる。

 間合いを詰められたらマズいってことはわかってる。わかってるんだけど、あまりの実力差にそろそろ膝が笑い始めてるので、戦略的撤退すら危ういんだよね実は! じゃあなんで刀抜いたって? 虚勢だよ!

「柊木さん、どう考えても勝てない相手に会っちゃった退魔師って、エロゲーの定番だと思わない?」

「根古屋くんの顔でえっちなこと言わないで!? 悟り系男子だよ私の中の根古屋くんは!」

「解脱って難しいんだよね、千年ちょっと生きてても。それでさ、やっぱり定番はよくあることだから定番になるんだよね」

「……その心は?」

「俺の奥さんになってよ、柊木さん」

「その『奥さん』って、『奥さん』と書きつつえっちで特殊な読み方するやつでは!? 聞き逃してはいけない副音声があるやつでは!?」

「あ、さては18歳未満なのに可愛い退魔師の女の子がひどい目にあうやつ何か見たことある?」

「お兄ちゃんがリビングに置き忘れたせいだもん!!」

 違うんだ、そりゃもちろんそういうえっちなものに興味が出てくるお年頃だけど、悪いのはお正月に帰省してきたお兄ちゃんだ。よりにもよって妹系退魔師少女があれやこれやされちゃうマンガを表示したまま、リビングにスマホを置き忘れたお兄ちゃんのせいなんだ……!

 お兄ちゃんだって、かわいいなーとかサラッと根古屋くんがなんか言ってる。っく、だまされない、だまされないぞ私は!

 つう、と根古屋くんが人差し指で刀の峰をなぞる。

 抜き身の刀に堂々と触られて、しかもいつの間にか目と鼻の先にまで近づかれていたことにぎょっとして肩を跳ねさせた私を見て、赤い赤い唇が歪んだ。

「俺、昔からのんびり平和に暮らしてただけなんだけど、他の兄弟たちの血の気が多くてさ。賀茂だの安部だのにちょいちょい討伐されたせいで、実は一族最後の生き残りなんだよね」

「敵討ちならうちは不適当だと思う! おじいのお母さんが突然変異で退魔師になっただけの歴史激浅一族だから我が家……っ」

「あはは。しないよ、敵討ちなんて。平和主義だって言ったろ?」

「ひぇっ」

 するりと、根古屋くんの尻尾が腰をかすめる。

 気づいた時には九本あるという尻尾で周りをぐるりと囲われていて、伸びてきた根古屋くんの両手で頬を包まれても、一歩だって後ずされなくなっていた。

「敵討ちはしないけど、ひとりぼっちは寂しいんだ。俺の家族になってくれるよね」

「絶対その『家族』にも聞き逃しちゃいけない副音声あるやつだ……!!」

「うんうん。そういう展開を期待されてるなら、応えるのもやぶさかじゃないよ、俺。ご両親への挨拶は前と後どっちがいい?」

「何の前と後なのかとか絶対聞かない、聞かないからね……!」

 まあ、そんなことを言っても今さら逃げられるはずもなく。かと言って根古屋くんは無理強いをするでもなく。

 ひとまずもう夜遅いから帰ろうか、なんて言われた次の瞬間には自宅の前にいた私の気持ち、わかってもらえるだろうか。

 目の前どころか隣にも後ろにも誰もいない。まさに狐につままれた、さっきまでのあれこれなんて深夜の見回り中にうっかり寝こけて見た夢ですよ、と言わんばかりの出来事だった。

 ぼうっと抜き身の刀片手に立ち尽くす私を、同じく見回りから戻ってきた両親がすわ過激な反抗期突入かと気をもんでいたことにも気づかず、私はふらふらと家に入ってお風呂に入り、布団にもぐりこんで……そこから一週間、38度の熱を出して寝込むハメになった。

 あ、根古屋くんのこと、通報し忘れた。なんてことに気づいたのは、休み明け、下駄箱に靴を入れて振り返った根古屋くんとバッチリ目が合ってからのこと。

「おはよう、ののちゃん。ひとまず彼氏彼女からよろしくね」

「ひぃっ、始末書と罰金……!!」

「大丈夫、俺と労働基準監督署はののちゃんの味方だよ」

 未成年者の賃金労働って時間帯の制限があるんだよ、だなんて。

 色んな意味で強かな大人ぶって、根古屋くんはやっぱり風で髪をぼさぼさにされながら、名前の通り――偽名だったけれども!――にんまり笑う。



 私の心臓が不整脈を起こすような、そういうタイプの笑い方だった。

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