第3話 記憶の隅に眠るもの

「ふざけんなよ!次やったらお前ただじゃ済まさねえぞ」

「すみませんでした!気を付けます」

「ちっ、クソが!」


 やっとの思いで元の世界に戻ってこれたのに、店での俺もたかだかこんな存在だ。

色々考えるべき事はあるが、生活はしなければならない。

 殴られた左腕も青あざが痛々しく残っているため長袖の服で隠してある。

そして、今も続く痛みはあの時の出来事を強く思い出させる。


「大丈夫か?ユウト。ひどい顔だぞ?」

「あ、すみません、先輩。ミスっちゃって……」

「真面目過ぎると疲れるだけだぞ。適当に受け流せって」

「はい……」

「だからそこだって。あのさ、ユウト。オレ来週この店辞めんだわ。」

「え…!?なんでですか?」

「つーか音楽やめて働くわ。彼女が結婚したいんだってさ。ま、オレももう30だしな……。」

「そんな、新曲レコーディングしたばっかでしょ?」

「まーなぁ。でも、どこにも引っ掛かんなかったわ。ドラムのやつも他に呼ばれてるとこあるらしーし。」

「……。」

「あんがとな。お前、毎回ライブ来てくれてたもんな。ユウト、お前もやりたい事あるならちゃんと思い残すことないようにな。」

「はい……」


 誰もいない部屋は気づけば以前よりも物が散らかり放題だった。

そういえば、ここ数か月あんな目にあったから掃除なんてまともにしてなかったな。

 やりたい事、か……。

机の上の道具はどれもこれもホコリを被ってしまっていた。あれだけ夢中になって描いていたのに、いつから描かなくなったんだっけな。せっかくあんなに母さんを説得して上京したのに。

 こみあげてくる虚しさを隠すために、辺りのごみを手当たり次第に捨てまくる。

そうしていると浮かんできた汗の分だけ何かをやった気になれた。



 後日、俺は家から少し離れた大きな公園に来ていた。

何か考え事をしたいときや、アイデアがほしい時などにちょうどいいからだ。

そこら中に綺麗な花が植えられていたり、大きな木が木陰を作っていることで暑いなかでも涼やかに過ごすことが出来る。

 場所によって変わる土の感触を味わいながら歩く。


 前回の異世界転移(と言っていいのか悩ましいが)では、7日間の滞在ではなく、

6日間と半日くらいの滞在だった。今まではきっちり7日間だったのに。

 何かのきっかけで時間が変わったとは考えられないか…。

 今までと違った事は3つだ。一つ、ようやく向こうの世界のヒトと言葉が通じたこと。二つ、エリちゃん、つまり同じく転移してきた人と会えたこと。三つ、彼らが俺たちを捕える理由。

 彼らは地球に行きたがっていた。一体なんでなんだろう?まさか黄金の国やらユートピアがあるなんて思ってないだろうしなぁ。そもそも機械の体のくせに住む場所を変える意味があるのか?

 ダメだ、わからないことだらけだ。

 あ、そういや、今回自分の家に帰ってきたとき少し違和感があった。部屋の冷房がなぜかついてたんだよな。多分、気を失う前につけたんだと思うけど。電気メーターを見てどれくらいついてたか確認してみるか。


 そんなことをぐるぐる考えながら歩いていると、いつの間にか公園を一周してしまっていた。体もかなり汗ばんでいる。

 近くの自販機で水でも買おうと探しているときだった。ふと誰かに声を掛けられた。

「あれ?ユウトじゃん!久しぶりだな!」

振り返るとジョガーの恰好をした短髪の若い男が立っていた。

「え、と。すみません、誰、ですか?」

「なんだよ、俺のこと忘れたのかよ!ま、つっても高校以来だしもう10年ぶりか?竹下だよ。竹下剛たけしたごう。そういや、お前もこっち来てたんだな。」

 この歳で高校時代の記憶を掘り起こすことになるとは思わなかった。そういえばこんな爽やかなスポーツ青年、クラスにいたような……、いたか?

「ごめん。あんまり覚えてない。」

「正直なやつだな!ま、ユウトらしいけどな。」

 しかも、名前で呼び合う仲だったのか。

「ほら、お前、漫画のモデルにしたいからって、よく俺の走ってる姿をスケッチしてたじゃん!」

 その瞬間なにか閃くものがあった。

「あ、陸上部の!そういえば放課後ずっと練習見てたなあ。懐かしい!」

 思い出せなかったのは無理もない。同じクラスになったことがなく、ほんの一年ほどの付き合いだったからだ。

「やっとかよ!で、どうよ、最近は?描いてんの?漫画。」

「あぁ……いや、あんまり、ていうか全然……。剛、あれ?違うな竹下?」

「どっちでもいいって」

「……そっちは?」

「あぁ、まだやってるよ、陸上。昔と違って中距離に切り替えたけどな。でも、そのおかげで選手権大会で一位になれたんだよ。」

 そう語る彼の表情は明るく希望に満ち溢れているように見えた。

「はは、すごいな。君は。」

「何言ってんだよ。お前のおかげで今も続けてんだぞ。」

「俺が……?何かしたっけ?」

「それも忘れたのかよ。ま、お前にとっては普通の事だったのかもな。」

 まったくもって思い出せない。当時の自分は今の自分と比べ物にならないくらいリア充してたみたいだ。

「それに感謝してるのは俺だけじゃないんだぞ。南雲なぐももだよ。知り合いなんだろ?お前ら。あ、そうだ。あいつから伝えてほしいって言われてたんだ」

 また古い記憶を引っ張りだすことになるのか。

 えーと、なぐも、名雲?南雲?


「おいユウト、アイツ悲しむぞ!南雲絵里だって!ホントに忘れたのか?」


南雲絵里なぐもえり……?!…えり?エリちゃんだって……っ!?」

 大人になるというのは、こんなにも大事な記憶を忘れてしまうという事なのか。

 そういえば向こうの世界で会った彼女も俺の記憶の中の絵里と同じ声だったように思う。

「おい!ユウト?おい、なあ聞いてんのか?」

 竹下剛の言葉がどんどんと遠ざかる。

 いろんな情報が、記憶が、感情が、体中を駆け巡っていた。

 そうだ。あの頃の小学二年生のエリちゃんはいつも泣いてたっけ……。


「私、寝るのが怖いんだ……。嫌な夢見るから……。」

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僕はジゴクを行き来する 富屋まーる @koyamaru

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