お勉強 ⑤

 「ねぇ先輩」

 「なんだい助手君」

 姿の見えない蝉がちらほらと夏の始まりを告げる。彼らは緑の葉の裏か、はたまたどこかの電柱の陰か、どちらにせよこちらに姿を見せない様はまるで忍者を彷彿とさせた。

 計算上かたまたまか、窓にかかった緑のカーテンが先輩の実験室に入る日差しを和らげている。

 「助手君の宿題ならやらないよ」

 「わかってますよ。今回頼みたいのは、その、テスト前とか夏休みだけでもいいんで勉強教えてください」

 前の宿題の頼みや舌打ちもあってバツが悪いのか、段々と言葉尻を小さくしながら頼む。

 「ローマは一日にしてならず」

 先輩は国語の便覧をパラパラとめくりつつ答える。きっと今はことわざ辞典とかそういうページなのだろう。

 「何事も一朝一夕で身につくモノではないよ。毎日続けないと成果に期待はできないだろうね」

 要するに、夏休みやテスト前の短期講習だけで頭が良くなることはないと、そう言っているのだ。いちいちカンニングしていたであろうことわざを絡めている部分は鼻につくが。

 「いやでもだって、それだと先輩に申し訳ないじゃないですか。だからこう、先輩には追い込みというかブーストと言いますか、そういう仕上げ部分をお願いしたいなぁと思いまして」

 助手ちゃんの周りの人物の内、受験生を除くならば先輩が一番成績が良い。そういう点で彼は適任である。

 「そういうことならわかったよ。それにしてもあの助手君が、いったいどういう風の――。いや、そんなことはどうでもいいか」

 先輩は失礼な失言を途中で引っ込める。せっかくの助手君のやる気を心ない一言で鎮火させてしまうのはもったいない。

 「今、「あの助手君が」とか「どういう風のふきまわし」って言いました?」

 「言ってないよ」

 息をするくらい自然な流れで嘘をつく。繰り返しだが、勉強にやる気のある今の助手君の殊勝な状態を一息に吹き消すわけにはいかないのだ。

 「でもそうやって勉強する気になったということは、最近聞いていた勉強する理由が見つかったと言うことなんだろうね。僕自身もあまり勉強に身が入りやすい人間ではないし、苦手なモノを楽しいに変換できる器用な人間とも言いがたい。勉強は必要なことだと頭では理解しているんだけどね。だから僕も参考にしてみたいし、よければ助手君の勉強する理由を聞いてみてもいいかい?」

 よって、先輩は不要な言葉を掘り返されない方法として、普段よりも興味倍増しにすることで誤魔化した。

 「お馬鹿キャラはイヤだなって思ったんですよ」

 そんな先輩の饒舌な上機嫌とは対称的に、助手君はへらへらとした苦笑と自虐の入り混じった暗い笑みを浮かべる。

「私のまわりがみんな賢すぎて、私このままじゃお馬鹿な立ち位置になっちゃうんじゃないかなってことに恐怖を覚えたんですよねー」

 馬鹿馬鹿しくも切実な悩みを払拭するためには、もはや理由などと言っていられない。

 「だから先輩! 頑張ってくださいね!」

 「頑張るのは助手君だよ」

 本日も実験室にけが人はなし。

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