お勉強 ④

「押忍! 番長さん」

「……おい、入り口にいた見張りはどうした」

 町の外れの工業地帯。通りに一軒家など居住のための建造物は一つも無く、工場、部品屋、弁当屋しか目に付かない。普通の学生ならばこのあたり一帯に立ち寄ることはないだろう。

 そんな地域の中にある第十一番倉庫。番長さん達の集い場に助手ちゃんは遊びに来ていた。

「えっと、顔パスで通れましたけど」

「そうか」

 倉庫の表にいた二人には最初に来たときこそ怪訝な顔をされたものだが、今では即興のてきとうな合言葉で通してもらっている。今日は「ベニクラゲとアカトンボ」で通してもらった。

「誰か他の奴に絡まれたりもしていないな」

「はい、大丈夫でした」

 問われて助手ちゃんは朗らかに答える。

 この場所では絶対に大丈夫だという安全の保障はない。たまたま肩をぶつけた相手が、たまたま目線が合った相手が、たまたますれ違った相手が血の気が多い人物だったならば、か弱い助手ちゃんなどすぐに暴力という力に飲み込まれてしまうだろう。

 そんな助手ちゃんに限りなく絶対に近い安全を差し出せるのが、この番長さんである。

「もしここらの誰かになにかされたなら必ず言え」

「殴って解決ってやつですか」

「そういうことだ」

 番長さんはその言葉を特に否定はしない。そういう方法が彼らのルールであり、だからこそ番長さんは友人である助手ちゃんを安全圏にできる。

 彼が喧嘩の頂点である限り誰も助手ちゃんに悪意を向けられない。

「……だが」

 番長さんはそこで大きくため息をつく。この後の言葉は言っても無駄だとわかっているのだ。

「一番いいのはお前がこんなところに来ないことだ」

 もう何度目かもわからない忠告を呑気な顔してる助手ちゃんに告げる。彼としてもいつまでも王座に座っていられるわけでもない。急な下克上やカチコミで奪われてしまうこともある。そうでなくとも来年になると卒業をもってして退かなければならないのだ。

 しかし助手ちゃんはそれでも物怖じせずに返した。

「だってここに来ないと番長さんに会えないじゃないですか」

 助手ちゃんだってここが安全でない場所ということはわかっている。

「教室行ってもいっつもいないですし散歩しててもぜんっぜん見当たらないですし、自分からここに来た方が一番手っ取り早く番長さんに会えるんですよ」

「どうしてそうまでして俺に会いに来る。友人くらい、他にいくらでもいるだろう」

「何言ってるんですか。私は番長さんに会いに来てるって言ってるじゃないですか」

「…………それは――」

 言われた番長さんの頬は少し熱を帯びる。

 これは、そういうことだと受け取っていいのか。他ではない自分を区別して会いに来てくれている。それはつまり自身に好意を剥けて貰っていると受け取っていいものなのか。

 いやでも彼女をこんな道に巻き込むわけには、それなら俺が真面目に……、いやまだ早まっては駄目だ。そんないくつもの思考が番長さんの頭の中を駆け巡る。

「……どうしました?」

 そんな考えを見透かしているのか、助手ちゃんは疑問の目で番長さんを覗くように見る。

「いや、なんでもない」

 そんな考えを少しでも見透かされないようにと、ふいと顔を逸らした。そしてそんな番長さんに付け足すように助手ちゃんは言う。

「もちろん団長さんに会いたいときは団長さんのところに、キッドに会いたかったらキッドのところに、鮫瓦ちゃんに会いたいときは鮫瓦ちゃんのところに行きます。で、今日はたまたま番長さんの気分だったんです」

「……そうか」

 この場合、番長さんは早まらないでよかったといえる。助手ちゃんにはわかるはずもなかった番長さんの逡巡は正解だったのだ。

「ああでも、一応用事もあります」

「……? 最近はあいつに頼み事もしていないから、おつかいはないはずだが」

 頬の熱も冷めたことを意識しつつ、助手ちゃんに向き直る。

「はい。今日は別に先輩のおつかいじゃありません。私の用事です」

「お前が俺に何の用だ」

 番長さんが助手ちゃんに尋ねる。言葉に威圧が混じってしまっているのは、もはや番長さんの癖なのだろう。

「ちょっと番長さんの考えも聞きたくてですね。勉強ってどうしてやるんだと思います」

 助手ちゃんが問うた言葉を、番長さんは真剣に捉え腕を組みつつ考える。そして答えた。

「百点をとるためだろ」

 至極当然の常識である。そんな声だ。

「それはそうなんですけど。もっとこう人生における勉強とは、みたいなことが聞きたいんです」

 確かに番長さんの言うことも間違いではない、むしろ正解に近い答えであることは助手ちゃんはわかっている。しかし今彼女が聞きたいのはもっと大きな目的、言い換えれば『勉強』という行動の行き着く場所を尋ねたいのだ。

「ああ。だから満点を取るために勉強するんだろ」

 しかし番長さんの答えは変わらなかった。

「え、えーと。……つまり?」

「つまりか。……つまりと言われてもだな。……人よりいい点とれば、それだけ自分の方が上になる。そうやって力を出し合う競争に勝たなきゃいけねぇから勉強する。……俺らがやってるのは、勉強じゃなく腕っ節の競争だが、それでも同じことだろうな」

 番長さんは己の拳に目をやる。固くて大きくて、そして痛々しい傷のある拳。

「お前はこっちの道じゃなく、勉強の道で勝負すればいい。少なくとも俺よりはいい点とれるだろうからな」

 番長さんは、にっと笑って言う。つまり彼は、勉強とは競争の道具だと言っているのだ。

 「なるほど。番長さんらしいですね」

 「そうかもな。それと、用事が終わったならもう帰れ。暗くなる前に」

 「そうですね、わかりました。ありがとうございます。また来ますね」

 そうして助手ちゃんは倉庫を後にする。空はもうすぐ赤く染まりそうだ。

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