お勉強 ③
「あ! おーい、麒麟ちゃーん!」
あくる日助手ちゃんは、河原の堤防で何をするでもなくただただ遠い空を眺めていた白髪の友人を見つけ、声をかけた。
「……。……」
しかし返事は帰ってこず、その友人は尚も空を眺め続ける。
助手ちゃんはやれやれというふうに両腕を水平に揺らす。そしておもむろに麒麟ちゃんの背後に近づいた。
「…………ひひ。だーれだ!」
言って助手ちゃんは麒麟ちゃんの両の目を隠す。
「……? ……あ」
言った後、麒麟ちゃんはそっと助手ちゃんの手を下ろした。
「ごめんね助手ちゃん。気づかなかった」
そのまま麒麟ちゃんは振り返ることなく答えた。
「いいよいいよ。今日もこんなに気持ちいい天気なんだし。私でも多分気づかないよ」
「助手ちゃんだったら寝ちゃいそう」
「あはは、たしかに……」
助手ちゃんは静かに目を閉じる。すると髪を揺らし上げる程度の優しい風が首筋を吹き抜けるのがわかる。心地のよいそれは、まるで身を包むベールのようだ。
「……zzz」
「……助手ちゃん」
「ハッ! ……あ、ありがと麒麟ちゃん。危なかった、暗くなるまで眠っちゃいそうだったよ」
麒麟ちゃんの助けで、その後なんとか助手ちゃんは微睡みから抜け出す。やはり柔らかな日差しとは時として敵にならねばならないのか。
そうして二人でひなたぼっこをしていると、ふと助手ちゃんが麒麟ちゃんの手元に興味を向けた。
「今日持ってるのは、いつもみたいな難しい本じゃないんだね。それは、……単語帳?」
「うん。『絶対確実! 頻出英単語100』だって」
麒麟ちゃんが持っていたのは、彼女の小さく細い手にも収まるような、四つの輪っかで端を繋げられた長方形の単語帳。今は「departure」のページが開かれてる。
「真面目だ」
「ふふっ」
不意を突かれたように、麒麟ちゃんが微笑んだ。
「どうしたの? 麒麟ちゃん」
「助手ちゃんは知ってるのに。ここにいるときのわたしは開いてるものを読んでいないこと」
「いやまぁそうなんだろけどさ。……休憩しに来てるんだもん。私だったら勉強に関するものは全部置いてきそうだからね」
「なら、……助手ちゃんは不真面目だね」
「そうそう」
助手ちゃんと麒麟ちゃんは、互いにくすくすと笑い合う。助手ちゃんはともかく、麒麟ちゃんのその姿はまるで深窓の令嬢のような気品が漂う。
「あ、そうだ。勉強といえば、麒麟ちゃんはどうして勉強するのかーとか考えたことってある?」
助手ちゃんはそこでマイブームの最近を思い出し、麒麟ちゃんにそう尋ねた。
そして、尋ねられた麒麟ちゃんのほうはこてりと首を左に傾げた。
「ない。…………でも、勉強しなさいってみんな言ってるから。助手ちゃんもした方がいいよ、勉強」
「ははは……、それはそうかもなんだけどぉ。……それだけだと、そのぉやる気が続かないなぁって」
助手ちゃんはバツが悪そうに目をそらしながら応えた。実のところ、最近このことを聞き回っていた理由はこれである。何かわかりやすい利益か理由がほしかったのである。
「勉強していれば大人のときに苦労しなくてすむよ」
しかし助手ちゃんはその言葉を懐疑的に受け取ってしまう。「そんなことはない」と断言してしまうわけではないが、やはり心のどこかで、勉強頑張ったけど苦労する人はいるだろうと思ってしまうのだ。
「現にわたしは今、苦労してない」
助手ちゃんのそんな心を知ってか知らずか、麒麟ちゃんはそう付け足した。
「ほえ? 麒麟ちゃんってもう大人なの?」
助手ちゃんと同じではないが、麒麟ちゃんもまたどこかの学校の制服を着ている。自分とあまり歳は離れていないだろうと思っていた助手ちゃんにとって、その言葉は衝撃だった。
だが麒麟ちゃんは助手ちゃんのその問いに、さも当たり前のことを返すように言う。
「18才は大人でしょ?」
「た、確かに成人だけどさ」
もしも大人と子供の線引きを明確にするならば、そこなのだろう。事実、社会から成人と認められることで結婚や選挙が可能となる。一昔前ならばお酒や煙草もこの成人という枠に入らなければ使えなかった。
「あ、でも私まだ16だ」
「ならあと二年だね」
二年。まるでタイムリミットのようだ。きっとその時間が過ぎ去るまでにきちんと準備をしておかないといけないんだろうなぁと助手ちゃんは先の見えない不安に思いを馳せる。具体的になにをすべきかはわかっていないが。
「わたしは言われたように勉強してたおかげで、みんなの言う理想の学校を狙える。それに……みんなわたしを「賢い子」って思っているからこうして自由にここにこれる」
麒麟ちゃんは言って静かに立ち上がる。行かなければならない時間となったようだ。
「だから助手ちゃん。また来てね」
「うん! じゃあね麒麟ちゃん」
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