第二話 どう使おう?

どう使おう? ①

「ねぇ先輩」

「何だい助手君」

 五月の頭、カレンダーの青い日。実験室では、雇用主である痩せた体に白衣を着た先輩と、監視役として時給幾ばくかで雇われた助手君が、観葉植物と実験用品があふれかえる先輩の実験室で、いつものように実験と監視を行っていた。

「もうそろそろ私がここに来て一ヶ月になるじゃないですか」

「そうだね?」

「そのー。お給料って、どうなってるんでしょう」

 助手君は胸の前で手をもむ。しかし先輩はしばし黙る。その目は、徐々に横にスライドしていく。

「……え、なんです、その顔。不安になるんでやめてくださいよ。……忘れてないですよね?」

「そ、それは……」

「嘘、嘘ですよね? 先輩? マジで言ってるんですか?」

「忘れていた。机の上の給与明細渡すことをすっかり忘れていたよ、ごめんね、助手君」

 忘れていた、その言葉が耳に入ったことで助手ちゃんの思考にぐにゃりと歪みが生じた。つまりお給料なしかも、そうよぎったのだ。

 しかし今の流れが先輩による質の悪いいたづらだと認識するや否や、助手君は先輩の視線の先にある、窓際におかれた机の上から明細をとる。その速さは並のボクサーのジャブの速さは超えていただろう。

 助手君は封を切り、おそるおそる一枚の紙を取り出す。

「一、十、百、千、万! よし!」

「初任給おめでとう。一応見方を教えようか?」

「ああいえ、大丈夫です。姉ちゃんので見たことはあるんです。けれど、やっぱりいいですね! これで、ほしかったあれやこれやが手に入るんですから!」

「お金自体は、先日きちんと口座に振り込んでるよ」

 助手君は明細を持ち上げ小躍りをしている。先輩の言葉はもう耳に入らなかったようだ。

「でも確かに、はじめて稼いだお金には僕も特別感を感じたよ。どんな実験器具を買おうか、どんな薬品を揃えようか。誇張抜きで一週間は悩んださ」

 先輩はそこで、現在顕微鏡をおいている机をなでる。

「結局はこの理科用実験台にしたんだ。学校で毎日のように見ていたけど、自分専用の机が来たときは、嬉しかったなぁ」

 先輩が一人語りをしている間、助手君はまだ踊っていた。「いえーい!」と叫び両手を天に突き上げていた。

「……助手君。ちょっと落ち着こう」

 そこまで広くない実験室。壁の棚にはいくつかの薬品が置いてあり、このまま助手君を放置していると、事件室になってしまう。先輩は助手君の肩に手を置きなだめる。

「す、すみません、先輩」

「本当はあまり僕が口を出すべきじゃないとは思うけど、ご利用は計画的にしたほうがいい」

 先輩が笑顔に凄みを混ぜ脅す。

「わ、わかりました」

 助手君は少しだけ反省し、明細を封筒の中に戻した。

 その後、本日の実験と監視は滞りなく進み、助手君は帰路につく。

 どれから買おうか何から買おうか、助手君のその悩みは寝るまで絶えることはなかった。

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