ブドウ園にて

霞(@tera1012)

第1話

 一目見た瞬間から、私はその家族に惹かれていた。


 まだよちよち歩きの小さな子供は、大柄な男性と手をつなぎ、時折周囲を見回しながら、機嫌よくニコニコとしている。


 柔らかそうなふっくらとした頬、むき出しの細い首、むっちりとした腕。


 傍らには、母親だろう、華奢で色白の、長い髪の女性がいる。3人は寄り添い合い、頭上のぶどう棚を見上げて笑い合っていた。



 秋のぶどう農園は、ぶどう狩りの観光客で賑わっている。今は、一年にほんの数週間しかない、この農園の食べ盛りの時期なのだ。


 私は、この農園を所有するぶどう農家で生まれた。休日の今日は家の皆は総出で農園に張り付いている。私も、皆と一緒に車に乗って農園にやって来ると、朝からずっと、入っては出て行く観光客を見守っていた。



 実は私はもう、かなりいい年齢としだ。子供が欲しい。そのためには何だってする。そんな切望が、最近の私をいつも苛んでいた。


 その時、突然、凶暴な衝動が私を支配した。

 欲しいなら、奪うまでだ。


 親子連れの、父親を観察する。彼も、とても魅力的だ。


 おそらく格闘技か、ラグビーなどの力を使う競技をしているのだろう。がっしりとした体つきをしている。

 日焼けした、たくましい二の腕。盛り上がった肩、太い首。

 季節はもう秋だというのに、真夏のようにTシャツとハーフパンツ姿で、引き締まったふくらはぎはむき出しだった。


 私は彼から、大切なものを奪おうとしている。でも、それのどこがいけない。生まれてからずっと、日陰の嫌われ者だった私が子供を得るには、こうするしかない。


 辺りはいつの間にか夕闇が忍び寄り、ブドウ園の閉園時間が迫っていた。人影はまばらだ。

 私は、園を出て行く親子連れの後ろを、少し距離をとりそっと追いかける。


 真っ暗になった駐車場で、チャイルドシートに子供を固定しようと、大人ふたりの意識が車内に集中した瞬間、私は決行した。





 パシッ。


 夕闇に、肌を打つ派手な音が響き渡る。


「え、なに、どうしたの」

「さいあくー。たぶん蚊にくわれた」

「えー、もう秋なのにね。まあでも、その恰好、どう考えても狙われるよね」

「はあ……。ちょっと明かり……おお、やった! 潰してやったぜ!!」

「はいはい、良かったねー。さ、できた。帰るよー」

「おう」


 軽快なエンジン音を残し、軽自動車はぶどう園の駐車場から走り出す。



「ところでさあ、蚊ってメスしか血を吸わないって知ってる?」

「え、そうなの?」

「それもさ、卵を産む前だけ吸うらしいよ。栄養がいるから」

「へえ……。蚊も大変だな。でもまあ、黙って血はやらねえけど」

「かゆいしねえ。りっくんが刺されなくて良かったよ」


 助手席の若い母親は振り向き、後部座席でうとうとしている我が子を、そっと眺める。その唇には、知らず柔らかい微笑みが乗る。


 空には、宵の明星が輝き出していた。

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