目が覚めた。知らない女が泣いていた。

稀津月 麗慈

第1話

 時代が進んだことで、多くの人々が助かるようになった。

 医学の発展により、治らない病気などはほとんど無くなった。遺伝子治療に手術、再生医療、また内服薬や手術技術も大きく進歩した。平均寿命も延びた。

 これは俺が、僕が、医学によって、医療によって、殺され、救われた話だ。進歩しすぎた医学によって。


 ある日、俺は、神崎悠人は、彼女に会おうとしていた。その日は彼女の誕生日だったのだ。付き合って2年、俺は25歳のサラリーマンで、彼女は24歳のOLだった。お互いに愛し合っていたし、2年経ってもいい関係が続いていた。

 誕生日プレゼントにと選んだ彼女が好きなブランドの指輪を車の後部座席に載せ、帰り道を急いでいた。早く会いたい、早く指輪を渡したいその一心で、急いでしまった。

 スマホが音を立てて光った。彼女からのメッセージの通知だ。助手席に置いてあったそのスマホに一瞬目をやる。彼女からのメッセージに気付いた。

 目を奪われてしまった。そして視界が奪われた。

 

 「今どのへんー? 早く帰ってきてね!」


 ああ、俺も同じだよ、早く帰りたい。



 目が覚めた。頭が割れるように痛い。

 まるで“何か”に頭の中を喰われているみたいにじわじわと痛む。

 あまりの痛みに顔をしかめると、その場にいた女性が抱きついてきた。涙でびしょびしょに濡れた顔を隠そうともせず、俺の胸元に飛びついてきた。

「“拓也”!本当に……!本当に助かるなんて……!

 あなたが、もう治らないって聞いて……私……私! 」


 拓也って……誰だ?


 山岸拓也

 それが俺の名前だった。

 クロイツェルト・ヤコブ病

 異常プリオンというタンパク質によって起こる難病。身体の主なパーツであるタンパク質の中に、異常なタンパク質が出現し、身体の正常なタンパク質を次々と異常な形に変えてしまい、脳が侵され、穴が開き、そして死に至る、はずの病であった。原因は未だに不明なことが多く、山岸拓也もまた、孤発例といわれる原因が不明な患者の1人であり、死にゆく運命を受け入れるだけの日々を過ごしていた。

 だが現代医学はそれに打ち勝った。

 否、勝っているのだろうか。だって……

 

 山岸拓也の「脳は、もう死んでいる」


 現代医学はクロイツェルト・ヤコブ病に打ち勝つ方法を見つけ出した。原因となっている異常プリオンの立体構造を得意的に攻撃する薬剤の開発により、病気が進行する事は無くなった。しかし、脳や神経は基本的に再生しないため、すでに破壊された脳や神経を復元する事は、再生医療が発展した今日でもまだ不可能だ。

 それを回復する一手として考えられた方法こそが

 「大脳部分移植」

 成功率が高いわけではないが、“死後間もない”人間の脳を移植し、最新の技術で神経同士を接続し、失われた脳の機能を取り戻すという方法。

 脳の機能は不明なことが多い。記憶や意識が脳のどの部分に存在するかもまだ不明瞭な部分が多いが、脳全体に分布しているという考え方もある。

 そう、ここまで言えばわかるかもしれない。

 俺、“神崎悠人の肉体は、すでに死んでいた”

 神崎悠人の脳は、クロイツェルト・ヤコブ病によって死の淵に瀕していた山岸拓也に移植された。移植された脳はほんの一部であり、普通は移植を受けた人間の意識が優位となるはずだった。

 つまり、本来であれば山岸拓也として目覚めるはずだった俺の脳は、神崎悠人の脳として目覚めてしまった。


 これは

 1人の人間が自分でなくなってしまっただけの物語

 1人の人間が、見知らぬ誰かになってしまっただけの物語

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目が覚めた。知らない女が泣いていた。 稀津月 麗慈 @reiji-kitsutsuki

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