第三章 支配者たちの晩餐・4
ずらりと並ぶご馳走を前に、グエン王子は表情を輝かせながら何か言った。ニアーダ語だから定かではないが、たぶん「おいしそう!」か「すごいなあ!」だろう。
だらしなく緩んだ口元に、アテュイスの面影を見ることはできない。ハーレイは密かにがっかりした。
「はじめまして。第三皇子のハーレイです。お目にかかれて光栄です。こちらは兄のクロードで……」
グエン王子には帝国共通語で声をかけた。実は初めから、ニアーダ語で挨拶する気などなかったのだ。
ところが、グエン王子の反応は鈍かった。耳を傾けてくれはしたものの、困り顔で微笑まれて、
「いま、通訳、イナイ。帝国共通語、よくわからナイ。ゴメンネ」
と片言で返事をされた。ただの挨拶だから、通訳がいるほどのことでもなかろうに。
「ハーレイ、食べ物を取りに行こうか。あっちに牛肉の黒胡椒焼きもあるよ」
クロードは半ば強引にハーレイの手を取り、グエン王子から引き離す。皇族の特権で行列に割り込み、焼きたての牛肉を盛り付けてもらう。
「ねえ、なんでグエン王子には言葉が通じないの? ちゃんと勉強してこなかったのかな」
「そうだろうね」
「怠け者なんだね、あの人」
小声で尋ねると、クロードも小声で答えてくれた。
「そういう意味じゃない。ニアーダは、まだ帝国の支配が完全には及んでいない。だから帝国共通語が話せなくても仕方がないよ」
「支配って?」
クロードの答えは返ってこなかった。背後からダンバーが怒鳴りつけてきたからである。
「何やってんだ、お前らは!」
まだ宴が始まって間もないというのに、ダンバーの息は酒臭かった。顔も真っ赤で、逆立つ髪とほとんど同じ色に染まっている。
ハーレイは思わず「うわあ」と声を上げた。酔っ払った長兄は、本当にたちが悪いのだ。
「見てたぞ。お前ら、属国の連中に挨拶回りなんかしやがって」
属国。またも刺激の強い言葉が飛び出した。
周りの人々もぎょっとしてダンバーを見るが、すぐに視線を逸らす。ハーレイは長兄の失礼な発言が、国賓の人たちに聞こえないようにと祈った。
「兄さん、この場ではそういう言葉を使うべきじゃない」
「いい子ぶってんじゃねえよ、クロード。本当のことだろうが」
「声も少し大きすぎるよ」
「うるせえな。俺たちはユーゴー帝国の皇族だぞ。宗主国なんだよ。分かるか? あいつらのほうから俺たちに挨拶しに来るのが筋ってもんだろ、え? それがこっちからのこのこ頭下げに行くとは、お前は帝国の威光に泥を塗るつもりかよ!」
ダンバーはいまにもクロードに殴りかからんばかりの勢いで叫んだ。広間にいる人々全員に聞こえてしまったろう。ハーレイは慌てて長兄の腰にすがりつく。
「やめて! クロード兄さんは悪くないよ、僕がお客さんに挨拶したいから一緒に来てって頼んだんだ!」
「何だと? 誰がそんなことしろって言った? ……さてはライサンダーの野郎だな。あいつめ、俺の弟にくだらねえこと吹き込みやがって」
「ち……違うよ。ライサンダーは関係ないって」
ダンバーの怒りは、なぜかハーレイではなくライサンダーに向けられた。
確かにライサンダーは国賓に対する礼儀を教えてはくれたが、挨拶しようと思ったのはハーレイ自身の思いつきだ。ハーレイのせいでとばっちりを食らわせては気の毒である。
「ぶん殴ってやる!」
ダンバーは賓客たちを押しのけ、猛然と歩き出した。
こうなっては誰も手を付けられない。父上が止めてくれればいいが、どこに行ってしまったのか姿が見当たらなかった。
突き飛ばされたラマヤットのセニシカ女王が悲鳴を上げる。手にしていた葡萄酒がこぼれて、白いドレスに血のような染みが広がった。
いまライサンダーは広間の外で、護衛隊長として立っている。従順で忍耐強い彼なら、たとえダンバーの鉄拳が何発飛んでこようとも、抵抗せずに殴られるはずだ。
――どうしよう、僕のせいでライサンダーが……!
恐怖と申し訳なさで、震えが止まらない。
そのとき、誰かがとん、とハーレイの肩を叩いてくれた。クロードかと思ったが違う。
心配ない、大丈夫だ。そう聞こえた気がした。
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