第三章 支配者たちの晩餐

第三章 支配者たちの晩餐・1

 帝国暦一八一年(ニアーダ王国暦五三四年)一月


「本日からは、五日後に催される年始の宴に備えて、周辺の友好国と我が国の関係について、復習もかねて学んでいただきます。……まずは、西の隣国ニアーダ王国からです」

 その日、ライサンダーの授業は、こんな風に始まった。

 これまでにもハーレイはライサンダーとの授業の中で、アテュイスと彼の祖国、ニアーダ王国にまつわる知識をいくらか得ていたが、詳しく教わるのは初めてのことだった。

 年始の宴。それ自体は毎年一月の恒例行事だが、外国から国賓を招くのは珍しいことだ。帝国暦一八一年は、今上帝ハルバード三世の在位三十年を迎える記念すべき年だから、例年より盛大な宴が開かれる予定なのだそうだ。

 大人たちにとっては、その日の昼間に設けられた会談の場こそが重要なのだろうが、ハーレイの公務は夜に催される宴だ。公務といってもにこにこしながら豪勢な食事をするだけなのだが、ライサンダーは各国の来賓に失礼のないようにと、それぞれの国について学ぶ時間を取ってくれた。

 ライサンダーは、ハーレイが夜な夜なアテュイスのもとへ足を運んでいるとはまだ知らない。ニアーダ王国に対して過度に感心を抱いていると悟られないように、授業中は「いつも通り」の無関心を装う。

「ニアーダと我が国がかつて戦争をしていたことは、ご存じですね」

「知ってる。悪い王様がいたんだよね? どんな人だったの?」

 ハーレイがそれとなくアテュイスの話題を持ち出すと、ライサンダーの解説が始まった。

 アテュイス・ジーン・ギアッカ・ニアーダ。

 それがアテュイスの本名だ。彼はニアーダ国王ソニハット王の甥であった。かつては父ホルタ王に次いで王位継承第二位にあったが、やがてソニハット王にジュディミスという名の王子が生まれたので、一度は王位から遠ざかっていた。

 だがソニハット王とジュディミス王子がふたりとも天災によって命を落としたため、再び彼の血筋に王位が巡ってきたのである。まずはアテュイスの父ホルタ王が王位を継いだが、病弱だったためにアテュイスが摂政として実権を握ることになった。当時二十二歳、ちょうどいまの長兄ダンバーと同じ年齢だ。

 やがてホルタ王が病没すると、アテュイスは即位してアテュイス王になった。

 摂政だったころから、アテュイス王の暴君ぶりはすでに発揮されていた。彼は増税を繰り返して庶民をひどく苦しめ、臣下やシャーニン教――太陽神を崇拝するニアーダの国教だ――寺院など、彼の政治に異を唱えた者たちを次々と粛正していった。ニアーダ国内では亡命する者が後を絶たず、首都チェンマでは憲兵の反乱まで起こった。

 これを見かねたハルバード三世――つまり、ハーレイの父上は、アテュイス王に王位を返上せよと求めたが、アテュイスはこれを頑なに拒否したため、帝国は武力に訴えた。

 ユーゴーの東側、ニアーダにとっては西側の国境付近が主戦場となり、ユーゴーは圧倒的な武力でニアーダの西方軍を壊滅させた。

 これを見てアテュイス王はようやく降伏し、王位を弟のチュンナクに譲って己の身柄をユーゴーに預ける決心をした。

 アテュイス王は無益な戦禍を生じさせた重大な戦争犯罪人なので、父上は彼の身柄を拘束してミジェへ移送した。そして暴政によって乱れたニアーダの国内情勢を立て直すべく、いまもチュンナク王を――。

 アテュイスにまつわるライサンダーの説明はここまでだ。

 ほかに教わったのは、帝国のニアーダが再びもとの平穏さと豊かさをすっかり取り戻したこと、チュンナク王は兄と違って民衆に愛される名君だということ、云々。

「ふーん……」

 ――アテュイスがそんなひどい政治をしていたなんて、やっぱり信じられないな……。

 心に浮かぶ疑念はおくびにも出さない。アテュイスの裏庭にこっそり通うようになってふた月、ハーレイは自分の考えを隠すのが上手になったと自負している。

「それで、そのアテュイス王は、いまどこにいるの? 生きてるの?」

 代わりに当たり障りのなさそうな質問をしてみると、ライサンダーは眼鏡を直しながら「私は存じ上げません」と答えた。

 嘘に決まっている。裏庭にアテュイスがいることを知っているから、ハーレイに立入禁止を命じたのだ。

「そんなに悪い王様なら、どうして処刑しちゃわなかったの?」

 質問をもうひとつ。これはハーレイが本当に疑問に思ったことだ。

 しかも、アテュイスは牢に入れられてすらいない。裏庭で花を育てては美しい侍女とともに茶を嗜んで暮らしている。日がな一日兵士に見張られているのは気詰まりだろうが、「重大な戦争犯罪人」に対する扱いとしては甘すぎる気がする。

「陛下の寛大な御心によるものです。アテュイス王の跡を継いだチュンナク王は、アテュイス王の実の弟君です。もしもアテュイス王を重罰に処していたなら、チュンナク王は我が国を強く憎み、両国間に禍根を残したでしょう。ひとたび戦火を交えたニアーダといまでもが続いているのは、陛下の賢明なるご判断によるところが大きいと考えます」

「なるほど……」

 このときハーレイは、ライサンダーの言葉をそのまま受け取った。

「殿下、念のため申し上げますが、ニアーダ王国からの国賓とお話をする機会があっても、アテュイス王の話題は厳禁ですよ」

「分かってるよ」

 ハーレイはあえて軽薄に笑ってみせた。

「バカな王様の話なんて、されたら嫌だもんね」

 ライサンダーは頷きはしたものの、笑いはしなかった。

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