大樹のエネルギー

結騎 了

#365日ショートショート 272

 やっと、排気音が聞こえた。

 遠くから山道を登ってくる車に向けて、両手を大きく振る。「すみませ〜ん、すみません!」。男が小さく跳躍のような動きをすると、車は目の前に勢いよく止まった。アスファルトの摩擦音が響き、運転席に視線を向けると、そこには同年代くらいの女性がハンドルを握っていた。やや虚ろな表情だが、清楚で小綺麗な恰好をしている。

 事情を説明し、了解を得て。男は車に乗り込んだ。

「すみません、本当に助かりました。バイクでこの山に来たんですけど、一時間前にそこで故障してしまって。立ち往生していたんです」

 男は、この山の頂上にある大樹を見に来ていた。偶然ネットで見かけた、なんでもない一枚の写真。青々と茂る芝。その中にずしりと生えた、太く高い、美しい大樹。特に観光名所という訳ではないが、男は無性に、それに心を奪われてしまった。力強い幹に、言い知れぬ生命のエネルギーのようなものを感じたからだろうか。

「それは災難でしたね」

 運転する女性は、男のバイクに同情を寄せた。

「ここ、車が通らないでしょう? 私の地元なんです。私も久々に地元に向かっていて」

「帰省ですか?」

「そんなところです」

 鞄から、男はスマホを取り出した。

「ほら、どうです、この写真。これがさっき話した大樹です。たまたま知ったんですけど、どうしてもこれを肉眼で見たくなって、ここまで来ちゃいました」

「あら、『命の木』ね」

「『命の木』…… とは」

「昔からそう呼ばれているの。隠れた名所だから」

 女はハンドルから片手を外し、髪に指でくしを入れ、耳にかけてみせた。手首のリストバンドは、彼女のファッションからすると不釣り合いに思える。「実は私も、この木に個人的な用事があって帰ってきたの」。その顔はややこわばっていた。

「用事とは?」

「ほら、写真のここ見て。枝のところ。ロープを結ぶにはちょうどいい高さでしょう?」

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大樹のエネルギー 結騎 了 @slinky_dog_s11

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