サピリアを訪ねて

 宴会から一夜明け――オレは軽い疲労を覚えながら目を覚ました。

 あの後、酒も入っていたこともあって店を閉めるなり寝てしまった。店の奥の居住部分、自分の部屋から出てリビングに来ると、

「おはよう、グラミア」

「お……おはよう、セシル」

 リビングのソファにセシルが座ってくつろいでいた。セシルはオレの家の、客室に泊まっていた。コーヒーの香りがする。うちには店舗と住居、両方にキッチンがあったが、コーヒー豆はこっちには置いてない。オレが飲まないからだ。店舗から引っ張ってきたのかと思ったが、香りが違う。

「君も飲むかい?」

「いや、オレ紅茶派なんで。ところで、そのコーヒーって……」

「持ち込ませてもらったよ。僕はコーヒー党でね。朝にこの一杯を飲まないと、どうにも気合が入らないんだ」

「……年の割に、舌は大人なんだな」

 そもそも何歳なのかも知らないんだが、何か聞きにくくていままで聞いてこなかった。

「セシルって、いったい――」

 いくつなんだ、と言いかけたとき、それを遮るようにセシルが口を開いた。

「グラミア。今日一日の予定を詰めていこうと思うんだけど」

「あ、ああ……」

 オレは流されるままにセシルの話に乗った。時間をもらって紅茶を淹れて、オレもソファに座る。……あ、セシルと一緒のソファに座ったわけじゃないぞ。オレの家には一人がけのソファしかないからな。

「今日は……可能なら昨日の古老次席による召集の情報を得たいね。サピリア氏に会えるといいのだけれど」

「後で家に行ってみるか。……他には?」

「サピリア氏を訪ねるのに前後して、昨日結局できなかった郷巡りをしようかなと。この郷において、恐らく一番強力な広告とは『口コミ』なのだけれど……屋外広告もやはり馬鹿にならないパワーがあるからね」

 どのくらいの効果が見込めるのか、オレは分からない。その分からないとこをセシルが判断してくれる。がむしゃらにやるより効果がある――それは昨日の一件で立証済みだ。



 オレたちは、手早く朝食を済ませて店を出た。



 驚いたことに、行く途中で郷のヤツに何度か声をかけられた。

「何だ、いまからどっか行くのか? じゃ店は閉まってるってことか」

 そんなことを言われた。午後から開ける予定だと言うと、昼飯や夕飯を食いに来ると言ってくるヤツもいた。ありがたいことだが、一つ気になることが。お代は果たしていただけるのか。まだ支払って来てないヤツまでもが食いに来ると言うのはどういうことなのか。

 ……という不安と言うか不満が顔に出たのか。いや、セシルは背負ってるんだから顔は見えないはずなんだが……。

「もしお代が戻ってこなくとも、無理に代金を請求することはしないほうがいい」

 そう話しかけられた。「何で?」と聞き返すと、セシルは懇切丁寧に教えてくれた。

「酔いが回っている時と素面の時とでは、相手の理解力も応対の仕方も違ってくる。それに、仮に金銭について理解しても、酒の席での契約は無効になる場合もある……正常な判断力が奪われた上でのやり取りだからね」

「そりゃそうだが……こっちはそれじゃ赤字だ」

「そうだね。ただ、今回は広告と割り切ろう。本来ならリスクが大きいやり口だけれど、君の件はかなり特例だ。金銭の概念からして、僕たち人族とは違うからね」

 なるほど、それはそうだ。金のやり取りってのは、ドラゴンの間では浸透していない。ドラゴンには共通の貨幣すら存在しない。金と銀、宝石と鉱石。そういうものが通貨代わりだった。とはいえ、物々交換の概念はあるんだし肉とか酒とか持ってくることぐらいは期待したいんだが……まあいいか。広告費。必要な出費だと思えばちょっとは割り切れる……か?

「広告費にはこれからもお金がかかると思う。いや土地代とか、そういう概念も薄いなら話はまた違うかもしれないけれど……」

「あー……どうだろな。たぶん金! ってより先に話し合いが来ると思うぜ」

「なるほど。その時も、もちろん僕は尽力するけれど……郷の者である君自身の働きかけはとても重要になるだろう」

 覚悟だけはしておいてくれたまえよ、なんて脅しめいた言葉を言われてオレはちょっと恐ろしくなった。

 そんなこんなでオレは昨日と同じようにセシルを背負って、郷をちょっと回ってからサピリアの住処へと向かった。サピリアは切り立った崖に面した洞窟に居を構えていた。入口は、木製の木戸で仕切られている。ドアの横にはドアベルもあった。

「……これは、珍しい。ざっと見た限り、ドラゴンの郷には普通無いものだね」

「そうだな」

 ドラゴンは基本、洞窟の中に居を構える。ドラゴニュートの姿でいるのが一般的になってからは、人間と同じように家具を揃えるようにもなった。……が、いかんせん出入り口という概念はあまりない。オレの家も、店舗と住居を仕切るとこにドアはあるが、店にはドアが無い。大口を開けた洞窟には、仕切りのための柵はあるけどドアは無いのだ。

 さて、そんな会話の間にドアベルを鳴らしたところ、十数秒後にドアが現れた。そこにいたのは家主のサピリア……ではなく。

「おはようございます。グラミアミリヌス様ですね」

「ああ、おはようペール。セシル、紹介しておく。この子はペールヘール。サピリアの家の侍従だ」

「初めまして、セシル様。お話は伺っております。サピラリアライン様の侍従、ペールヘールにございます」

 現れたのは銀髪の少女だった。エプロン姿にまとめ上げた髪。礼儀正しい態度と若いながらに完璧な侍従だ。この郷ではたぶん、一番若いドラゴンだろう彼女とはサピリアを通じて見知った仲だった。

「サピリアに会いたいんだが……いま大丈夫か?」

「はい。お見えになり次第、中へお通しするよう言付かっております」

 サピリアはどうやらオレたちが来ることを見越していたらしい。オレとセシルは案内されるまま奥へと入っていく。

 洞窟は真っ直ぐ奥へと伸びていた。左右にはドアが幾つも並んでいる。

「……彼女はやはり、相当に地位のある人物のようだね」

 セシルがオレに囁きかけてきた。オレは頷いたものの、それ以上は特に何も言わなかった。黙って一分以上は歩いたか。突き当りに両開きのドアがあり、ペールがノックをして呼びかけた。

「サピラリアライン様。グラミアミリヌス様、並びにセシル・フォン・ヴァレンティン様をお連れいたしました」

 ペールの呼びかけに「入って」と声がかかる。ペールはドアを開けて、オレたちに道を譲った。

 ドアの向こうには、広い部屋があった。リビング、ではなくロビーだそうだ。ソファや観葉植物、タペストリーに飾り棚と、一見すると人族や魔族の屋敷のような内装の部屋でサピリアはオレたちを出迎えた。

「やあ、昨日ぶり。……どうやら昨日は大層賑やかにやってたみたいだけど」

「うっ……すまん。ドーンホールの方も、後で片づけに行くから……」

「別にあなたの仕事じゃないでしょう? 気にしないで、誰か適当に人をやるから」

 それより、と一拍置いて、

「立ち話もなんだし、座って話しましょう」

 サピリアはそう言って、また別の部屋にオレたちを案内した。三人で向かった先はロビーから繋がる、応接室だった。革張りのソファに座って挨拶を交わしていると、ペールが茶を淹れて運んできてくれた。

「本日は、カモミールとレモングラスのハーブティをご用意しました」

 ガラスのポットと陶器のカップがテーブルに並ぶ。ほのかな湯気と共に、爽やかな香りが鼻先をくすぐった。ありがとう、とセシルが礼を言って、

「良い香りのお茶だね。これは、人族の国から取り寄せた物なのかな」

「そう思うでしょう? 初めのうちはそうだったけれどね。種が取れるようになってからは、こちらで自家栽培してるのよ」

「珍しいだろ? この郷でも、そんなことしてるのは人間かぶれのサピリアだけさ」

 オレが補足して話すと、サピリアが「実はね」とさらに話を付け加えた。

「最近は私だけじゃあなくってね。私とあなた、そしてアリアも」

「アリア? 彼女とも伝手が?」

 軽く目を見開いてセシルが尋ねた。オレも少し驚いてサピリアを見やる。

「数少ない同好の士ってところかしら。ただ、アリアは私以上に立場が難しいから、大っぴらにはできないけれど……そのわりにはセシル、あなたを郷に引き入れたから驚いたわ」

「アリアも立場を、というより行動を少し変えた、ということかもしれないね」

「……どういうことだ?」

 サピリアは少し黙って――それは、何を話そうか考えこむような間だった――それから口を開いた。

「昨日、古老次席が郷の者を集めたでしょう。それにも関連することだけれど……この郷は人との交流の拠点になる、かもしれない」

「この郷が!? 冗談だろ……」

「……そんなに驚くことなのかい?」

 どっちが説明するか。一瞬サピリアとアイコンタクトを交わして、オレの方から話し出した。

「確かにこの郷は他の郷に比べて、人族の国から近い。ただ、郷ができた経緯がな……」

「経緯……?」

「ドラゴンの郷ってのは、そもそも群れなかったドラゴンが、他種族に領土を決められて仕方なく作ったもんだ。広い大地や洞窟、山のあちこちに散らばってたドラゴンが一か所に集まったもんだから、当然衝突もあった」

「このラグ・ラギは、あちこちから逃げてきたり、あるいは爪はじきにされたドラゴンが集まって作った郷……ほとんど掃きだめみたいなものね。だからこそ、この場所は古老の力が強い。ラグナロックの血族に、許しを請うて住まわせてもらっているような立場なのだから……」

 セシルは何やら合点が行ったように、二度、三度と頷き、何かを話しかけたものの、衝動を抑えるようにハーブティーを飲んだ。

「……色々と、理解が及んだよ。アリアがあまり郷のことを話したがらなかったのは、自身の血族があまりに力を持ちすぎていて、それを恥じていたからだろうね」

「そう……なのか? どういう理屈なんだ、それ?」

「アリアは、いわば『開いた』ドラゴンなんだ。他種族と交流を持ち、新しい風をこの郷、ひいてはドラゴン族にもたらそうとしている。けど、郷の古老は違う……そうだろう?」

「まあね。ラグナロックの血族、そして、ラグナロックに敗北した後に服従した、ギャラルホルンの血族。どちらの血族の古老も、土着意識が強くて排他的……変わることを極端に恐れる臆病者だらけってこと」

 そうサピリアが言うと、セシルはオレの方を見た。まるで覗き込むように、視線を送ってくる。

「……そんな郷で店を開くことができたなんて。グラミア、君はいったい何者なんだい?」

「いや、何者って言われてもなぁ……」

「グラミアの場合は、正直運も絡んだ出店だったのよ。古老連中が病気だの何だので倒れたり、外の色んな条約が郷に及んだりでね。あとは、古老次席が中立的な立場だったり、アリアみたいな親他種族のドラゴンが密かに増えていたりっていうのも絡んでるかしら」

 セシルはそれで納得したらしい。また頷いて、サピリアに目を向けた。

「そんなことより、昨日の古老次席がかけた集合のことそろそろ話したいんだけど。聞きたくないの?」

 そうだった。そのために今日は来たんだった。

「聞きたい。聞かせてくれ、サピリア」

 オレは背筋を正して言った。

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