からのそら



 おばあちゃんのところに行くから、準備をしろ。


 起きてきたばかりのわたしに、お父さんはやけに暗い顔でそう言いました。

 もうお父さんもお母さんも、ふたりともお出かけの準備は出来ているみたいでした。

 歯を磨いて顔を洗いながら、わたしは「なんで今さら?」と思っていました。

 おばあちゃんなんて、今まで一度も会ったことありません。

 お父さんのおうちの方のおばあちゃんは、わたしが産まれるよりも早くにおじいちゃんと一緒に死んでしまったそうですし。

 お母さんの方は、そもそもその話になると決まってお母さんが不機嫌になるので、なるべく話題に出さないようにしていました。


 それなのに今になって急に、おばあちゃんのところに行くなんて。

 変です。妙です。なにかあったのかな、なんて思いながら、わたしは寝間着から着替えるために自分の部屋に戻りました。

 すると、ベッドにそらちゃんが座っていました。

 体育座りをして、両足の間に顔をうずめて。なにか、ぶつぶつ言っています。

 こんなそらちゃんを見るのは、生まれて初めてのことでした。


「そらちゃん、あのね。お出かけするんだって、これから」

「……そうなんだ」

「うん。おばあちゃんのところに行くんだって。

 わたしも行ったことないんだ。ねえ、そらちゃんも一緒に行こうよ」


 会ったことないおばあちゃんのところに行くよりも、そらちゃんが元気ないことの方がわたしにとっては大事でした。

 そらちゃんはやっぱり元気じゃないと、せっかくのかわいさも半減してしまいます。

 それに何より、わたしが楽しくありません。

 大好きなそらちゃんが落ち込んでいると、わたしまで悲しくなってきます。

 だから一緒にお出かけして、少しでも元気になってもらおうと思ってこう言いました。

 そらちゃんはそんなわたしの言葉に、ゆっくりを顔をあげて。


「からはだれなの」

「え?」

「ねえ。だれなの、ねえ」


 よくわからないことを、言い出しました。

 そのまま、そらちゃんがわたしに手を伸ばしてきます。

 そらちゃんの手を払ったりするわけがありません。

 そんなわたしの肩を、そらちゃんが強く――痛いくらい強くつかみました。


「なに言ってるの、そらちゃん。わたしはわたしだよ。嘉良だよ」

「うそ。うそうそうそ。知らない、あなたなんか知らない。

 からはわたしでしょ。わたしのはずだったのに。わたしがからだったのに」

「そらちゃん……?」


 ……肩が痛いです。

 そらちゃんの爪が食い込んで、痛い。

 でもそれより、そらちゃんの様子の方が気がかりでした。

 こんなそらちゃんは、やっぱり見たことがなかったから。


「かえしてかえしてよねえ

 なんでそこにいるのいつまでそこにいるの

 だれなのだれなのねえだれだれだれだれだれだれ」

「……そらちゃん」


 そらちゃんが、わたしを睨んでいます。

 綺麗な宝石みたいな瞳の中で、何かがぐるぐる渦巻いていました。

 それはでも、やっぱりとっても綺麗で。

 だけどそらちゃんの言葉と、その目つきは、わたしのことを強く拒んでいるみたいで。

 気付けばわたしは、そらちゃんに問いかけていました。


「そらちゃんは、わたしのこと……きらいになっちゃったの?」

「きらいだよ」


 その言葉は、きっと。

 一番聞きたくなかったものでした。


「好きだったことなんて、一度もないよ」


 そらちゃんの手がわたしの首に伸びます。

 ぐっと力がこもれば息が苦しくなります。

 でもわたしは、そんなことよりそらちゃんに嫌いだって言われたことの方が悲しくて。

 好きだったことなんて一度もないって言われて、胸がきゅうっと締まりました。

 ああ、わたしはこんなに好きなのになあ。

 そらちゃんのこと、世界で一番、お母さんよりもお父さんよりも、好きなのになあ。


「返せよ」


 そんな、低い声がして。

 そらちゃんの力がいっそう強く、籠もって――



「やめろ!!」



 お父さんの声が、しました。

 扉を開け放ったお父さんは肩で息をしていて。

 声が響いた途端、首を絞められる感覚も、目の前のそらちゃんも消えました。

 お父さんがわたしの手を掴んで、引っ張ります。

 まだ着替え終わってないのにとか、そんなことを言う暇もなく。

 わたしはお父さんに抱き上げられました。お父さんはお母さんに何か言いながら、靴を履いてわたしを抱えたまま外に出ます。


「……嘉良に近付くな。お前じゃないんだ、お前じゃないんだよ、俺達の子どもは……」


 うわ言のように何やら繰り返している、お父さんでしたが。

 わたしの頭の中には、そらちゃんのことしかありませんでした。


 そらちゃん。わたしの大好きなそらちゃん。

 わたしの、たった一人の友達。ううん、家族よりもずっと大事なあの子。

 それなのに、それなのに、どうして。

 なんで、わたしはあの子に嫌われてしまったんだろう。

 なんだか目の奥がひりひりするような感覚があって、それがすごく不愉快でした。


 お父さんが運転席に座って、お母さんは隣でわたしの手をぎゅっと握っています。

 これじゃ、そらちゃんが隣に座れません。

 わたしの隣はそらちゃんの特等席なのに。

 そらちゃん、なんで? 教えてよ、そらちゃん。


 だけどそらちゃんの声がすることはなくて。

 お父さんの車が、ぶおんと音を立てて、走り出しました。



◆◆



 おなかがすきました。

 きゅるるる、とはしたない音が鳴ってしまいます。

 コンビニに寄りたい。

 お菓子が食べたい。

 言ってみたけど、だめだ、の一言で切り捨てられてしまいました。

 朝からずっと車に揺られています。

 わたしは、お出かけがあまり好きじゃありません。

 それに今日はそらちゃんとけんかしてしまったので、余計に気分が乗らないのです。

 

 そらちゃんはどうしてあんなことを言ったんだろう。

 だれ、って聞かれても。

 わたしは嘉良だって、そらちゃんも知ってる筈なのに。

 返して、って言ったときのそらちゃんは今まで聞いたこともないような声で。

 お父さんはそらちゃんに、お前はうちの子どもじゃない、って言っていたし。

 もうわたしとしては何が何だかさっぱりわからないのでした。


 ただただ、そらちゃんが心配でした。

 そらちゃんに会いたい。わたしが悪かったのなら、仲直りしたい。

 そんな気持ちで窓の外を流れていく景色を見ているわたしに、お母さんが話しかけてきました。


「今までごめんね、嘉良」


 そう言ってお母さんはわたしを抱きしめます。

 なんだろう、急に。

 何が何だかわからないわたしに、お母さんは。


「嘉良は病気なんかじゃなかったんだね。ごめんね、お母さん、嘉良のこと信じてあげられなくて」


 そう言って、ぽろりと涙を流しました。



◆◆



 嘉良が見えない何かと遊んでいるのを最初に見つけたのは、私だった。

 本当に焦ったし、まさか外でもこれをやっているんじゃないのかと思って腹が立った。

 そんなことをしていたら近所の人や同級生の父母にどんな陰口を言われるか分かったものじゃない。

 嘉良は産まれてすぐの頃から、人とはどこか違う子どもだった。

 だから“その手の”疾患がないかはよく調べたし、嘉良の一挙一動にずっと過敏になっていた。それもあったのだろう。


 私は嘉良を激しく叱って、精神科――メンタルクリニックに連れて行った。

 医者は“よくあること”だと言ってくれたけど、それでも私は自分の子どもがそんな気味の悪いことをしているというのがとても嫌だった。

 だけど今なら、それが間違いだったことがよく分かる。

 嘉良は病気でも、気が違っているわけでもなかった。

 嘉良には本当に、友達が視えていたのだ。


 私が見落としてしまった、私と正志の本当の子どもが。


「私たちの子どもは嘉良だけだよ。産まれてきてくれてありがとう」


 その子には、とても悪いことをしたと思う。

 本当に申し訳ないと思うし、謝っても謝りきれない。

 それでも――私たちの子どもは、嘉良一人だ。

 嘉良こそが、私たちの“本当の子ども”なんだ。


 嘉良を守るためなら私は、母親として、嘉良の姉だったものを捨てられる。


「お母さんには、そらちゃんが見えないの」


 嘉良が私の顔を見てそう言った。

 そらちゃん。それが、嘉良の隣に居たものの名前。

 私が切り捨ててしまった、見落としてしまった最初のいのち。

 その重さを噛みしめて――


「うん。お母さんには見えないんだ」

「そうなんだ。お父さんには見えたのに?」

「……嘉良は、“そらちゃん”が好き?」

「大好き」


 嘉良の言葉を聞く。

 嘉良の顔を、見る。

 こうして向き合ったのはずいぶん久しぶりに感じた。

 こうして顔をじっと見たの、いつぶりだったろう。


「ごめんな。でも、そらちゃんとはもうお別れしなきゃならないんだ」

「――なんで?」

「そらちゃんは、このままだとどんどん悪い方向に行っちゃうから。

 嘉良も嫌でしょ。大好きなお友達が、悪い子になっちゃうのなんて」


 そら――空、か。

 いい名前だと思う。

 この世に産んであげられなくてごめんねと、心の中で謝った。


 全部片付いたら、正志と相談して嘉良に犬か猫を飼ってあげよう。

 嘉良はきっと寂しかったんだろう。

 嘉良は変わってるから。友達の出来やすい性格をしていないから。

 だから嘉良は“そらちゃん”と仲良くなって、取り憑かれてしまった。

 もしももうひとり家族が居たなら、嘉良の寂しさも少しは免れるだろうし。

 もしかしたら嘉良ももう少し社交的になって、普通の子どものように育っていってくれるかもしれない。


 そうだ、それがいい。

 そうしよう。お金はかかるけど、娘のためだ。

 

「……おかしいな」


 そこで不意に、正志の声がした。

 焦ったような、それでいて努めて冷静に振る舞おうとしているような声。

 窓の外を薄暗いトンネルの壁が波打つようにして通り過ぎていく。

 「どうしたの」と正志に聞いてみようとして、そこで私もはっと気が付いた。

 

「このトンネル、やけに長くねえか」


 それだけじゃない。

 歌が聞こえる。


 ――るるるるるるるる。



◆◆◆



 トンネルがずっと続いていました。

 お父さんが最初に気付いて、お母さんも慌て始めます。

 後ろを見ても入り口は見えません。

 前を見ても、出口は見えません。

 なんで、だとか何とかお母さんたちは騒いでいましたが。

 わたしはもう気付いていました。

 ああ、行ってほしくないんだって。

 あの子が、止めているんだって。


「から」


 声がしました。

 お父さんにも聞こえていないみたいです。

 どこにいるの。

 心の中で聞きました。

 そらちゃんはそれに答えてくれませんでしたが。

 そらちゃんは、わたしに話してくれました。


「わたしね、からのお姉ちゃんなんだよ」


 ほんとは、わたしがからだったんだよ。

 そう言うそらちゃんの声は、なんとなく。

 泣いて、泣いて、泣いて、泣きつかれた子どものように聞こえました。


「わたしね、お母さんに産んでほしかったんだよ」


 ――でもお母さん、わたしの声も聞こえないから。

 産んで、もらえないんだあ。

 そう言ったそらちゃんに、わたしは居ても立っても居られなくて。


「泣かないで、そらちゃん」


 気付けば声に出していました。

 その瞬間、ぎょっとした顔をしてお母さんがわたしを見ます。

 そしてわたしの肩を勢いよく掴みました。

 しまった、とは思いません。

 そらちゃんに声を届けてあげたかったから。

 心の中で言っただけじゃ聞こえないのかもしれないから。

 きっとわたしは、どんなに慎重に考えていたとしても、声にしてそらちゃんを慰めていたことでしょう。


「駄目よ、嘉良! 話しちゃ駄目!!」

「そらちゃん、わたしね。そらちゃんの妹でもいいよ。

 そらちゃんはかわいいからわたしがお姉ちゃんだと思ってたけど、そらちゃんといっしょなら何でもいいの」

「嘉良ぁッ」


 お母さんがわたしのほっぺたを、思いっきり引っぱたきました。

 じんじんと顔が痛みます。お母さんが何か叫んでいますが、それより大事なことがあります。


「わたし、そらちゃんが、大好きなの」


 そらちゃんはわたしのことが嫌いなのかもしれません。

 それはとても悲しいことで、寂しいことです。

 目の奥がひりひりして、何だか無性に辛くなります。

 だけどそらちゃんがどうしてもわたしのことが嫌いだっていうのなら、それならそれでいいのです。

 でも、わたしがそらちゃんのことが大好きだってことだけは覚えておいてほしい。

 わたしの世界に色をつけてくれたのは、そらちゃんなんだから。


「そらちゃんがやってくる前のこと、もう、思い出せないよ」


 そらちゃんが好き。

 そらちゃんがいれば世界のどこでも幸せです。

 そんなわたしに、そらちゃんは少し押し黙って。

 それから、言いました。





「じゃあ、わたしといっしょに死んでよ」





「うおおおおおおおおぉおッ!!」


 お父さんが絶叫しました。

 そのまま急ブレーキを踏んだので、わたしの身体はがくんと大きく揺れます。

 バックミラーに写っているお父さんは目をこれでもかと見開いて、わなわなと震えていました。

 お父さんの視線の先。車の正面の方に、女の子が立っています。

 そらちゃんでした。そらちゃんはいつもの通りに、とてもかわいくて。

 でもいつものそらちゃんとは違う、じとっとした瞳でわたしのことを見ていて。


「そしたらずっといっしょだよ。

 お姉ちゃんが、ずっとからのことかわいがってあげるよ」


 お父さんは必死に車を動かそうとしています。

 でも、もう前にも後ろにも進まないみたいでした。

 慌てているお父さんをよそに、そらちゃんは一歩も動かずそこに立っていて。

 お母さんがわたしの目を、その手のひらでがばっと押さえつけてしまいました。


「駄目よ……駄目よ、嘉良……! 見ちゃ駄目、聞いちゃ駄目、話しちゃ駄目……!!」


 今になって、よくわかりました。

 そらちゃんはきっと、わたしのことがすごく嫌いなんだって。

 そう考えるとわたしはすごくひどいことを言っていたんだと思います。

 そらちゃんにお母さんやお父さんの話をしたり、学校の話をしたり。

 そらちゃんがどれだけそれをうらやましく思っていたのか、何も知らないで。


「ふざけんな……ふざけんじゃねえぞッ! 俺たちの娘は嘉良だ、嘉良だけなんだ!

 誰がお前なんかにやるもんか! くそっ、動け、動けよぉ……!!」


 そらちゃんはわたしの話を、どんな気持ちで聞いていたんだろう。

 わたしの家にやってきて、どんな気持ちでいたんだろう。

 わたしはずっと何も考えないで、そらちゃんといつでも一緒にいられるということに浮かれていたから。

 そらちゃんのことなんて、何も考えていませんでした。ずっと、ずっと。


「嘉良、しっかりして……全部終わったら、ペットショップに行ってうんと可愛いわんこを飼おうね!

 昔家族旅行で行った北海道にもまた行くよ。美味しいものなんでも食べさせてあげるし、欲しいもの、なんでも買ってあげる……!!

 だから気をしっかり保って。お母さんたちのところから、いなくならないで……!!」


 そらちゃんはどうして、わたしの周りのひとを殺してくれたんでしょう。

 いちいちめんどくさい意地悪をしてくるクラスの子たち。

 うちにやってきたカウンセラーのなんとかさん。なんとかさんをよこした外崎先生。

 大嫌いなわたしのために、どうしてそこまでしてくれたんだろう。

 そらちゃんの考えていることは、わたしには全然わかりません。

 

 ――嘉良ちゃんは、人の気持ちをもうちょっと考えた方がいいよ。

 昔誰かからそんなことを言われた気がします。

 誰が言ったのかは、覚えてないですけど。

 でもわたしはきっと人でなしなのでしょう。

 だって、人の気持ちなんてどう頑張って考えたってわかりません。

 なのでわたしと話している人は急に怒り出したり、急に泣き出したりするのです。

 そんなわたしがそらちゃんのことをわからないのは、やっぱり当然のことなのかもしれません。


「嘉良に近付くな」

「もう、成仏しろよぉ……!」


 だってわたしは、たまたま人として産まれてしまった人でなしなんですから。

 人でなしには、人として産まれるはずだったそらちゃんの気持ちなんてわかりません。

 わたしのせいで、そらちゃんは人になれなかった。

 そらちゃんはお母さんに抱っこしてもらうことも、お父さんに撫でてもらうこともできないまま。

 わたしに気付いてもらえるその日まで、ずっとおばけとしてどこかでわたしたちのことを見ていたのでしょう。


 そしてお母さんとお父さんにとっての娘は、家族は、わたしだけで。

 二人はそらちゃんを受け入れてあげるどころか、強く強く拒んでいました。


「から」


 そらちゃんがわたしの名前を呼びます。

 それはもう、そらちゃんの声じゃありませんでした。

 ひどくくぐもった、それでいてねじくれた、人のものではない声。

 お母さんの指の隙間からかすかに、そらちゃんの姿が見えました。

 そらちゃんの目が、また、ぐるぐるになっていきます。

 小さくてかわいかったお口をにぃっと吊り上げて。

 その中に、またぐるぐるを作りながら。

 そらちゃんは、言いました。


「いっしょに死んでよ」






「うん。わかった」


 わたしの答えは決まっていました。

 お母さんが信じられないような顔をします。

 お父さんが、わたしを振り返ります。

 目も口もぐるぐるになったそらちゃんまで、驚いたような顔をしていました。

 

「え?」

「いいよ。だってそしたら、そらちゃんとずっといっしょにいられるよね」


 お母さんたちはまだ何か言っていました。

 でもどうやら、もう動けないみたいでした。

 なのでわたしに抱きつく格好のまま固まったお母さんの指を、一本一本わたしから外していきます。

 身体をぐぐぐ、と動かして、車のドアを開けると。

 土臭いような、自然っぽいような、そんな香りがわたしの鼻をくすぐりました。


 そらちゃんはまだ車の前で固まっていて。

 ぱく、ぱく、と。

 中がぐるぐるの口を開けたり閉めたりして、なんだか“よくわからない”みたいな顔をしていました。


「えっ……えっ、え? なんで」

「でも死ぬってどういうことなのかわからないから、そらちゃんがわたしに教えてほしいな」


 わたしは人でなしですから、人間としてはきっと出来そこないなんだと思います。

 だからお母さんに怒られることも、周りの子どもたちから石を投げられたり悪口を言われたりすることも人より多かったのでしょう。

 お母さんはそれを病気だと言いました。本当のところはどうだったのか、わたしにはわかりません。

 だけど自分が人でなしなんだとさっき気付いて、わたしはちょっとだけ嬉しくなりました。

 だってそれは、そらちゃんと同じだから。

 そらちゃんはわたしのせいで人になれなかったので、大きな声では言えませんが。

 そらちゃんを押しのけてまで人として産まれたのに、それでも人になれなかったわたしは――まるでそらちゃんといっしょになるために産まれてきたみたい。

 そう考えると、なんだか胸がきゅんきゅんして、とても嬉しい気持ちになるのです。


「もう会えないんだよ? お母さんとも、お父さんとも……」


 そらちゃんは、わたしがこんなことを言うとは思っていなかったのか。

 それとも、死にたくないと言って大暴れするとでも思っていたのか。

 本当に慌てたような様子で、泣きそうな声で、今更そんなことを言ってきます。

 なんだかそらちゃんらしいなあと思って、わたしはくすりと笑ってしまいました。

 そらちゃんは優しい子です。とっても優しくて、とってもかわいい子。


「でも、そらちゃんがいるから」


 だから大嫌いなわたしのことをこうして心配してしまうのでしょう。

 自分を人になれなくしてしまったわたしのために、せっせと人を殺してくれたのでしょう。

 そらちゃんは本当にいい子です。

 そんなそらちゃんだからこそ、わたしはこんなに“好き”でいっぱいになったんだなあと。改めて、そう思いました。


「から……からは、あなたは、だれなの?

 わかんない、わかんないよ、わたし、わかんない……」

「わたしはわたしだよ。でも、そうだなあ」


 お母さんが泣いています。

 お父さんも泣いています。

 へんなの、と思いました。

 そんなにわたしのことが好きだったんでしょうか。

 わたしは、そんなに好きじゃなかったのですけど。

 なんだか、よくわかりません。

 よくわからないけど、そんなに好きじゃないので、やっぱり別にいいです。


 わたしはそらちゃんの目を見て、笑いました。

 そらちゃんみたいな、にぱっとしたかわいい笑顔になってればいいなあ。


「わたしは、わたしである前に、そらちゃんの友達だよ」


 わたしはそらちゃんに手を差し出しました。

 初めて会った時も、確かこうでした。

 そらちゃんはもじもじした様子でわたしを見ていて。

 その姿があまりにもかわいかったから、らしくもなく手を伸ばしたのです。

 いっしょにあそぼ。そう言ったのが、わたしたちの始まりでした。


「いっしょに行こ、どこまででも。そらちゃんの行きたいところまで」


 そらちゃんの目が、ぐるぐる回るのを止めました。

 口もいつの間にか、わたしの知るそらちゃんのそれに戻っています。

 そのままそらちゃんは、ぽろぽろと涙を流して泣き出してしまいました。

 その手が、おずおずと。最初の時のやり直しみたいに、わたしの手に向かって伸びて。

 わたしの後ろから聞こえる誰かの声がひときわうるさくなるのと同じくして、わたしたちの手はふれあいました。


「ほんとにいいの」

「うん。そらちゃんといっしょなら」

「ずっといっしょ?」

「うん。もう、ずっといっしょ」


 泣きじゃくるそらちゃんの頭を、ぽふぽふと撫でて。

 わたしは、そらちゃんといっしょにトンネルの出口に向かって歩き出しました。


「ごめんなさい、ごめんなさい……! から、ごめんっ……ごめんね、ごめんねぇ……!!」

「うん、うん。さびしかったんだもんね、わたしこそごめんね。

 もっと早くこうしてあげてれば、そらちゃんにつらい思いなんかさせなくて済んだのに」


 さあ、どこにでも行きましょう。

 そらちゃんといっしょに、今まで行けなかったどこへでも。

 わたしは隣のそらちゃんに、何度目かの言葉を言いました。


「大好きだよ、そらちゃん」


 これでもう、ずっといっしょです。



◆◆◆



 ――おかしい。

 叶恵と連絡がつかない。

 正志の携帯に電話しても誰も出ない。

 携帯の電源は常に入れておけとあれほど口を酸っぱくして言っておいたのに。

 

「何か、あったんじゃねえだろうな……」


 時計を見る。本当なら、もうとっくに着いている時間だ。

 道に迷っている可能性もあるが、それにしたって電話に出ないのはどうもおかしい。

 テレビを点けても、目立った事故のニュースはやっていない。

 チッと舌打ちをして、あたしは傍らの麦茶を一口呷った。


 その時だ――ぴんぽん、と呼び鈴が鳴った。

 やっと来やがったか、あのバカ家族。

 はあと溜め息をつきながら立ち上がって、すぐに“おかしい”と気付いた。


 奴らが来たにしては静かすぎる。

 車の停まる音も、車から人が降りる音もしなかった。

 じゃあ近所の奴か。回覧板でも届けに来やがったか。

 恐らく違う。そう分かっていても、あたしは何故か玄関先へ向かっていた。

 まるで、そうしなければいけないと分かっているみたいに。

 そうしなかったところで無駄だと、分かっているみたいに。


 歌が聞こえる。

 るるるる、るるるる。

 この歌を、あたしは知っている。

 何度も聞いた。これは、あのバカ親どもが子を抱き締めながら歌っていた――



 ……磨りガラスの向こうには誰も居ないように見えた。

 それでもあたしは扉を開ける。

 するとその向こうに、子どもがふたり立っていた。

 仲良さそうに手を繋いで。

 おんなじ見た目の子どもが、ふたり。


「……ああ。よく来たなあ」


 そうか、そうか。

 来ちまったか。

 あたしは皺だらけになった顔をくしゃりと歪めて、精一杯笑った。


「ばあばのところに来てくれてありがとうなあ、ふたりとも……」

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からのそら a1kyan @a1kyan

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