第29話 特に何もない日常

「……つまらないよぉ。」

病室のベッドに転がったまま私は呟く。

今の私は暇を持て余している。

何故なら、ずっと一緒にいたカズミがいないから。

彼女は今日、登校日だとかで学校に行っている。

本来なら、同じ学校に通っている私も登校すべきなのだが、さすがに辛うじて動けるようになったとはいえ、おトイレに行くのがやっとの状態では、登校などできる筈もなく、一人こうして暇を持て余しているのだった。


事故にあってから三か月余り、一時は意識不明の重体だった私は急速に回復して、現代の奇跡と、一部医療機関の間では騒がれているらしい。

そして、急速回復の元となったリハビリ内容にも注目されているらしいのだけれど……。


「まぁ、普通は無理だと思うわよ、こんなの。」


私はリハビリ内容の書かれた紙をポイッと投げ捨てる。

紙に書かれていたメニューの一部を抜粋すると……。


・腹筋300回、スクワット300回、腿上げ10分、を1セットとし1分のインターバルを置いて10セット繰り返す。

・上記の後、ベッドに横たわり休息をとっている間、20㎏のリストバンドをつけた状態で腕の上げ下げ。

・上記ノルマをクリアしたのちは、100㎏の背嚢を背負い……


……ウン、これ考えた奴はバカだ。

まぁ、考えたのは親父殿とママ様なんだけどね。

ちなみにこのメニューは、私が三歳の頃にやっていたものの焼き直しで、実際に効果があることは経験済なんだけど、さすがに3か月ほぼ寝たきりだった今の私には厳しい内容なのよねぇ。

そして、幼き頃は別に何とも思っていなかったこの内容が、世間一般常識から大きく逸脱していることも今は知っているので、素直に従えないという事もある。


「カズミがいないから、あっちの世界に置いけないしねぇ。」

別にカズミがいなくてもいいのだが、接続制限があるため、先にログインしてしまうと、カズトと一緒にあっちの世界で過ごす時間が大幅に削れてしまう。

そうすると大泣きして盛大に拗ねるのだ、彼女は。

だから、向こうに行くのは、午後の1時から面会時間終了の午後5時までと、カズミと約束してある。

なので、私はリハビリや検査などは午前中に済ますことにしているのだが、今日は検査もなく、リハビリも終了。

そして今の時間は午前10時半過ぎ。カズミが来るまで2時間以上も時間がある。


「はぁ……暇だなぁ。」

私は何度目になるか分からないため息をつきながら、隼人が用意してくれた資料を手に取る。

向うの世界での情報をまとめたものだ。面白味はないが暇つぶしにはなるかもしれない。

そう思って、私はその文字列に視線を這わせるのだった。


◇ ◇ ◇


「うー……やっぱりサボればよかった。」

「なぁに、和美。嫁の所に行けなくて拗ねてるの?」

「そうよ、悪い?」

私は声をかけてきたクラスメイト、遠藤かおりに視線を向ける。

「うわっ、ガチだった。」

かおりが少し引いているが、いまさらそんな事を気にする気はない。

「あたしらもさぁ、優姫さんのお見舞いに行きたいとは思っているんだよねぇ。」

かおりの横にいた清水みどりがそう告げてくる。

「あ、うん、お見舞いに行けば優姫も喜ぶとは思うけど……。」

私はそう言いながら目を伏せる。

「そっかぁ、でも意識は戻ったんだよね?」

「あ、うん。だからもう少しすれば……。」


優姫の病室は一般向けには現在も面会謝絶になっており、優姫の家族以外では、私と隼人だけが特別に許されている。

というのも、優姫を襲ったあのトラックの事故が、優姫の家族を狙ったマフィアのものと思われている為、厳格な警戒態勢が病院の周りにしかれていて、その一環として、一般の面会を断っている。

ただ、そのような状況を一般に知らせるわけもなく、ただ面会謝絶、となっている為に、目の前のクラスメイトをはじめ、一般の眼には、『面会も出来ないほどの重体』と映っているのだ。


「でも意識が戻ってよかったよね。生きているのが不思議なぐらいの重傷だったんでしょ?」

「それは、和美の愛の力でしょ。」

「早くお見舞いに行きたいよねぇ。」

目の前のクラスメイトがキャッキャと騒ぐ。

良くも悪くも、優姫は有名人だ。ただ、そのあまりにもの美貌と摩訶不思議な行動の所為で、臆するものが多く、クラスメイトと言えども、和美以外のは遠巻きに見つめるぐらいで、面と向かってしゃべることは無かった。

だから、目の前に繰り広げられている、優姫をネタにした会話が少し新鮮だった。


「優姫も急速に回復に向かっているから、夏休み終る頃にはたぶんお見舞いに行けると思うよ。」

私がそう言うと、目の前のクラスメイト達はさらに盛り上がる。

「どうしたの和美?」

呆気に取られてその光景を見ていた私にかおりが声をかけてくる。

「あ、うん、目の前の光景がちょっと……。みんなそんなに優姫の事気にしていたっけ?」

「あー、それな。まぁ、あたしが言うのもなんだけど、みんな優姫さんとはお友達になりたいんだよ。だけど、どう声掛けたらいいか分からなくて……ほら、わかるだろ?」

かおりの言葉を聞きながら、自己に会う以前の事を思い出す。


学校には遅刻ギリギリにやってきて、そのまま席に着く。

一見、しゃんとしているようだが、その、光の加減によって、碧にも翠にも見える瞳は閉じられたままだ。

授業中もその状況で、怒った教師が優姫をあてるが、優姫は何もなかったかのように、その質問に完璧な答えを返し、時には、教師のミス迄指摘した後、またその瞳を閉じる。


その姿は絵画から抜け出したかのように神秘的で、下手に声をかけてそれを壊すのは害悪と言うのがクラスメイトの共通した認識らしい。


「あれ、優姫寝てるだけなんだけどね。……本人は起きているって言い張るけど。」

「あ、うん、そうは言われてもねぇ。青の状況で優姫さんに声を掛けれる勇者って和美だけなんだよ?」

「勇者って……。まぁ、そう思うんだったら、みんなもっと声かけてあげてよ。優姫、ああ見えて、繊細だから、教室でハブられてるかも?って気にしてたから。あ、声かける時は2時間目終わりからお昼時ぐらいが無難だよ。その前は寝ぼけてて覚えてないし、お昼食べた後は完全に寝てるから。」

「えー、そうなのっ!」

私の言葉に、クラスメイトの騒ぎが一段と大きくなる。

そして、面会謝絶が解けたら、お見舞いツアーが組まれることになり、その詳細を詰める相談があちこちで行われる。

もっとも、そのツアーが実行されることは無いというのを和美も含め、今は誰も知らない事ではあった。


◇ ◇ ◇


「……それマジな話か?」

「おお、マジな話だ。」

「クゥっ!おい勇者、もっと詳しく教えろよ。」

「詳しくって言ってもなぁ。あ、そうだ、お前ら、これだけは絶対に守れよ。いいか……。」


俺は今、数人の男子生徒に囲まれている。

とは言ってもイジメられているわけではない。

目の前にいる奴らは、幸運なことに明日から始まるUSOの二次募集に当選した者達だ。

USOの一次先行プレイヤー数は5千人……とは言ってもすでに1000人以上が犯罪行為のペナルティとして垢バンされているらしいけど。

そして新たに募集する二次プレイヤー数は1万5千人。それだけの数なのだから、同じ学校に数人位同志がいてもおかしくはないのだが、今回の応募人数は7万人を超えていたというのだから、こいつらはそれなりに運がいいのだろう。

実際、選考から外れた奴も、この中に交じっていて、二次選考に受かったやつらを羨ましそうに見ている。


とは言っても、すでに第三次募集も始まっており、そこでの募集人数は3万人、その後はサーバーの稼働率を見ながら順次増設開放していくという話なので、遅くとも来年の今頃には制限なしで誰もがプレイできる状態になっているとのことだ。


そして、こいつらがなぜ俺の前に集まっているかというと、来るべき明日に向けて、少しでも情報を得ておきたい、と、先行プレイヤーである俺に話を聞きに来たという訳だ。

俺としても、ようやく安定してきたUSOの世界が、無知な2次プレイヤーの所為でまた混乱するのは避けたい所なので、必ず守るべきことを何度も何度も念押しをしていく。


「……という訳で奴隷制度もあるが、その奴隷に手を出したら、逆にお前らが奴隷に落とされるからな。気をつけろよ。」

「そんなぁ。ボクの奴隷ハーレム計画が……。」

「おい、マジでそれやめておけよ。」

「っちっ、ちなみに、その、「手を出しても問題のない奴隷」っていうのはどれくらいするものなんだ?」

「あー、うん、相手の容姿とか所持スキルによっても変わるけど、最低でも金貨2~3枚は必要になるかな?」

「金貨2枚……どれくらいなのか想像もつかん。」

「あぁ、実際のところ、金銭感覚ってどうなんだ?」

「どうと言われてもなぁ。正直日本の感覚と同じでいると混乱が大きくなるぜ?」

「詳しく。」

「あぁ、とりあえず、銅貨、銀貨、金貨てのが一般に流通している貨幣だ。他に白金貨とか王金貨とか星金貨ってのがあるけど、桁違いなのでおいておく。それでな、無理やり日本の貨幣に置き換えると銅貨1枚が100円、銅貨100枚で銀貨1枚になるから、銀貨1枚は1万円。そして銀貨100枚が金貨1枚なので金貨1枚は100万円ってところなんだが……。」

「何だが?」

「屋台で食べられる食事が銅貨1~5枚程度。食堂での食事が、平均銅貨3~5枚、宿1泊で銅貨3~10枚。ちなみに、最初の所持金は銅貨1000枚だ。」


「えっと……食事が1回100円から500円、宿に泊まるのが300円から千円?なんじゃそりゃぁ?」

「だから言っただろ?日本円に換算すると混乱するだけなんだって。だから向うでは、そういうものとして納得するしかないんだよ。ちなみにギルドで受けることが出来る依頼の報酬は、銅貨10枚も有ればいいところだ。Eランクでかなり厳しい依頼でようやく銀貨1枚っていう所か。」

「思ったより安いんだな。」

「ランクが低いとそんなもんだ。まぁ、実際には依頼中に得た素材なんかは報酬とは別に買い取ってもらえるから、Fランクで4人パーティだと、大体一人頭銅貨6~7枚にはなるから、何とかその日暮らしていけるって感じかな。」

「そうか……だとするとやはり奴隷を買うっていうのは難しいのか。」

「おまっ、まだ言ってるんか。まぁ、CランクとかBランクになれば報酬が金貨って言うのもあるから、腕次第だろうな。それまでは娼館で……。」

俺がそこまで言ううと、皆が一様にゴクッと喉を鳴らす。


「な、なぁ……ひょっとして、その娼館に……。」

一人が声を潜めて聞いてくる。

「あぁ、この間行ったぜ。」

おぉぉぉぉぉっ!

俺が応えると、途端に騒がしくなる……とは言っても声は潜めたままなので、怪しいことこの上ない。

「そ、それでっ、それでっ……どうなんだっ!」

「えぇい、迫るなっ!……言葉では言い表せねぇよそんなの。そうだなぁ……それでも一言でいうなら……。」

「「「「「言うなら?」」」」」」

「天国はここにある。」

うぉぉぉぉぉぉぉっぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!

周りの者達が騒ぎ出す。

中には雄叫びを上げるものもいて、近くのクラスメイト、特に女子から、不審者を見るような目で睨まれた。


「とにかく、だ。娼館は指名とかでなければ銀貨1~2枚から利用できる。Fランクでもがんばれば1週間ぐらいで銀貨1枚は稼げるからな、ムリしなくても月に2~3回は利用できる。」

俺がそう言うと、明日からプレイできる二次プレイヤーたちの眼には期待の光が輝き、落選した他の者達は憎しみの黒い光を湛えている。


その後も、新たなる同志たちが道を違えないように、時間の許す限りのレクチャーをしたのだった。


◇ ◇ ◇ 


「はぁ……お姉さまたちが来ない。」

ユウヒやカズミたちとゴブリン退治に行ってから既に10日が過ぎようとしている。

ゴブリン退治の依頼報告を終えた後、ユウヒたちはアイリスを放置して宿に帰ってそれっきり。

放置されたアイリスは仕方が泣くシルヴィアへと戻り、こうして神殿のお世話になっている。


「うー、ティナ様から聞いていたものの、10日も放置は酷過ぎますわ。」

ユウヒたち稀人は、元の世界とこっちの世界を神々の力によって行き来しているらしい。

その為時間の流れに差異ができ、稀人様たちの世界では1日も経っていないのに、こちらでは数日が過ぎているという現象が起きるというのだ。

「うー、神様の力を使えば、それくらい何とかならないのかしらね。」

鏡に向かってそう叫ぶと、鏡の中の私が口を開く。

『無茶言わないで。結構大変なのよ。』

私が喋ったわけではない。私の口を使って、女神様が喋っているのだ。

「うぅー、でもでもでもぉ。放置なんてひどすぎますぅ。」

『我がまま言わないの。近いうちに離れたくても離れれない状況になるから』

「……それは神託の予言ですか?」

女神ティナの言葉に、まじめな雰囲気が混じってるのが見えたので、居住まいを正して聞いてみる。

『はぁ……いい子ちゃん過ぎるのも困りものね。あなたはもっと我がまま言ってもいいと思うよ。とりあえず、あなたは王都に帰ってもらうわ。ユウヒたちには王都に向かうように伝言しておくから。』

「えっと、ちょっとどういう事でしょ……。」

鏡に向かって手を伸ばしかけた時、不意に周りの景色がゆがむ。

そして、一瞬後には見慣れた王都の自室にいた。

頭の中に女神ティナの声が響く。

『あなたの眼で見て、あなたの耳で聞いて、あなたの頭で今後の事を考えなさい。』

いつもの神託と同じく、どういうことなのか?という私の問いかけには一切の返事はなかった……。




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K・I・N・N・I・K・U ~筋肉は世界を救う?そんな訳あるかーいっ!~ @Alphared

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