薔薇に名前を(バラ園未解決事件)
帆尊歩
第1話 薔薇に名前を
ああ、いらっしゃい。
まあそのへんに座ってください。
今お茶を入れますから。
いや、おかまいなくって言われて、はい、そうですか、とはいきませんよ。
このバラ園の温室に、お客さんなんて珍しいいんだから。
どうです、薔薇にかこまれてお茶をするというのも悪くないでしよう。
私はいつもここでお茶をしていましてね。
待っているんです。
砂羽がいつ帰って来てもいいようにね。
もう四十年かな、砂羽がいなくなってから。
砂羽は忽然とこの温室からいなくなった。
砂羽は、どこにも行くところがないから、自分でどこかに行くようなことはしない。
そういう娘ではなかった。
えっ、私と砂羽の関係ですか。
キザに言わせてもらえれば、もう1人の自分。
魂の片割れ。
物心つく頃には、砂羽は私の横にいた。
幼い私たちに愛する、なんてことが分かるわけもなく、いやそもそも愛なんて言葉も知らなかった。
でも私と砂羽は本当に小さい時からここで一緒に育った。
その頃の私たちにとっては、このバラ園が全てだった。
私たちにとっての唯一の世界だった。
そしてこの温室はその中心で、聖地だった。
ここで私と砂羽はたった二人だけで成長した。
そう今、あなたが座っているところが砂羽の定位置だった。
そこに座った砂羽と私は、本当にさまざまな話をした。
それは私たちの心を融合させる作業だった。
砂羽は薔薇に名前をつけるんです。
だからこの温室にいる薔薇には全て名前がついていた。
ああ、もちろん今だって、右から。
ユイ。
さとみ。
ハル。
美里。
薫。
圭。
ああ、ごめんなさい、キリがないですね。
そんな砂羽が急にここから居なくなった。
砂羽はここしか知らないのに。
このバラ園と、この温室で育ったので、ここしか知らないのに。
急にいなくなってしまった。
あれから随分たつのに、未だ未解決事件ですよ。
色々勘繰る人も多くてね。
どこかに倒れていたんじゃないかとか、
死んでしまったんじゃないかとか。
しまいに私が殺したのではないかとか。
馬鹿馬鹿しい。
もし私が砂羽を殺したとしたら、私はどうやって生きて行くというんですか。
だってそうでしょう、たった二人きりで、生きてきたんだから、たった二人きりで育って大きくなったのだから。
でも外の人は本当にひどい。
私が殺して埋めたんじゃないかなんてね、そんなことするわけがない。
でもあのときは大変でした。
このバラ園のどこかに埋まっているんじゃないかとか、この温室の中とか。
だからそんなに美しいい薔薇が咲いているんだとかね。
馬鹿馬鹿しい。
そう、ちょうどあなたの横の花壇の下に砂羽が埋まっているんじないかなんてね。
ああ、大丈夫ですよ、もうそこには砂羽がいないことは、証明済みですから。
掘り返した人達が証明してくれましたから。
でも砂羽が居なくなってからの私は、人生で初めての孤独を味わった、というかそれまで孤独というものを知らなかった。
なんと砂羽がいない生活は寂しいものなんだろうう、そしてその時私はわかったのです。
わたしは砂羽のことを愛しているんだって。
おかしいでしょう、いなくなって初めて愛していたことに気付くなんて。
でもね。
砂羽がいなくなってはじめて本当に私は砂羽を感じることができるんです。
だって今だってすぐそばに砂羽がいて、私に微笑みかけているように感じているんです。
お恥ずかしい話ですが、その真ん中の大きな薔薇、砂羽っていうんです。
砂羽は薔薇に名前をつけていたけれど、流石に自分の名前をつけることはなかった。
そういう意味では砂羽が薔薇に名前をつけていたことを、そのまま私も引き継いだと言いましたが、完全に同じことはしていない。
ほら砂羽が笑っている。
あたしは薔薇たちに、あたしの名前何てつけないよと、笑っている。
えっ、いるんですよ砂羽はそこに、そう、わたしはずーと砂羽と、ここで生きてきた。
砂羽の体がなくても、私は砂羽を感じることができる。
だってそこにいるんだから。
そう砂羽がいなくなったなんて、それは未解決事件なんかじゃない。
砂羽はずつとこの温室にいるんだ。
私と暮らしているんだ。
ああ、ごめんなさい、取り乱しました。
お茶が減っていませんね。
あれ、どこにいきました。
まだお茶が残っているのに。
帰ったのかな。
いや椅子も人が座っていた形跡がない?
そうか今日はまだ、誰も尋ねてきていないんだ。
あれ、では私は誰と話していたんだ。
まあいい、砂羽、おまえが横にいるから私はそれでいいんだ。
なんだこのメモは。
砂羽見てごらん。
このメモおかしなことが書かれているよ。
砂羽なんて初めから存在していない。
だって、おかしいよね。
あれ砂羽どこにいったの、砂羽、あれ。
そういえばこのメモの筆跡、私のだな。
薔薇に名前を(バラ園未解決事件) 帆尊歩 @hosonayumu
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