第三話 悪魔
「何をすれば私たちはここから抜けることができるのかしら?」
ヴィエトリアが俺に問いかけてきた。
それまでセルベルと別れたあの瞬間のことを考えていた俺は、その声にふと頭を上げた。
すぐに首を横に振る。
しん、と静まり返った。
中央に組んだ木片の段からあがった火柱が揺れる。闇を帯びた赤がそれを囲んだ俺たちの頬を照らした。みんなうつろな目で中央で燃え盛る火を見つめている。
「……アナベル。あいつの妙な力の名称は、ロンドというらしい」
タンクが澱んだ空気を打ち破るかのように声を放った。
「ようやく正式な名前が判明したのか……俺たちが呼んでいた名称とまったく違うな。しかし、あの呪いの力……」
俺は小さく頭を振った。
そんなことがわかったくらいでどうしようもない。俺を含めたこの場にいる誰しもがそれを理解している。
「大丈夫ですよ、アナベル。なんとかなります」
エネロペがにこりと笑う。
か弱い肩がかすかに揺れる。そんな自然と解決するなんていう都合が良いことがある訳がない。言葉とは逆に彼女の細身の身体はそう語っていた。
彼女も、もはや限界に近いのだろう。ここで焚き火を囲んでいるみんながそうだ。いや、限界なんてとうの昔に超えている、身体的にも、精神的にも。
「現在の状況を確認しよう」
俺は不定期に行っている現状分析を提案した。
このようなことをしても無駄なことは前からわかっている。だが、できることが限られている今、何もやらないよりはマシだ。
「やっぱり、頭に流れる黒騎公の命令は、はじめから全力で滅ぼせ、みたいな感じだよな」
タンクが大きな腹を揺らして口火をきる。
「そして、除外条件は、十五歳未満、妊婦……」
俺は補足を入れた。
各人多少言葉に違いはあれど、黒騎兵以外に遭うとこの種の命令が必ず脳裏に流れる。
「……やはり矛盾しますよね」
エネロペがぼそりと呟く。
「エネ、そうだな。その矛盾の正体は何度考えてもやはり確定的だ。単純に考えれば、兵士で採用したいからというだけだからな」
アルフレッドが注釈を入れた。
おそらく若い人間を仲間に引き入れ洗脳するためなのだろう。それ以外に、十六歳以上を殺す理由はない。
「でも、やはり脳に直接命令するなんて……人間技じゃないわね」
ヴィエトリアが吐息をつく。
「……あいつは人間ではない」
俺は強い口調でそう言葉を返した。
「でも、一方の僕たちも人間といえる存在なんだろうか」
沈黙を保っていたシリウスがぼそりという。
「シリウス、そりゃ俺たちは人間だろ?」タンクが諌め気味な口調で反論する。「だって、俺たちあいつみたいな変な能力、誰も持っていないじゃないか」
「悪魔のようなものに変えられたとは思わないか? 黒騎公の命令に絶対に抗えない人間なんて、人間とは……」
「確かに命令に従うしかないのは確かではあるけれど、だからといって悪魔とか悪魔と契約しているっていうことにはならないわ」
ヴィエトリアが返す。
「みんな。そんな不毛なことをいいあっていても仕方がない。とにかくわかったことを整理しよう」
俺はいった。
「みなさん、勢力範囲はどれくらいになったと思いますか?」
俺に気をつかったのか、エネロペが機転をきかせ尋ねた。
「あいつらが滅ぼした国は二国。そして今回の田舎街が三つ目の国の入口というところじゃないかしら」
ヴィエトリアが想定を述べた。
基本的に一兵卒の俺たちには、今どこにいるのかといった情報が知らされることはない。ゆえにヴィエトがいったことはあくまで俺たちが思っている侵攻範囲だ。
たいして親しくもない近くにいる俺たちと同じ境遇の者たちに聞いた噂や、殺害中の街の人間や兵士の言葉、街にある資料くらいでしか情報がない。おそらく大都市にいけば、もっと情報があるのだろうが、あいにく俺たちが行動を指定されている範囲のほとんどは今回のような田舎街だった。ただ大都市にいけば反抗も激しくなり、さらに死亡する確率が高くなるのだから、運が良いといえば運が良いのかもしれない。
「……前々から不思議に思ったんだけど、この師団はどこかの国の軍なんだよね。首都とかあるのかな?」
タンクが誰ともなく尋ねた。
「首都なんてあるのか?」
アルフレッドがきき返す。
「そうね……後、今日、白日の国に攻め入った理由もわからないわ」
「ヴィエト。なんか不自然だったな。彼らは俺たちのことを知らなかったみたいだ。あそこまで情報がいっていない……切り捨てられたんだろうか?」
「でも、シリウス。白い鎧の奴ら。あれは私たちが来るのを知っていたのかしら?」
「まあ白い鎧を装備しているからには、あれは白日の国……の兵士さんですよね」
そういって、エネロペが目を細める。
セイベル……
彼女の姿を思い出しながら胸中で呟いた。
「やはり俺たちがこの数年間で得られた情報はまだまだ少ない」
タンクが核心めいた口ぶりをする。
「仕方ないよ。ほとんど毎日が虐さ……戦争のようなものだから。その情報だってどこまで合っているのか……確実なことは、黒騎公の暗殺は今のところ不可能ってことだけだね」
と、シリウス。
「ほぼ数年前の情報で止まっているに等しいわね。新しく入ってくる人たちも全員若いから、そんなに情報を知っているわけでもないもの。黒騎公に近くなれば、年齢の高い人たちもいるみたいだけれど……そんなところまで私たちの身分では近づけない」
「ヴィエト、確かにそうだ。今まで何とかしてきたけど、袋小路になりつつあるな」
タンクが両手を頭の後ろに回しながら俺たちの状況を要約した。
「人を殺さない戦略をとってきたけど、これは間違っているんじゃないのかな」
といい、シリウスが吐息を漏らす。
「確かに武功をあげれば、師団の中央に入れる可能性が高いかもね」
「タンクさん。でも、武功なんて……それって人殺しを率先してするっていうことですよ」
細い腰に片手をあて、エネロペが注意をするような口調で言葉を返す。
「だが、エネロペ。中央にいれば安全だし、もっと情報も……人を殺す機会も減るんじゃないか?」
「そうだね、アルフレッド。とにかく先兵隊任務から離れないと……街人の殺害から逃れることは当然なんだけど、兵隊をいつまでも相手にし続けるのは……この数年は運が良かっただけだよ」
と、シリウス。
「黒騎公の側近とか近衛兵にでもなれば、暗殺の機会もあるかもしれないわね」
「かといって、街の人を殺して自分たちの立場をあげるなんて。今日だって、私たち何人を……」
エネロペが消え入りそうな声を吐く。
「エネ、そうだな……実は白騎士たちの中にも……」
俺は話に乗じて、セルベルのことを切り出そうとした。
が、そこで大騒ぎが起こった。アルコールの匂いが周囲に蔓延する。酒の入った大樽を誰かが倒したのだ。
何が楽しいかは不明だが、それを見て興奮状態になったのか、太鼓の音が鳴り出し、すぐに陽気な音楽が流れ、多数の人間が踊り出した。おそらく彼らは、単なるアルコールだけではなく勝利の美酒とやらに酔っ払っているのだろう。
「クソ、あいつら。あんなことがあったばかりだというのに……」
アルフレッドが腹にすねかえた声を出す。
黒騎兵は何も俺たちのような殺しに消極的な者ばかりではない。率先して人を殺そうとする者たちもいる。死体の山の上で飯にありつくような輩だっている。さらにその頭蓋骨に赤ワインを注ぎ、飲むような異常者だっている。
俺たちは、仲間内でそんな彼らを「狂ってしまった奴ら」と、呼んでいた。
だが、全員がはじめからそんな奴らだったわけではない。彼らだってそのほとんどは元は普通の人だったのだ。それが黒騎公によって変えられてしまった。
そして、言葉通り、本当に狂ってしまったのだ。
赤子の鳴き声が聞こえる。奴らの子供たちだ。奴らはそんな彼らに育てられる。おそらく黒騎公の特殊な能力を使われなくても、そのまま奴等のように育つだろう。俺がそう推察するのは、殺戮が悪いことであるという教育は一切されることはないことや、行く先々でその殺戮が行われ彼らの身近にその行為が置かれるからだ。
すべてのタガが外されている。
俺は常々思っている言葉を胸中でこぼした。
「ぶり返すようだど、あんなのが人間だとでも? 僕はそうは思わない」
シリウスが嫌悪感を露わにする。
だが、少し羨ましい。俺もあれだけ狂ってしまえれば、もう何も考えなくていい。
「俺もぶり返すようだが、ただもう少し戦闘……虐殺行為に近いが……それで活躍しなければ、俺たちはこれからどうしようもない……んだよな」
目を澱ませながらタンクが重い声を吐いた。
彼のいう通りだ、と俺は思った。
師団の中央に近づいて探りを入れる以外、俺たちがこの黒の師団を抜けられる可能性は万にひとつもない。
黒攻のアナベル 零 @bjc
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。黒攻のアナベルの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます