第二話 白騎士
街に入った俺は周囲を確認するため、顔を大きく左右した。頭部を覆われていないこの兜は、額から鼻筋にかけ鉄の塊が垂れ下がっていて辺りが若干見にくい。正直にいえば、この兜がどうしてこのような造りになっているのか不明だ。だが、一兵卒の俺にその理由を奴らが知らせることはない。
「おお、騎士様? 旅の途中かね」
老人が声をかけてきた。
素朴な感じで、金持ちではないだろうがこぎれいな服を着ていた。
俺の装備を見てこのような悠長な態度が取れるのは、何も知らないのか頭にボケがきているのかどちらかだ。
だが、この国に侵攻したのは、ほぼ黒騎公の気まぐれだと思われる。つまり、完全なる奇襲だ。ゆえにこの街の人間が俺たちの情報を知らないことは不思議ではない。もしかすると噂くらいは聞いたことがあるのかもしれないが、まさかひとりで先行隊としてきているとは誰も思うまい。
初めからすべての力を使い滅ぼせ。
内側から鼓膜へと鳴り響く命令。
俺は剣を抜いた。老人が驚きのあまり眼を見開く。声も出せないところを見ると、やはり思考能力が劣化しているのだろうか。
ただし、十五歳未満、または妊婦の殺害は許可しない。それ以外は死を。
頭で命じられたまま俺は斬りつけた。
これで俺の原罪がまたひとつ増えた。
罪の意識に苛まれることは不幸だ。だが、その不幸をまだ感じられるだけ幸せであるといえるだろう。何も感じることがなくなることだけが怖い。いや、本当は狂ってしまうことを俺は望んでいる。
周囲の通行人が悲鳴をあげる。誰かを呼びに駆け出す者もいる。俺を取り押さえようとする奴はいないが、逃すまいと遠巻きに取り囲む青年たちの姿もある。
それらすべては、彼らがまともな人間である証拠だ。
「あ、悪魔……」
若い女が俺の背後で悲鳴をあげた。
黒騎兵を遠くから見たものたちはすべてそういう。
それらがいる少し離れ位置から響く地鳴りのような怒号が俺の黒の甲冑を痺れらせた。
剣を背中へと振り回す。
血が舞うや否や、すぐに喧騒にも似たざわめきが起こった。
「おお、なんと美しいことよ」
と唸り、迫り来る黒騎兵の方を向き、跪き祈り出した男の姿が目に入る。
黒騎兵の一糸乱れぬ隊列を指し、そう述べる者が一定存在することは以前から理解している。死の間際になると、あれは神なのか、悪魔なのか、一見では判別不可能になるということなのだろう。
俺は脳裏に流れる言葉のまま、その者を斬りつけ始めた。
血が流れる。
誰か俺を止めてくれ。首を刎ねるんだ。
さもなければ、黒騎兵が到着する前に逃げろ。
俺はそう願いつつも、次から次へと住民たちを仕留めていった。
家を蹴破り、中にいる人々を引き摺り出した。
そこで黒騎兵たちの黒馬が、寝転んでいる者たちを跳ね飛ばす。
馬を降り歩兵となった者たちも、そこらかしらの蹂躙を始めた。そして、食糧になるような物をすべて自らの鞄にかき入れる。
ダメだ、なんでこんなことを……
「やめろ」
頭が割れるように痛む。
たまたま目の前にいた男がキョトンとした顔をする。次の瞬間には聞こえてくる悲鳴。無駄だとはわかりながら手を後ろに引こうとした。だが、すぐに襲いくる頭痛。やはり、いつも通り手を止めようとしても止まらない。
「……抗わないでください。危険です」
エネロペが俺に近寄り声をかけてきた。
そのまま前へと出る。身に纏う黒の鎧に負けないほどの漆黒の髪が浮き上がる。
「気にしすぎるな」
赤髪のアルフレッドが肩を叩いてくる。黒の鎧の関節部がかちゃりと鳴った。
「ああ、アルフレッドのいう通りだよ。僕たちにはどうしようもない。被害を最小限にとどめられる場所に行こう」
シリウスも俺に声をかけてきた。
言葉をおえるや否や腰まで伸びた金色の長い髪はところどころ血で黒く染まっていた。呼びかけ終わった瞬間、黒い兜を被ったその顔を振り回す。
「タンク。どこかいいところはないか?』
俺は尋ねた。
斜め前で剣を振るっていたが、俺の声に反応し、顔をこちらに振り向かせるタンク。一際大きく太い。相変わらず彼に黒の鎧のサイズは合っていない。何にしても、彼は微妙に頷いただけだった。
それから俺たちは、命乞いをするものや女を使ってその場をやり過ごそうとする者、ありとあらゆる者たちを有無をいわさず斬り殺した。
「路地裏、ありましたよ。十分細いです」
エネロペが呼びかけてきた。
俺たちを先導するためだろう、前へと走り出す。
「ヴィエトは?」
彼女に並びかけながらきいた。
「いつも通り上です」
短く答えるエネロペ。
タンクを先頭にし、俺たちは路地裏の細道へと飛び込んだ。
「これだけ細ければ、あまり人を殺さないで済むね」
と、シリウス。
「待て、この場を離れろ」
俺はシリウスの言葉が終わるや否やそう叫んだ。
路地を通り、一列にこちらへと向かってくる鍬やノコギリを持った集団が見えたからだ。
それを既に視認したのか、タンクが盾を持って前に進もうと突進を開始した。おそらくこのままでは何人かを引き倒してしまい、また倒れ込んだ彼らを串刺しにしてしまう。
またか……俺の心が闇に染まりそうになった、その瞬間だった。
矢が一番先頭の男の胸に刺さった。
そこから何本もの矢が倒れ込んだ男の周囲へと飛ぶ。
「ヴィエト……」
俺は屋根にのったヴィエトリアに向け、そう呼びかけた。
美しいピンク色の髪が揺れる。彼女は俺をちらりと見た。もちろんその黒の鎧の女は、ニコリと微笑みかけることはない。
集団は細道から一斉に後退を始めた。
「時間ができた。タンク、そのままゆっくりと前に進もう」
シリウスの指示が背後から聞こえた。
路地を抜けると丘が見えた。人々がその付近を逃げ惑っていた。黒騎兵たちはその彼らの背中を問答無用で斬りつけていく。
少し先に進むと、白い鎧を着た者たちが応戦している姿が目に入った。刃を交える音が至るところから聞こえてくる。おそらく彼らは街の人たちを救おうとして駆けつけた者たちなのだろう。
向かうしかないのか……俺は……
どう抗おうにも自然とそちらの方へと足が向かう。
「密集戦になります。みなさん、死なないでください」
エネロペが全員に忠告する。
「エネロペ、きみも同じだ。みんな固まろう。絶対に離れるな」
シリウスがエネロペを含めたその場にいるメンバー全員に呼びかける。
そして、俺たちは円を描く一団となった。
白騎士や軽い武装を装備した街人たちが、周囲から遅いかかってくる。
守備の固いタンクの背後を利用しながら、俺たちはそのすべてを剣で突き刺していった。
「街の人を逃して。早くしないと……」
そんな最中、女の透き通るような声が耳に入った。
ちょうど倒れた白騎士にとどめを刺すため俺が仲間たちの輪を離れたタイミングのことだった。
「いつも通りの総力攻撃ですね」
少し先にいた白騎士の兜からまた女の声。どうやら、対面で剣を振るっている同じ白騎士の仲間に話しかけているようだ。
「黒騎兵……際限がないわ」
その仲間……の声は街人を逃がそうと発言した女のものだった。
彼女たちは近くにいる俺に注意を払っていないようだ。というより、存在自体に気がついていない。
この状況はまずい――彼女たちの未来を思った俺の胸は締めつけられた。
さあ、殺すのだ。はじめからすべての力を使い滅ぼせ。
そんな俺の思いとは裏腹に、頭を流れるその命令。
白騎士の女……彼女は単に街の人たちを救おうとこの場に来ただけだ。俺に殺される道理などまったくない。そして、俺も殺しなどしたくはない。
だが、足は勝手に動く。俺は間近にいた女の白騎士の方へと走りだした。
俺はそいつが妊婦であることを祈った。しかし、それは無駄なことだった。女は鎧を身につけているし、腹が膨らんでいる様子もない。妊婦である可能性はほぼなかった。
俺は周囲を確認した。タンク、エネロペ、アルフレッド、シリウス。俺を止められない彼らの姿しか目に入らない。そして、彼らも人を殺めている最中だった。そして、俺の行動に気がついた街人や白騎士もいなかった。
気がついてくれ。拘束するんだ、誰か。なんなら俺を殺してくれても構わない。
願いもむなしく、俺は女の白騎士の首元目掛けて剣を突いた。
刃の重なる音が鳴った。
横から誰かの剣が飛び出してきたのだ。
呼吸音から、先ほど近くにいた別の女の声だと判別がついた。
止められた――いや、止めてくれた。ほっと胸を撫で下ろす。
「ヴィエト、待て」
それも束の間、すぐに叫んだ。
少し距離が離れたところに佇んでいるヴィエトリアが目に入った。彼女は姿勢を整えて弓を引く最中だった。
死なせない。
彼女の声が聞こえてきた。いや、そんな口の動きをしたような気がした。
ヴィエトリアの弓がしなったかと思うと、俺のいる方角へと一直線に矢が向かってきた。
女の白い兜が脱げ、金色の長い髪がふわりと落ちた。綺麗な輪郭をした女の顔が現れる。矢によるダメージがなかったのか、すぐに俺から距離を取ろうと行動を開始した。
「ククリ。はやく逃げて。退却よ」
俺の攻撃対象だったもうひとりの女にそう声をかけた。
「うん、セルベル」
呼びかけられたその女騎士は相方の名前らしきものを言った。
セルベル……?
その名を聞いた俺は思わず、金髪の女の顔を見た。
おもむろに女の方も俺に目を合わせる。そして、その俺を視認した彼女は驚いた顔をして口を開いた。
「アナベル兄さん?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます