後半
彼女には鱗と鰭があった。スカイブルーの長髪が透き通った白い肌を覆い、毛先のかかった部分は人間の脚ではない。衝撃的な容姿とは反対に、可憐な表情を作る唇は薄く開かれ、金色の瞳には驚くリンの顔がしっかりと捉えられていた。
暫し見つめ合っていると、鰭がパシャンと水面を叩いた。リンは我に返り、目の前のマーメイドから一歩身を引く。
「ごめんなさい。わたし、てっきり人間だとばかり……」
「怖がらないで。私は貴女を、そう、ずっと待っていたの」
マーメイドは狼狽するリンに近付いた。そして両手で輪を作り、その手を海に落ちた月影へ嵌める。一体何をするというのだろう。マーメイドが輪の中にふっと息を吹き込むと、そこを通して見える月の影に信じられない光景が映しだされた。
淡いブルーのスーツを着て中折れ帽を被った男性と、彼と同色のツーピースドレスにつばの大きな羽根つき帽子を身につけた女性。紛れもなく、友人の披露宴へ船で出向いたあのときの父と母であった。両親は穏やかな海を背にして笑い合い、とても愉しそうだ。
「どうしてこれを……」
マーメイドは親指で鰭を差す。今気付いたが、鰭が不自然に切れ込んでいて傷を負った形跡があった。
「昔、意地悪な人間に捕まったところを貴女のご両親に助けていただいたの。その優しい人たちが、半年前に海の星となって私の許へやってきたのだけど、そのとき一人娘がいるから宜しくと頼まれたのよ。ご恩があるんですもの。私は快く承諾したわ。でも、私は陸に上がれない。だから……」
「夜になると歌って、わたしを呼んでたのね。父さんと母さんの遺品を、このわたしに届けるために……」
リンは声を震わせ、目頭が熱くなるのを感じた。その晩はマーメイドの隣に座り、リンは空が白むまでその映像を眺めていた。月は沈み、代わりに朝陽が海を照らし始める。夜明けのマーメイドは眠そうに背伸びをして、海の向こうに目を細めた。
「……そろそろ帰らないと。寂しいけど、もうお別れね」
「ありがとう。……ねえ、また逢える?」
「ええ、きっと。海が私と貴女を引き寄せるから」
名残惜しく触れていた指先がついに離れる。海の中でマーメイドは優しくリンに笑みを返し、澪を引いて遠退いてゆく。柔らかな光りの粒に鰭が見えなくなると、今度は波が押し寄せてきて、勿忘草色のサンダルを温かく濡らした。
人魚の入江 夏蜜 @N-nekoko
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