第七話 豚に申し訳ない

「なるほど、それは困りましたね」


 メイリンと共にパミラの家に上がったアルフィーは、血の気が引いてしまっている彼女を前にして深刻な表情で呟いた。


 本来ならキートン男爵を呼び戻し、彼に問題を解決させるのが望ましい。しかし当の男爵は二日前にこの地を去っており、一方のハイマンは明日にはパミラを迎えに来るという。


 どう考えても男爵は間に合わないのだ。


 アルフィーが父親の権力を頼り、ズール伯爵家を粛清するのは容易い。スタンノ共和国はハセミガルド王国の属国なのだから内政干渉を憂う必要もない。


 しかし彼は自ら領地を所望した以上、極力その力に頼らずに事を収めなくてはならないと考えていた。ハセミガルド王国第一王子という肩書きは、アルフィーにとってこの上なき名誉であり重荷でもあったからである。


「やっぱりぃ、どうにもなんねぇよなぁ」

「いえ、諦めないで下さい!」


「だどもおら達にゃ、貴族様に逆らうことなんぞ出来ねえっし」

「私がハイマン様の許に行けば済むことです。ベックもそれで助かりますし……」


 パミラもベックも村生まれの村育ち。幼い頃から仲がよく、いつしか互いを意識するようになったそうだ。他にも年頃の男女は何人かいたが、二人が惹かれ合っているのを知って横恋慕する者はいなかった。


 それに規模が大きいとはいえ狭い村である。そんなことをすれば爪弾つまはじきに遭うのは目に見えていた。


 これまでのことや村のことを聞いているうちに辺りはすっかり暗くなり、アルフィーとメイリンが夕食まで世話になった頃、聞き覚えのある声が外から聞こえてきた。


「ごめん下さーい」


「おや、こげな時間にどちらさんだろうね」

「すみません、僕の伴の者だと思います」


「そうけえ。だば上がってもらおうか」


 やってきたのはステラとワクルーである。


「今夜はもう遅え。狭えとこだんが泊まっていってくんろ」

「明日はハイマン殿も来られるとのことですし、お言葉に甘えさせて頂きます」


 そうして与えられた部屋は一つだったが、四人が四肢を伸ばして休むには十分な広さだった。パミラの父親は数年前に亡くなっていたが決して貧しいというわけではなく、それなりの人数の小作人を雇うほどの畑を持っていたのである。


 お陰でこの第三集落どころかスルダン村においても比較的裕福な家だった。


 それはさておき、ステラとワクルーから話を聞いたアルフィーは怒りを抑えるのに必死だった。ハイマンの悪行は予想をはるかに上回り、息子を咎めもしないズール伯爵も放置してはならないとの考えに至る。


「ステラさん、このことを父上には?」

「お伝えしました。お館様からは殿下の思うようにやりなさいと仰せつかっております」


「分かりました。皆さん、協力して頂けますか?」

「「「はい!」」」


 その夜はハイマン一味の夜襲に備えてメイリンたちが交代で警戒に当たったが、単なる村人と侮っていた彼らが何かを仕掛けてくることはなかった。



◆◇◆◇



「パミラ殿、迎えに来ましたよ」


 翌朝、村には不釣り合いなほど豪華な装飾の馬車がハイマンを乗せてやってきた。昨夜ステラたちが見た密偵四人は縄で縛られた若い男性を取り囲んでいる。おそらく縛られているのがベック青年なのだろう。


 また、四人の他にも十人近い護衛たちが、悪趣味なほどの宝石類を身につけ丸々と太った醜悪極まりない男性を取り巻いていた。そのブタと表現するのが豚に申し訳ないほどの男が件のハイマンである。


 ハイマンはカイゼル髭(中心から外側にいくにつれてくるっと上向きに巻いている髭)の先端を摘まみながら、口元にいやらしい笑みを浮かべていた。


「ベック! ベック、無事だったのね!」


「言ったではありませんか。パミラ殿が大人しく奉公に来てくれるなら彼の無礼は許すと」

「本当に、許してくれるんですね?」


「信じちゃダメだ、パミラ!」

「うるさいですね!」


 ハイマンが目配せすると、四人の中の一人がベックの鳩尾みぞおちに拳をめり込ませた。あまりの苦しさに腰を折るベックだったが他の三人がそれを許さず、無理矢理に引き起こされる。


「やめて! ベックに酷いことしないで!」

「おやおや、すぐにでも無礼討ちにするところをそうしなかったんですよ。酷いとはずい分ですねえ」


「いい加減にしなさい!」


 見かねて声を上げたのはアルフィーだった。メイリンたちに護られてはいるが、ハイマンの視界には間違いなく入っている。


「小僧、ハイマン様に対し無礼だぞ!」

「まあまあ、今日の私はパミラ殿を連れ帰れるので子供の無礼など笑って許せるほどに気分がいい。ですがそれもここまでです。これ以上の無礼は子供と言えども許しませんよ」


 腰の剣に手をかけた護衛の一人を制して、ハイマンは見下すような視線をアルフィーに向けた。当然メイリンたちは臨戦態勢に入っていたが、ほんのわずかな動きだったので彼らの中に気づいた者はいない。


「嫌がる女性を連れ去るのは見過ごせません!」

「貴殿は村の住人ですか? それにしては身なりがいいように見えますが」


「僕はたまたまパミラさんの家に泊めて頂いた旅の者です。一宿一飯の恩義は返さねばなりません!」

「なるほど。ではその恩義とやらはこれで十分でしょう」


 言うとハイマンは懐から金貨を一枚取り出し、アルフィーの足元に放り投げた。


「それを渡してやりなさい。これ以上の口出しは無用です」

「…………!」


「私とて旅人を無礼討ちにはしたくありませんからね。ん? 横にいる三人は貴殿の連れですか?」

「だったらなんです?」


「ふむ。いずれも粒ぞろい。よろしければズール伯爵領にご招待しましょう」


「こ、この人たちは関係ありません!」

「パミラ殿、旅の伴が増えるのはよいことではありませんか」


「私が……私が行きますから……」

「パミラさん、こんな奴の言うことをきく必要はありませんよ」


「黙れ小僧! ハイマン様は貴様の連れに用があると言っているのだ!」

「僕には用はないと?」


「言うことをきいた方が身のためだと思いますけどねえ」

「ベック!」


 ベックを押さえていた四人のうちの一人が剣を抜き、切っ先を首元に向ける。それを見たハイマンの護衛たちもそれぞれ剣を抜いた。


「あー、もう面倒になりました。パミラ殿とそこの三人の女以外は無礼討ちとします」

「なっ!? 約束が違います!」


「パミラ殿、これは貴女のせいでもあるのですよ。私が迎えに来ると知りながら旅人を泊めたりするからです」

「酷え、あんまりだぁ、貴族様ぁ」


「パミラ殿の母上でしたね。残念ですが娘御むすめごとも今日でお別れです。やれ!」

「「「「はっ!!」」」」


 だが、一瞬にして激しい殺気を纏ったメイリンたちに、アルフィーとパミラの母親に向かって走り出そうとしたハイマンの護衛は虚を突かれたように立ち止まるのだった。

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