第十四話 抗議文
元テヘローナ帝国皇后ウィロウ・テヘローナは、数十年ぶりに祖国イルドネシアの地を訪れていた。かつてこの国の王であり、彼女の父親でもあったイルドネシア十六世はすでにこの世にない。
その座を継いだ兄のイルドネシア十七世も王位を子に譲り、今は隠居の身である。現王はルクセン・イルドネシア、イルドネシア十八世だった。
また、王都シャーカルタンの中央にそびえ立つウラブド王宮は、築三百年以上の歴史を誇る。
たった三百年、そう思ったのなら考えてほしい。この国は海洋国家、つまり晒されるのは潮風である。塩害は相当のものであり、その中にあって三百年も朽ちない建築はこの国の技術力の高さを物語っていた。
「叔母上殿は真に帝国の再興をお望みですか。勝算はおありで?」
「ルクセン陛下、あの忌々しきハセミガルド王国の手に落ちた我が帝国は、属国属領を解放し今や本国のみ。愚かな国王のお陰で軍備も縮小しております。この国の兵五千をお貸し下されば、ミューポリシの五千と合わせて十分に奪還可能と考えます」
「ふむ。経路上にスイフタン王国があると聞いていますが、問題はないのですか?」
「あのような取るに足らない小国など気にする必要はありません。帝国再興と共に属国としてしまえばよいだけのことです」
「なるほど、ですが兵をお貸しするには条件があります」
「条件とは?」
「帝位継承権を持つ皇子にイルドネシア家の姫を娶らせ、同様に帝位継承権を持つ皇女をこちらに嫁がせて頂きたい」
「異論はありません。私も元はイルドネシア家の者ですから、将来我が一族の血を引く者が皇帝となる未来なら望むところです」
この時の皇后ウィロウは、男の元皇族が北のハセミ領に送られたのを知らなかった。
「では至急五千の兵と軍艦を含む二百の艦艇をミューポリシに向かわせる準備をしましょう」
「陛下、帝国再興の暁には国名をイルドネシアと改めるのはいかがでしょう?」
「そうすると本国があちらに移ってしまいますよ、叔母上」
「構わないと思います。以前のように周辺国を飲み込めば、国土も豊かさも現在のイルドネシア王国の比ではありません。しかも今度は初めからミューポリシも従えることになるのですから」
「なるほど。では私がイルドネシア帝国の初代皇帝の座に就いても構いませんか?」
「それはよい考えですね。でしたら領主として現在のテヘローナを治めている第七皇女のスカーレットを娶られるとよろしいでしょう」
「ハセミガルドの国王に任命されたという皇女ですね。どのような娘なのです?」
「見た目は殿方が満足されるのに十分かと。それにあのハセミの王にすり寄る強かさも、
「ほう、面白そうですね」
「確かまだ十八だったと思いますので、
「叔母上は恐ろしい方だ。まあ、皇帝になってしまえばいらなくなりますから、それもいいかな」
この密談から十日後、イルドネシアの軍港では大砲を積んだ軍艦を含むおよそ二百の艦艇が出航を待っていた。ただ、その目的は港湾国家ミューポリシに兵を運ぶことなので海戦は想定されていない。
両国合わせて兵士一万と二千の
馬車で四日の距離だが、行軍を急がないのはテヘローナ領の直前で十分な休息を取り、一気に攻め込むためである。
「おい、聞いたか?」
「何をだ?」
「途中の町や村では略奪しきれって話だぞ」
「マジか!?」
「それに俺たちの姿を見た奴らは皆殺しにするんだと」
「へえ、そりゃ楽しみだ。女は?」
「好きにしていいらしい。だけど女なんて奴隷を連れていくんだから不自由しないんじゃないか?」
「バカだな。ソイツらは壊せないだろ」
「なるほど、そういうことか」
従軍奴隷を傷つけたり殺したりするのは禁止されているのである。
「それに何でも言うことをきく女なんて面白くないじゃないか」
「そうか、そうだよな。俺もなんか楽しみになってきたぞ」
「嫌がって泣き叫ぶ女を……」
「最後は殺す、か」
「まあ、よほど見た目がよければ多少連れ回してもいいけどな。あ、でも飼うなら自分の食い
「今回は日程も短いようだし、敵さんの軍隊はほとんどいないっていうから楽勝なんだろ。だったらすぐに終わるんじゃないか?」
「確かに。なら奴隷にして飼うのもいいか」
「よっぽど見た目がよければ、な」
「ああ、よっぽど見た目がよければ、だ」
こんな会話が待機中の兵士たちの間で交わされていた。そしてその日の夕刻、およそ二百隻の艦隊はイルドネシアの港を出航するのだった。
◆◇◆◇
「お館様、メイリンのこと、ありがとうございます」
急所は外れていたとはいえ、スカーレットの身代わりに手裏剣を二カ所に受けた傷は深かった。そのため優弥は魔王ティベリアを呼んで治癒の魔法を使わせたのである。
「ロッティ、礼なら魔王に言うといい」
「もちろん、ティベリア様にも申し上げました」
「そうか。今後の任務にも支障がなさそうでよかったな」
「はい。ですが少し驚きました」
「何にだ?」
「てっきりメイリンをお叱りになられるのかと」
「いやいや、あれで叱るって、俺はどれだけ無慈悲だと思われてるんだよ」
「も、申し訳ありません。言葉が過ぎました」
「まあ、死ぬなって命令に背くところだったっていうのは分かるけど今回は叱れないさ。危機を察してスカーレットとケイティを救い、自分も死ななかったんだから」
おそらくレオンはスカーレットを襲った元皇后の庭師、スネークマンよりもはるかに手練れだった。にも関わらずこの成果だ。称賛に値するのは言うまでもないだろう。
(何か褒美をやらないとな)
数日後、メイリンは優弥の名が刻まれた金属製のプレートを贈られることになる。どうやら彼女も叱責されると思っていたようで、この褒美には涙を流して喜んでいた。
「ところでミューポリシも兵を集めているんだな?」
「配下からの報告ではそのように」
「だが中立の立場は変えてない。やはりイルドネシアと合流してから動くということか」
これでミューポリシの国王に対する処遇は決まった。挙兵は明らかな中立義務違反である。
「兵たちは途中の町や村の略奪も命じられているようです」
「こちらが侵攻に気づくのを遅らせるためだな」
それならば彼らをミューポリシから出すわけにはいかない。だが、現段階で仕掛けるのは早過ぎる。
「揺さぶってやるか」
「どうなさるのですか?」
「ロッティ、金貨二百枚が入った財布、盗まれただろう?」
「そういうことでしたか」
「俺の名で正式な抗議文を書いてやる」
「ですが転送ゲートの存在を知らないのですから、抗議文が届くまでの日数が不自然だと思われないでしょうか」
「本物だなんて信じないってことだろ?」
「はい、僭越ながら……」
「ま、それも考えた上でのことだよ。すぐに抗議文を書くから配下に届けさせてくれ」
「かしこまりました」
言葉通り一時間もかからずに抗議文を作成した優弥は、ミューポリシの首都ピレシウスにある王城に届けるよう命じるのだった。
――あとがき――
次回更新は7/6(木)の予定です。
間が空いてしまい申し訳ありません。
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