第十話 不審な男レオン

 テヘローナ領からミューポリシへは、帝国の支配から解き放たれた小国スイフタン王国を通る必要があった。この王国は旧帝都、現在の領都バルビノから比較的近いこともあり、早期に帝国に侵略された歴史を持つ。


 長く統治されていたせいで解放後の国情が安定しているとは言い難かったが、ハセミガルド王国の属領となっての再建は頑なに拒まれた。再び他国に支配され自治権が失われることを懸念したのだろう。


 優弥とロッティ、イズナの三人はバルビノを出た翌日の夕刻、スイフタン王国の王都ロンセラから遠く離れた辺境の町、レーンズヒルに到着していた。


 この町は元々バルビノとミューポリシの首都ピレシウスを結ぶ街道の宿場町として栄えていたが、訪れる商人の数はむしろ帝政解体後の方が増えたほどだ。大きな商会は支部を置いているし、観光業も盛んなので宿屋や料理屋の他に屋台や露店を営んでいる地元民も多い。


 また、町の北には大きな川が流れており、そこで獲れる魚が名物料理の一つとなっていた。


「お館様、町の入り口付近の宿はどこも満室で、コテリビエという川沿いの割高なところしか空きがありませんでした」

「構わんよ。食事は出来そうか?」


「はい。併設された酒場で出しているそうです」

「では二部屋取ってきてくれ」


「他に空きがないといけませんので、すでに取っておきました」

「でかした、イズナ。では早速向かうとするか」

「はっ!」


 付近に転送ゲートを設置してソフーラ城に戻るという手もあったが、元皇后に後手に回らされた鬱憤うっぷんを晴らす意味で、彼は出来るだけこの旅を楽しむつもりでいた。


 イズナが見つけてきたのは、そんな彼の気持ちを汲んだかのような、名物の魚料理が殊更ことさらに美味いと評判の宿だったのである。


 一行が到着した時にはすでに広い酒場が多くの客で賑わっており、こんな中でよく二部屋も確保出来たと感心したほどだった。だだ、イズナが割高と言った通り、騒いでいる者の中に商人はいないようだ。


(商談でもなければ商人はこんなところで散財しないからな)


 ちょうど四人がけのテーブルが空いていたので、優弥の正面にロッティとイズナが並ぶ形で席を取る。すぐにメイド服姿のウエイトレスが注文を聞きに来た。


「俺はニジマースの特上塩焼き御膳を。二人も同じでいいか?」

「「はい」」


「お酒はいかがいたしますか?」

「いや、酒はいい」

「私たちもいりません」


「ニジマースの特上塩焼き御膳三つですねー。かしこまりましたー!」


 酒を飲まないのは、ロッティとイズナが飲まないからだ。彼と行動を共にしている間は、基本的に彼女たちが飲酒することはないのである。その代わり食事代には糸目をつけないことにした。


 ちなみに三人が注文したニジマースとは、レインボーに輝く鱗が特徴で、砲弾のように水から飛び出し金属の鎧さえ貫く凶暴な肉食魚である。捕獲には危険を伴うため高価だが、その身は脂がのっており大変に美味との噂だった。


 中でも特上塩焼き御膳は体長五十センチほどある物が丸々一尾。他に煮物や魚卵など、十品の料理がセットになって一人前小金貨二枚、日本円でおよそ二万円と、メニューの中では最も高価な料理だった。優弥もこの世界に来てから初めて食べる一品ばかりだ。


 なお、酒場では酒でも料理でも注文時に代金先払いと言われたので、彼はスカーレットに用意してもらった帝国の小金貨で支払いを済ませた。受け取ったウエイトレスは一瞬眉をひそめたが、何も言われなかったので問題はないだろう。


 その時、ロッティとイズナが鋭い目つきで懐に手を入れる。見ると顔を赤らめた身なりのいい、優弥と同年齢くらいの小柄な中年男性が三人のテーブルに近寄ってきていた。最も、見た目は優弥の方が断然若い。


「御大身殿はどちらから来られた?」

「ああ、北の方からだ」


「隣、よろしいかな?」

「ん?」


 返事を待つことなく男性は空いていた優弥の隣に座った。


「お嬢さん方、そんな怖い顔で睨まんでくれ。美人が台無しだぞ。おーい、そこの給仕よ」

「はーい、ただいまー! どうされました?」


「こちらの三人に酒……は飲めるか?」

「いや、俺たちは酒は飲まん」


「ならこの店で一番高い果汁を三つ。私には蒸留酒を頼む。これで足りるかな?」

「ちょうど頂きましたー!」

「おい!?」


「北の方から来たということはテヘローナ領からかな? それとももっと北かな?」

「その前に、同席を許した覚えはないぞ」


「まあまあ、そう固いことを言いなさんな。同業者だろ?」


 最後の一言はかなり小声だった。


「お嬢さん二人はしのびか。こちらに敵意はないから物騒な物は出さんでくれよ」

「俺はただの商人、二人は雇った護衛だ」


「ま、そういうことにしておくさ。ところで御大身殿は竜殺しを知ってるか?」


「あ? ああ、噂程度にはな」

「本当だと思うか?」

「何がだ?」


「一人でドラゴンを殺したって話だよ」

「さあな。アンタはどうなんだ?」


「多少の誇張はあるだろうが、少なくとも嘘だとは思ってない。竜殺しの王が治める国には骨が展示されているって聞いたしな」

「で?」


「今のは単なる前振りだ。私はミューポリシの者なんだが、出来れば御大身殿と取り引きしたい」

「取り引き?」

「商人なんだろ?」


「悪いが商談と買い付けに行くだけだから売れるような物は持ってないぞ。胡散うさん臭い相手から物を買う気もない」

「情報を売ってほしい。スカーレット元皇女殿下の情報だ」


「皇女殿下の情報? 何故そんな情報を俺が持っていると?」


「御大身殿は先ほど帝国小金貨で料理代を支払っていただろう?」

「それがどうした?」


「この国でも帝国の金貨は使えるがあまりいい顔はされない。基本的に帝国金貨は王国の金貨に両替してから使うのが主流なのさ」


 そこで彼は先ほどのウエイトレスの態度を思い出した。長きに渡り帝国に支配されていたこの国では、金貨でさえ忌避の対象だったということなのだろう。


 聞くと、解放されて間もない現在は圧倒的に帝国金貨の流通量が多いため、使用不可には出来ないというのが実情とのことだった。


「だから御大身殿はテヘローナ領から来たと見たんだが、間違いじゃないだろう?」

「なるほど、いいことを教えてくれた。礼として知っていることなら教えよう。何が知りたい?」


「元皇女殿下は誰かに襲われたと聞いたんだが、公務には戻られているのか?」

「俺は一般市民だぞ。そんなの知っているわけがないだろう」


「一般市民がこんな高級宿に泊まって、一番高い料理を護衛の分まで注文するとは思えんがね。後ろ盾は侯爵か伯爵、あるいは御大身殿本人が上級貴族ってところじゃないのか?」


「お待たせしましたー。お先にお飲み物をお持ち致しましたー!」


 男性が注文した飲み物をウエイトレスが持ってきたので一度会話が途切れる。毒が混入されているとは考えにくかったが、優弥たち三人はそれを口にしようとはしなかった。


「この宿の果汁は美味いぞ。遠慮せず飲んでくれ」

「後で頂こう」

「毒なんて入ってないんだがな」


「残念ながらアンタの求める情報は持っていない。分かったらさっさと消えろ。食事の邪魔だ」

「ま、知ってても教えちゃもらえないか。私の名はレオン。覚えておいてくれ」

「忘れなかったらな」


 去り際にレオンと名乗った男は、スイフタン王国の小金貨を十枚置いていった。優弥がそれを懐にしまったタイミングで、ニジマースの特上塩焼き御膳が運ばれてくるのだった。

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