第九話 開戦

 テヘローナ帝国、帝都はバルビノ。十一の属国と十八の属領を従えるゼノアス大陸最大の国家である。皇帝はエズラ・バルビノ・テヘローナ、齢六十を超えてなお国土を広げる野心に衰えの兆しはない。


 皇后の他に上は五十から下は十六までの皇妃が十五人。皇子皇女は合わせて五十人以上おり、皇太子たる第一皇子ジュード・バルビノース・テヘローナはすでに四十二歳となっていた。だが、未だに皇帝は帝位を譲る気配すら見せていない。




 夏の陽射しが照りつけ、汗ばむほどの高い気温の日が続く中、ロッティが執務室を訪れてテヘローナ帝国軍の進軍開始を報せてきた。


 前情報通り、第一陣は奴隷兵と徴募兵からなる三万の軍勢とのこと。基地ノルランディを出立した彼らはおよそ千人で構成された大隊単位で行動し、二つの師団でベンゼン領の勇者軍を東西から挟み撃ちにする作戦に出るようだ。


 その際、西のトルムト辺境伯領に対しては、西側に展開する師団から徴募兵の大隊が睨みを利かせることになっていた。


「エリヤには伝えたのか?」

「ミリーが向かいました」


 領民の避難は義勇兵と何人かの娼婦を残し、一週間前に完了している。避難先にはさすがに娼館はないので、彼女たちはベゼルシエロ砦に入るか領都ベゼルキアに残るしかなかったのだ。


 ただ、砦内に築かれた町には娼館もあったが、客となる兵士は共和国中から集まった者たちだ。中には傭兵もいる。そして兵士や傭兵は娼婦を見下して雑に扱う者が多い。


 そんな彼らの相手をするくらいなら、危険でも領都に残って領民の相手をした方がマシなのである。さらに彼女たちには男が苦手とする炊事や洗濯、料理などをすることで、領から特別手当ても支給された。


「では俺たちも行くとするか」

「お供致します」


 妻たちには開戦したら前線に向かうと告げてある。心配する表情は隠せないようだったが、それでも優弥を傷つけられる者などいないと知っているので止められることはなかった。



◆◇◆◇



 転送ゲートを通ってベゼルシエロ砦に入った優弥とロッティは、そのまますぐに前線に向かった。すでにエリヤ率いるおよそ五千の兵が、国境付近に陣を構えていたからである。


 二人が到着した時、ちょうど名乗り口上が始まった。


「我はテヘローナ帝国軍大佐、アーチー・ブライトと申す! そちらは勇者エリヤ・スミス殿とお見受けする! だがいかな勇者とてこの大軍を相手にするのは不利であろう! 大人しく投降するならお命は取らず、帝国は心より貴殿を歓迎しようではないか!」


「ミーがユウシャね! おマエたちこそ、コウサンするならイマのうちよ! イッポでもコッキョウをコえたらイノチないからカクゴするね!」


 前回のビネイア王国戦の時のように、結界を張って敵の進軍を防ぐことは出来ない。何故なら結界はエリヤや味方の攻撃も弾いてしまうからだ。当然だがも放てない。


「残念だが我らが引き下がることはない! 我々にあるのは勝利か死のみ! 勇者殿、お覚悟! 全軍、突撃!!」

「「「「わーっ!!!!」」」」

「「「「うぉーっ!!!!」」」」


 大佐の声で敵軍が一斉に走り出す。彼らの手にあるのは剣や槍で、まともな鎧を身につけている者はほとんどいない。後方に弓兵の姿も見えたが、同士討ちを避けるため矢を放つ様子は見えなかった。


 むろん矢が飛んでくれば、無限クローゼットを開いてこちらに届く前に収納するだけである。


「ブレイブ・ストライク!」


 エリヤの横薙ぎ一閃によって繰り出された必殺の衝撃波が、広範囲の刃となって敵軍に襲いかかる。この一撃で前方およそ一万五千の兵のうち、最低でも千人は胴を真っ二つにされたはずだ。


 ところがその時突然、背後から地響きと共にもう一つの部隊がやってきた。東に向いていたエリヤ軍は、西から迫り来る敵の別働隊によって挟撃の危機に晒されたのである。もっとも、事前情報として敵が二手に分かれることは把握していたので対策済みだ。


 西からやってきた敵の側面、およそ百メートルの辺りに塹壕ざんごうが掘られており、そこから味方の弓兵隊により一斉に矢が放たれる。これにはさすがの大軍も動揺せずにはいられなかった。


 敵の別働隊は奇襲部隊である。背後から襲いかかって勇者軍を混乱に陥れ、殲滅するのが目的だった。それなのに、自分たちが奇襲を受けたのである。


 無数に飛んでくる矢に対し密集状態で走っていたのが災いして、彼らはすぐに対応することが出来なかった。奇襲に気づいて立ち止まった者もいたが、勢い余った後続の味方に、槍で突かれてしまう悲劇もあちらこちらで起きていたほどである。


 たちまち大混乱に陥った敵部隊は、もはや脅威でも何でもなかった。一部には矢の雨をくぐり抜けて向かってくる敵兵もいたが、その前に立ちはだかったのが義勇兵たちだ。


 革鎧を纏い、剣と盾を持った彼らに裸同然の奴隷兵が敵うはずがなかった。それでも、わずかな人数の義勇兵に対し敵は一万五千の大軍である。大きく数を減らしたとは言え、せいぜい二千から三千程度だろう。


 残り一万数千の敵は徐々に落ち着きを取り戻し、あろうことか全員が義勇軍と塹壕の弓兵に向かって走り出したのである。


「「「「うぉーっ!!!!」」」」

「「「「りゃあーっ!!!!」」」」


 ところがその時、彼らの横っ腹に勇者軍五千が牙を剥いた。見れば東側に残っているのは勇者エリヤと優弥、その後ろに控える女性の三人のみ。勇者は相変わらず必殺技を繰り出して敵の数を減らしている。


 二度の奇襲は西側から攻めてきた敵軍の士気を完全に奪っていた。隊列は瓦解し、両手を挙げて投降する者も出始めている。


「お願いだ、やっぱり死にたくねえ!」

「助けてくれ!」


 それは東側も同様だった。一万五千いた兵は、勇者のブレイブ・ストライクでわずか三千ほどしか残っていない。指揮官の大佐は逃げようとしたところを、優弥の追尾投擲で頭を射抜かれていた。


 最終的に東側の兵も投降したため、初戦は勇者軍の大勝利で幕を閉じる。


 それでも被害は出た。西側の敵軍に向かっていった五千のうち戦死者は約五百人。負傷者も重軽傷合わせて千人以上おり、圧倒的に有利な状況に持ち込んだにも関わらず、死兵の恐ろしさを改めて知らされることとなった。


 なお、西のトルムト辺境伯領を警戒していた徴募兵一個大隊は、おとりとして領境に展開した辺境伯軍に気を取られ、ベゼルシエロ砦から出たおよそ五百の騎馬隊に翻弄されて多くが命を落とした。


「死ねば敵味方の区別はない。散っていった命に弔いの祈りを捧げよう」


 圧倒的な勝利に上気する味方兵と捕虜となった敵兵、彼らを前に優弥の言葉がおごそかに響くのだった。

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