第八話 砦の完成

 春から夏に移り行く季節、ハセミガルド王国より南に位置するスタンノ共和国では、日本とほぼ同様に雨期が存在する。愚図ついた天候の日が多く、時折晴れ間が見えてもすぐに太陽が雲に隠れてしまうのだ。


 だが、一カ月もすれば強い陽射しが降り注ぐ夏に変わる。テヘローナ帝国は着々と基地ノルランディに兵を集め、来たる開戦の日に備えていた。


 そんな中、帝国と国境を接するベンゼン領の砦が完成し、竣工式が執り行われた。わざわざ式典を催したのは、言わずもがな帝国への牽制のためである。


 なお、砦はベゼルシエロと名づけられた。


「ここに集いし勇猛なるスタンノ共和国軍の兵士たちよ、貴殿らは運がいい。何故ならお前たちには異世界より召喚された勇者がついているからである!」


「ミーがユウシャよ! よろしくネ!」

「「「「うおーっ!!」」」」


「愚かにもテヘローナ帝国は数が多いだけの有象無象をこのベンゼン領に送り込んでくるようだ!」

「愚かなり、テヘローナ帝国!」

「ハセミ陛下、バンザーイ!」


「だが、たとえ相手が有象無象であったとしても、貴殿らの中には命を落とす者もいるだろう」

「「「「…………」」」」


「安心するがよい! はそんな者たちを無能とは思わぬ! 喩えるならそれは未来へ希望を託す礎となる尊き犠牲であるからだ!」

「「「「うおーっ!!」」」」


「故に余は貴殿らに命ずる。存分に戦ってこい!」

「「「「うおーっ!!」」」」


「なお、この戦いで命を落とした者には名誉騎士の位を与える。貴族家の当主には二つ上の爵位を、令息令嬢は嫡子庶子を問わず家と同格の爵位を授けよう!」


 ただしスタンノ共和国の爵位は最上位が侯爵位のため、伯爵家当主には侯爵位に、侯爵家当主には大侯爵位に陞爵しょうしゃくされることになる。


 もっともそれは建前上の話であり、上級貴族の当主や嫡子が前線に赴くことなどまずあり得なかった。


「「「「ハセミ陛下ぁ!!!!」」」」

「「「「勇者様ぁ!!!!」」」」

「「「「ハセミ陛下、バンザーイ!」」」」

「「「「勇者様、バンザーイ!」」」」


 この演説は、実はスタンノ共和国議会が用意した原稿を読み上げたに過ぎない。本当なら優弥もエリヤも兵に命を捨てさせる趣味はなかった。しかし大統領ガルシアより、軍の士気を高めるためにどうしてもこの内容で演説してほしいと頼まれたのである。


 士気が低ければ勝てる戦も勝てない。勝てなければ余計な犠牲を生む。そこは確かに一理あると判断したので、やむなく用意された原稿を読み上げた。しかしそうして高められた兵たちの士気は、決して無駄にはならないだろうと思えたから不思議である。


「余は貴殿らの死を望んではいない。出来れば誰一人損なうことなく、完全勝利で戦を終わらせたいと思っている。だが、それが不可能であることは、誰よりも戦場に立つ貴殿らが知っていることだ」

「「「「…………」」」」


「なればこそ、余は貴殿らが戦で命を落としても、残された家族の生活を保障しよう」

「「「「陛下…………」」」」


「だが、生き残ればさらに明るい未来を約束する! 死することを恐れよ! 死兵は強敵ではあるが彼らに希望はない。対して貴殿らには希望がある!」

「「「「うおーっ!!」」」」


 第一陣の奴隷兵はエリヤを倒すために死に物狂いで攻め込んでくるだろう。何故なら彼らには敗走が許されていないからである。文字通りの死兵。彼らが生き残るためには戦って勝つしか道はないのだ。


 テヘローナ帝国は巨大な国家であるが故に、皇帝の首を取れば戦争が終わるなどとは考えない方が無難だ。むろん侵攻してくれば、先に警告した通り彼は皇帝を殺しに行く。


 王国ならそれで敗戦が確定するだろうが、あれだけ大きな国ともなれば遺志を継ぐ者はいくらでもいるはずだ。皇族を根絶やしにしたとしても別の誰かが戦争を引く継ぐ可能性が高く、その者が即座に兵を引くなど到底考えにくい。


 大きな権力は人としての正常な思考を阻害する。それが分かっていたから、彼は自身の権力を身内を守るためだけに使うように心がけていた。国が大きくなっていくのは彼が望んだわけではなく、相手が身内を脅かそうとして自滅した結果でしかない。


 だからこそ帝国を敗戦に追い込んでも、彼は皇帝の座に就こうとは考えていなかった。そしてそのための布石はすでに打ってある。


「よいか! 此度こたびの戦はテヘローナ帝国の侵略行為に対し、愛する者、家族、友人を守るために戦う我らにこそ義がある。これは聖戦なのだ!」

「「「「聖戦だあっ!!」」」」

「「「「そうだっ! 聖戦だっ!!」」」」


「勇者が我らに味方することでも、何ら恥じる必要がないことは明らかである。女神すら我らの味方だ。もう一度言おう。存分に戦ってこい!」


「「「「ハセミ陛下ぁ!!!!」」」」

「「「「勇者様ぁ!!!!」」」」

「「「「ハセミ陛下、バンザーイ!」」」」

「「「「勇者様、バンザーイ!」」」」

「「「「バンザーイ! バンザーイ!」」」」


 この時の歓声は帝国との国境にまで届いたという。帝国の第一陣三万に対し、こちらは勇者エリヤを大将としたおよそ五千である。数で言えば圧倒的に不利な状況だったがエリヤの必殺技、ブレイブ・ストライクはその差をものともしないことだろう。


 竣工式での演説を終えて、優弥はエリヤと共にベゼル城の応接室に移動した。帝国の侵攻がいよいよ間近に迫ったので、エリヤの家族はすでにソフーラ城に避難させてある。


 だが直接スミス家の世話をしていた者を除き、この城の使用人たちは避難せずに残っていた。領主たるエリヤと領民がいるのに、自分たちだけ避難するわけにはいかないというのが彼らの言い分だ。


「いい関係を築いているんだな」

「ミンナよくしてくれてるからね。ミーにとってはカゾクもドウゼンだよ」


「領民の避難は進んでいるのか?」

「カンズスのダンシャクにはカンシャね。ヒナンミンのスむバショもショクリョウもシンパイしなくていいってイってくれたよ」


 避難民は女性と子供、老人がほとんどを占めるが、男性も希望者はカンズス領で受け入れてもらえる。逃げたからといって臆病者などとそしることを許さないとしたからだ。


 それでも男性の多くが義勇兵としての参戦を望んでいた。エリヤが領民からも慕われている証だろう。客観的に見れば帝国に敵うはずがないと思われるのが普通だが、ベンゼン領の誰もが勇者の勝利を信じて疑っていないようだった。


「巻き込んでしまってすまない」

「ノンノン、ワルいのはテイコクね。ユウヤはワルくないよ」


「勇者がいれば侵攻を躊躇ためらうと思ったんだがな。考えが甘かったようだ」

「テキさんにはワルいけど、セめてくるならやっつけるしかないね」


「奴らが進軍を開始したら俺もここに来よう」

「それはタスかるよ。ユウヤがいればヒャクニンリキね」


 ドブル商会と傘下の商会の倉庫にあった武具類の全ては、着々とベゼルシエロ砦に運び込まれている。腐っても首都マスタリーノ最大の商会は、実に共和国にある武具類の七割強をかき集めていたのだ


 そして間もなく帝国は知ることになるだろう。相手が決して手を出してはいけなかった存在であることを。

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