第六話 サムニル商店
「どうしてこんなことに……」
サムニル商店の店主、オスカー・サムニルは客足の途絶えた広い店内を見て呆然としていた。商品がないわけではない。むしろ平台や棚には商品が所狭しと並べられており、倉庫にも在庫は唸るほどある。そう、唸るほどにだ。
思えば悪夢の始まりは、ドブル商会と契約を交わした時だった。
サムニル商店は彼の父エドワードが、代々続いていた売り場面積十坪ほど小さな店を五百坪にまで広げた、ベンゼン領では一番の大型店である。食料品から雑貨まで、生活必需品も含めてほぼ何でも揃う地域密着店だった。
ところがいつからか卸問屋が一つ、また一つと潰れていってしまったのである。サムニル商店と取り引きしていれば、そうそう潰れることなどないにも関わらずだ。
それでも新たな仕入れ先が彼らと入れ替わるように現れた。条件も多少割高になった部分はあったが、経営努力で十分に吸収出来る程度だった。
そうして全ての仕入れ先が入れ替わった頃、やってきたのがドブル商会である。
毎月定量購入、仕入れ値は変動相場制、最低十年契約が必要だが、提示された卸値は相場の七掛け。そして過去十年で相場が大きく変動したことがない。
「この先多少値上がったとしても、七掛けが八掛けになることなどないと思いますよ。戦争でも起きればどうか分かりませんが」
商会の担当者はあの時確かにそう言った。だが、まず主力である食料品が徐々に値を上げ、契約から一年も経たずに仕入れ値は当初の倍以上に跳ね上がってしまったのである。蓄えにも底が見えて、気づけば価格転嫁しなければやっていけないほどに多くの商品が値上がっていた。
さらにその頃から近くにいくつかの商店が出店を始めたのである。食料品を扱う店、日用品を扱う店、雑貨などを扱う店など。それぞれの店舗はさほど大きなものではなかったが、問題は売り値だった。
どの店もサムニル商店より二割から三割ほど安く商品を提供しているのだ。これではいくら地域密着店といっても、サムニル商店に客が寄りつくわけがない。
結果は悲惨だった。大勢いた従業員には給金が払えず、新しく出来た商店に引き抜かれる始末。妻とは離婚するより他なく、彼女は子供と共に実家に帰ってしまった。生活がままならないのだから無理もない。
加えて容赦なく納品される毎月の定量購入品のせいで、買掛金も膨らむばかり。すでに三カ月分を滞納しており、契約により今月清算出来なければ店を土地ごと明け渡さなければならない状態にまで陥っていた。
「もう、首をくくるしかないか……」
そう呟いてふらふらと立ち上がり、倉庫に縄を探しに行こうとした時である。
「こちらに店主のオスカー・サムニル様はいらっしゃいますか?」
店の入り口から声をかけてきたのは、二十代後半と思われる美しい女性だった。
「私がオスカーですが」
「初めまして。私はロッティと申します。ハセミガルド王国国王、ユウヤ・アルタミール・ハセミ陛下の命を受けて参りました」
「は、はい?」
「陛下のご命令をお伝え致します」
「へ、陛下のご命令!?」
「このお店の全ての商品価格を、ドブル商会と契約する前の水準に戻せとの仰せです」
「は?」
「なお、価格を戻しドブル商会との契約書を差し出せば、買掛金はハセミガルド王国が肩代わりします」
この女性は何を言っているのだと、彼はすぐに彼女の言葉が理解出来なかった。
(商品価格を以前の水準に戻し契約書を差し出せば、買掛金を王国が肩代わりしてくれるだと? そんなうまい話があってたまるものか)
だが、先ほど首をくくろうと覚悟を決めたばかり。ここで騙されても失う物などすでに何もないのだ。
「待っててくれ。契約書を持ってくる」
彼はいくつかの契約書類を束ねて彼女に渡すと、今後のことについての説明を受けた。
「従業員がいなければ営業出来ないでしょうから、王国から十人ほどの女性がお手伝いに参ります。オスカー様は各商品の価格を直しておいて下さい。釣り銭はありますか?」
「あ? ああ、数日分なら何とかなるが……」
「足りなくなるようでしたら手伝いの女性に言って下さい」
「はあ……」
「彼女たちは全員読み書き計算が出来ますし、接客も問題ありません」
「それは助かるが……」
「新しく出来た近くのお店は一週間後には営業停止となります。それまでこちらのお店は閉めて、開店準備にかかって下さい」
「開店準備?」
「いくら彼女たちでも、なんの研修もなしに働けません。お店の細かな決まりなどもあるでしょうから」
「そ、そりゃそうか」
「それと出来るだけ早期に従業員を雇って頂きます。女性たちはあくまで一時的にお手伝いするだけですので」
「分かった」
「もう一つ、お伝えしなければならないことがあります」
「?」
「彼女たちは全員ハセミ陛下の部下ですので、失礼を承知で申し上げますが決して変な気は起こされませんように」
「変な気……? ああ、大丈夫だ。諦めていたが、もしまた元のように商売が出来るようになったら、妻と復縁したいと思ってるからな」
「安心致しました。きっとまた元の生活を取り戻せると思いますよ」
翌日、ロッティの言った通りに十人の女性たちが店にやってきた。彼は言われた通りに全ての商品の値札を付け替え、臨時雇いの従業員に教育を施す。
(なるほど、あのロッティとかいう女が言うほどのことはある)
十人はいずれも負けず劣らずの粒揃い。もし彼が妻子を呼び戻すつもりがなく独身でいたなら、一目惚れしてしまうのではないかと思えるほど美人ばかりだった。
そうでなくても彼女たちの仕事の呑み込みは早い。すぐに以前いた従業員など追い抜かしてしまったといってもよかった。
さらに驚かされたのは護身術だ。王家に仕える者の嗜みとのことだったが、盗賊対策としてその一端を教わることが出来たのは大きい。彼女たちがいる間は開店準備期間はもちろんのこと、開店後も閉店してから毎日二時間ほど特訓してくれるというのだ。
そしていよいよ開店の日が訪れた。ロッティの言った通り近くの店は営業停止となり、数日後にはわずかずつではあるが客足が戻ってきたのである。
何でもそれらの店は国から営業許可を受けていなかったらしいが、今なら分かる。あの三店補はドブル商会の息がかかっているのだから、そんなヘマをするわけがない。
理由は分からないが、おそらくドブル商会はハセミガルド王国の国王の不興を買ってしまったのだろう。
いずれにしても姑息なやり方で店を乗っ取られそうになり、自分は命を絶つ覚悟までさせられたのだ。ハセミ国王には感謝しかなかった。
開店から十日ほどで、サムニル商店は以前の活気を取り戻していた。一度は辞めた従業員も何人かを除いてほぼ戻ってきている。新規に雇い入れた従業員もがんばって仕事を覚えているところだ。
その代わり助っ人の女性たちは数人ずつ店から離れていったが、あと一カ月ほどは護身術を教えるため二人残ってくれるらしい。
「ハセミ陛下からのお言葉をお伝えします」
「はい」
「買掛金は以前の仕入れ値で算出し直し、適正な額をスタンノ共和国に納めよ。これからも地域のために貢献することを期待する。なお、困ったことがあれば領主を頼るといい。勇者エリヤ・スミスは我が友人。悪いようにはせぬ。とのことです」
「ロッティさん」
「はい」
「宗主国の国王様が私のような民草のことにまで気にかけて下さっているのだと思うと、感激で涙が出そうでたまらないよ」
「お館様は強きをくじき、弱きを助ける信念をお持ちの敬うべきお方なのです」
「俺もそう思う。叶わないだろうけど、いつか
「そのように伝えさせて頂きましょう」
「ありがとう。ロッティさんにも、心から感謝しているよ」
それからほどなくして、オスカーは妻と復縁を果たすのだった。
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