第十話 帝都バルビノ

 基地ノルランディを出発して九日が過ぎた。


 四日目に刺客に襲われた以降は特に襲撃もなく、小雨がパラついた日はあったものの土砂降りに見舞われたのもあの一度きりだった。


 なお、八日目に立ち寄った宿場町で馬車を雇えたので、九日目は久しぶりの馬車での移動となったのである。


「お館様、明日の昼過ぎにはバルビノに入れると思います」

「そうか。ならば幌付きの荷馬車が必要だな。御者はいらん」

「承知致しました」


 返礼品の一つ、バーベキューセットはさすがに懐に入らないし、かと言って人前で無限クローゼットから取り出すのもマズい。故に幌付きの荷馬車が必要だった。


「それとアリエッタに幻惑魔法を解くように言っておいてくれ」

「彼女も同行させますか?」


「そうだな。御者もアリエッタに任せてもいいぞ」

「ではそのように伝えます」


 馬車を御者なしで借りる場合は、馬と馬車の代金を預けることになるためかなりの費用がかかる。ただし馬車を返せば使用日数分の料金を引いた上で返ってくるのだ。いわゆる保証金である。


 間もなく手配を済ませたロッティが、アリエッタを伴って戻ってきた。アリエッタは普段、自身に幻惑魔法をかけて十代半ばの少女の姿で他人を欺いているが、主である彼の前では本来の姿、三十歳手前の女性となる。


「今夜はこの宿に泊まるといい」

「かしこまりました」


 優弥は部屋に張った結界について説明を済ませてから、いつものようにソフーラ城に戻った。


 城で夕食を済ませた後のひととき、エビィリンと共にソフィアとポーラが彼の部屋を訪れる。


「ユウヤさん」

「ソフィア、どうした?」


「ロッティさんのことなんだけど」

「うん?」


「ユウヤさんは彼女のこと、どう思ってるの?」

「どう思ってるって、有能な密偵だと思ってるけど?」


「パパってやっぱり朴念仁なんだね」

「は? なんのことだよ、エビィリン」


「あのね、ロッティさん、パパのことが好きだと思うの」


「ああ、そのことか。いくらなんでも俺だって気づいているさ」

「「「えっ!?」」」


「なんだよ、三人とも」

「気づいてるのに毎晩彼女一人を置いて帰ってきてたの?」


「今夜はアリエッタもいるぞ」

「そういうことじゃなくて!」


「舐めるな!!」


 突然の優弥の怒気を含んだ声に、三人は驚いて声を詰まらせた。それを見て彼は続ける。


「よく聞け。ロッティは常に死と隣り合わせの世界で生きてる。ロッティだけではなく他の密偵たちもそうだ。その恐怖は常人では耐えられないほどだろう」

「「「…………」」」


「だが彼女は耐え、そして生き抜いてきた。俺の死んではならないという命令を忠実に守ってだ。その緊張感たるやいかほどのものか、お前たちには想像もつくまい」

「それは……そうですけど……」


「でも、それならなおさら優しくしてあげても……」

「エビィリン、敵に狙われている中で色恋沙汰にかまけて緊張感が解けてしまえば、待っているのは死のみなんだよ」


 今のロッティの中では、恋慕の情よりも使命感の方が強い。この使命感が何度も命の危険に晒されながら、生還を果たした原動力なのである。


 ところがもしそこで彼への想いが勝ってしまえば、死を恐れ判断を誤る可能性が高くなるということだ。故に、彼女の気持ちに気づいていてもすぐには受け入れられないのである。


「これが俺のロッティに対する愛情だ。分かったらこのことは二度と口にするな! 悪いが三人とも、今夜は出ていってくれ」


「パパ……」

「ごめんなさい」

「ユウヤ、ごめん」


 強く言いすぎたかも知れない。彼は三人が部屋から出ていくと、ベッドに仰向けに寝転んでそんなことを考えていた。


 彼女たちは単純に女性として、ロッティを哀れんでいるのだろう。特に本人の言葉ではあるが、五歳の時から彼を一途に想い続けてきたエビィリンの思いは強いかも知れない。


 彼女には幸せを皆にも分けてあげたいという信念がある。それは素晴らしいことだし、否定するつもりなど毛頭ない。だが、特殊な環境で生きているロッティには、返って仇になるとも考えられるのだ。


「普通の女性と同じには扱えないんだよ」


 だから今後年齢により体力が衰えて任務に支障が出たり、最悪四肢を失ったりしてロッティが密偵を続けられなくなったとしたら、その時こそ彼女の気持ちに応えたいと彼は考えていたのである。


 翌朝、朝食の席で彼は昨夜怒鳴りつけたことを三人に詫び、ロッティとアリエッタが待つ宿に戻っていった。



◆◇◆◇



 優弥とロッティ、それに御者を務めるアリエッタを乗せた馬車は、予定通り昼過ぎにテヘローナ帝国の帝都バルビノの城郭門に到着した。ここから帝国城バールまではさらに一日かかる。


 彼はこれまでの平民風の装いから、普段城内で身に着けている国王の衣装に着替えていた。一目で貴族と分かる装いだ。御者台のアリエッタは幻惑魔法で身なりのいい少年の姿になっている。


「止まれ!」

「はい」

「どこへ行く?」


「王城へお届け物を届けに」

「王城だと!? 身分証は!?」


「ご主人様、こちらの兵より身分証を求められております」

「ふむ」


 わざとらしく腑抜けたような口調で荷台から御者台に移った彼は、金属プレートを門兵に差し出した。


「これはプレート……き、貴族様であらせられましたか」

「ああ」


「失礼、任務ですので拝見させて頂きます。ユウヤ・アルタミール・ハセミ……はて、どこかで聞いたような……」

「もうよいかな?」


「え? あ、はい。お返し致します。それで届け物とのことですが?」

「城にいる者から娘の婚礼祝いを頂いてな。その返礼品を届けにきた」


(嘘は言ってないぞ)


「な、なるほど。中を改めさせて頂いても?」

「構わんよ」

「では、失礼致します」


 一礼して馬車の後ろに回った門兵は、積み荷のバーベキューセットが何なのか分からなかったようだ。


「これは何です?」

「ちょっと変わった調理器具だ」


「調理器具……なるほど」

「通ってもよいかな?」


「はい。ご協力ありがとうございました」

「うむ。ご苦労」


 馬車が走り出しても門兵の頭の上にはクエスチョンマークが踊っているように見えた。


「ハセミ……ハセミ……どこかで聞いたんだけど……一応城に報告しておくか」


 馬車で一日の距離でも馬なら半日とかからない。門兵から依頼を受けた伝令が城に訪問者の名を伝えてから間もなく、城内が大騒ぎとなったのは言うまでもないだろう。

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