第九話 アルタミール領の馬橇
結局あの後、優弥たちはそのままヴアラモ孤児院に泊まることとなり、当然エビィリンは彼と一緒に客間で眠った。腕にギュッとしがみついていたから、これまで相当寂しかったのだろう。
(時々はエビィリンを連れて歩くとするか)
翌朝、賑やかな朝食を終えてそろそろ帰ろうかという段になった時、突然クロストバウル
「ふぉっ!? ユウヤではないか!」
「クロスさん、お久しぶりです」
「壮健そうで何よりじゃ」
「ロメロ
「マチルダ、いつも突然ですまんの」
「いえ、お忙しい中を訪ねてきて下さり感謝しております」
「ふぉっふぉっふぉっ。それならよかったわい」
護衛の二人は外で待機である。もっとも彼らは子供たちを見て目を細めていたし、子供たちの方も彼らに纏わりついていたので、互いに良好な関係が築かれているのだろう。
優弥はちょうどいい機会だからと枢機卿に結界のことを説明し、有事の際にはここに逃げ込んで構わないと伝えて孤児院を後にした。
そして再びロレール亭へ。
「昨日来なかったから見捨てられたのかと思ったよ」
「悪い。孤児院に泊まってたんだ」
「そうだったのかい」
「で、見捨てられたと思ったってことは?」
「兄さんの領地とやらに連れてっておくれ」
「女将さん!」
ソフィアが嬉しそうな声を上げる。
「分かった。一週間あれば荷物をまとめられるか?」
「そんなにはかからないけど、あちこち挨拶もしておきたいからね。一週間後に迎えに来ておくれ」
「じゃ、それまでに向こうで宿屋に使えそうな物件を探しておくよ」
「何から何まで済まないねえ」
「気にするな。次に来るまで結界を張っておくから、もし何かあったらここから出ずに待っていてくれ」
「承知しましたよ。ご領主様」
「よせよ、気持ち悪い」
「おばちゃん、またねー」
女将は元気よく手を振るエビィリンに
◆◇◆◇
「ウォーレン、悪いが宿屋に使えそうな物件を一つ探してくれ」
「宿屋、でございますか?」
「そう言ったつもりだが」
「これは失礼致しました。新しい商売でも始められるのかと思ったものですから」
「いや、俺じゃないんだけどな」
宿屋に使えそうな、と言ってもただ使えるというだけでは意味がない。ロレール亭は料理の味がいいので、そこに太刀打ちできる同業者はそれほど多くないだろう。つまり厨房の設備も重要ということだ。
下手をすると既存の宿屋が値下げなどで対抗するしかなくなり、健全な商売が出来なくなる可能性も出てくる。それらを踏まえた上で物件を探さなければならないが、彼はウォーレンならちゃんと理解してくれると考えていた。
「規模はどの程度をお望みですか?」
「客室は十から二十で、十卓四十席程度の食堂兼酒場があればいい。それより大きくても人を雇わせれば問題ないだろう」
「でしたら少々建物は古いものの、客室二十五室で二十卓の食堂と大浴場を備えた物件がございます」
「なんだか都合が良すぎる気がするが、どうしてそんな物件があるんだ?」
「経営者が詐欺事件を起こしたので捕らえたのです」
「ほう」
「被害が甚大でしたので私の裁量でその者の首を刎ねましたが、ご報告後の方がよろしかったでしょうか?」
「今からそれを言っても、すでに首を刎ねたならどうにもならないだろ?」
「仰せの通りにございます」
「甚大な被害ってどれくらいだったんだ?」
「騙されたうちの五人が首をくくるほどに」
「ウォーレンの判断は正しかったと思う」
「恐れ入ります」
「で、物件の方は接収したんだよな。買い取ったことにして代金を遺族と被害者に渡るように取り計らってくれ」
「かしこまりました」
物件の場所を教えてからウォーレンが執務室を退室すると、入れ替わりにエビィリンを連れたソフィアが入ってきた。
「パパぁ!」
「おお、エビィリン!」
「ユウヤさん、忙しいですか?」
「大丈夫だよ。ウォーレンとの話も終わったし」
言いながら駆け寄ってきたエビィリンを抱き上げる。
「すみません。エビィリンがどうしてもユウヤさんのところに行きたいと言うので」
「俺も出来るだけエビィリンと一緒にいてやろうと思ってるから構わないさ」
「パパぁ、だいすきー!」
「パパもエビィリンが大好きだぞ」
「わーい!」
「そうだ、これから三人でエイバディーンの街に行ってみないか?」
「領都にですか? 雪が積もってるのでエビィリンには歩きにくいと思いますけど」
「ちょうどロレール亭の女将に貸す物件を見に行こうと考えていたところなんだよ」
「驚きました。もう見つかったんですか?」
「実は俺も驚いているんだけど、ウォーレンから聞いた限りでは打ってつけの物件だと思うよ」
「いくー!」
「ははは、エビィリンは行きたいみたいだぞ」
「うふふ。エビィリンはユウヤさんと一緒なら何でもいいみたいですから」
「新しく買った
「リックは今日はお休みですけど」
「そうなの?」
「タニアとゆっくり過ごしてるはずですよ」
「それは邪魔しちゃ悪いな。ならロイに頼もうか」
ロイとはリックの弟で、共に兄弟で
なお、馬橇はリックの提案で購入したものだ。理由はこの地に住む商家やそこそこの金持ちなら、大小の違いはあれどほとんどが所有しているからとのことだった。つまり雪深い土地の領主が持っていないのは、何かと示しがつかないというわけである。
もっとも雪の中を出かける機会はそれほど多くないので、当然だが使用頻度も
もちろん燃焼の魔法をかけた小石で床下の湯を沸かす暖房設備付きである。この馬橇が利用出来ることは使用人たちからも大変喜ばれていた。
「旦那様は不思議なお方です」
準備が整った馬橇に乗り込む間際、ロイがそんなことを言った。
「うん? 何がだ?」
「私の知る限り、主のための馬車や馬橇を使用人にも使わせる方はいらっしゃいませんでした」
「そういうことか。あるのに使わないのはもったいないだろう?」
「旦那様はご自身の物を平民が使っても
「身分なんて尺度は人間としての価値には何の意味もないのさ。同じ赤い血が流れ、言葉を理解し、喜怒哀楽を感じるのが人というものだ。違うか?」
「そのように仰られる旦那様に仕えさせて頂いている私たち兄弟は本当に果報者だと思います」
「平等。差別がなく皆一様に等しい、というのがユウヤさんの考え方だそうですよ」
「ソフィア様、そのようなお考えをなさる貴族様は旦那様以外には存じ上げません」
「それは私もです」
「わたしもー!」
「あはは、エビィリンもか。そうかそうか」
当然、エビィリンは優弥の膝の上である。
「それじゃロイ、頼むぞ」
「お任せ下さい」
責任感に満ちた表情のロイが手綱を振ると、二頭の馬は領都に向けてゆっくりと歩き出すのだった。
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