第八話 ロレール亭の女将

「ハセミ閣下、お久しぶりです!」


 借家の警備員は魔法国から魔王ティベリアの計らいでやってきている。ロレール亭での仕事のためによく来るソフィアたちとも仲がいいようだ。


「ああ、ロッティたちを連れてきて以来だったな」

「はい!」


「何か変わったことは?」

「ロッティ殿が一度戻られた以外は特に」


「報告しに来た時か」


「閣下、今日は観光か何かで?」

「いや、そうではないんだ」


「それはよかったです」

「うん?」


「現在王都グランダールはあまり治安がいいとは言えませんので」


 暴動にまでは至っていないが、いつそうなってもおかしくないほど皆ピリピリしていると言う。理由の一つに、ミシュラン国王が領民の流出を防ぐために城郭の門を閉ざし、許可を受けた商人など限られた者以外の王都への出入りを禁じたというのがあった。


(つくづく愚かな国王だな)


「それじゃさっさと済ませた方がいいか」

「済ませるって何するの?」


「結界を張るんだよ」

「「結界ぃ?」」

「けっかいぃ?」


 エビィリンは意味も分からず二人の口真似をしただけだろう。


「敵意を持ってるヤツとか武器での攻撃を通さない結界だ。敵意がなければ何も起こらないよ」

「そ、そうなんだ……」


 消費する魔単は13。これでざっと約二百年は守られることになる。範囲は借家とその敷地全てで、警備員の詰め所やビアンカの寮ももちろん含まれている。


 彼は警備員にも結界を張ったことを告げ、それを通り抜けられない者は敵意を持っているから注意するようにと念を押した。


「それと暴動などが起きて身の危険を感じたら、とにかくここに逃げ込め。ある程度食糧も備蓄しておいたらいいと思うぞ」

「はっ! 閣下の仰せの通りに致します!」


 その後借家の敷地から出た彼は、ロレール亭までのほんの二分ほどの間ですら、いつもと違う様子に驚かされた。


「ソフィア、こんな状況になったのはいつからだ?」

「先週はここまでではなかったですね」


「二人とも、俺から離れるなよ」

「はい」

「うん」


 エビィリンを抱いたままなので両手が塞がっているが、彼女たちはそれぞれ左右から裾と袖口を摘まんでいた。こんな状態では安心してソフィアたちを働きに行かせることは出来そうもない。


 そう考えながらロレール亭に着くと、女将がカウンターでぼんやりしていた。


「女将、なに湿気たツラしてるんだ?」


「おや、兄さんじゃないか。ソフィアとポーラ……その子は誰だい……ってまさか、兄さんの子供!?」

「うん、パパぁ!」


「こらこらエビィリン。女将、間違っちゃいないがエビィリンは俺が引き取った子だよ」

「そ、そうだよねえ。あー、びっくりした」


「ところでどうしてこんなところで呆けてたんだ?」


「国王様が勇者様を追い出して、アタシたち王都民が王都から出ることを禁止したのは知ってるかい?」

「聞いている」


「とんでもないことをしてくれたもんだよ。お陰でほとんど客が来なくなっちまった」

「それは災難だったな」


「ソフィアたちも週明けから休んどくれ」

「そうか。なあ女将、話があるんだが」


「だろうね。聞く時間ならいくらでもあるよ」


 女将の言葉に彼は、ロレール亭を結界で覆うと伝えた。もちろん敵意がなければ素通り出来るし、暴動が起きても宿が破壊される心配はないということもだ。しかし女将は首を縦には振らなかった。


「ここら一帯の中で、うちだけ無傷だと恨まれちまうよ」

「それはそうだろうが……」


「恨まれたら食い物だって売ってもらえなくなる。それじゃどうやって生きろってのさ」


「断食に参加しないのとはわけが違うってことか」

「そうだよ」


「なら女将、一時的にでも安全な他国に避難するつもりはないか?」

「他国に?」


「実は魔法国と大帝国に領地を持っているんだよ」

「領地ねえ……りょ、領地だって!?」


「ここより寒いし今は雪が積もってるけどな」

「じゃもしかして兄さん、貴族様なのかい?」


「ガラじゃないが向こうではね。でもこの国ではただの平民だよ」

「そ、そうかい。で、もしかして他国ってのは兄さんの領地のこと?」


「そうだ。女将と旦那さん、それに新しく雇ったっていう料理人の三人で来ないか? ここと同じ規模の宿屋なら用意してやるぞ」

「どうしてそこまで……?」


「ソフィアたちが世話になってるからさ。暴動や戦争で女将に万が一のことがあれば悲しむだろうし」

「はい、悲しみます」


「待っておくれよ。戦争って何のことさ?」


「勇者を追い出したらどうなるか想像出来ないか?」

「まさか……!」


「確実に戦争が起こるかは分からないけど、出来れば避難してくれるとありがたい」

「どうやってその領地とやらに行くのさ? 王都から出ることすら禁止されているのに」


「それは心配ない。必要な荷物も俺に預けてくれれば一緒に送ってやる」

「待っておくれ。私の一存じゃ決められないよ」


「構わないよ。すぐにどうこうと言うわけでもないだろうし、もう一カ所行くところがあるから、そっちが終わったらもう一度ここに寄る」

「そうかい。助かるよ」


「だが女将、暴動が起きれば簡単にはいかなくなることを覚えておいてくれ」

「分かったよ」


 その足で優弥たちがヴアラモ孤児院を訪れると、熱烈歓迎の上にシスター・マチルダまでが彼の来訪を心待ちにしていたようだった。


「シスター・マチルダ、不安な思いをさせて済まない。結界を張ったから、敷地の外に出ない限りここは安全だ」

「ユウヤ様、何とお礼を申し上げればよいやら」


「礼はいらん。後で芸人一家にも結界のことを伝えておいてくれ。それ以外には誰にも言わず、彼らにも口止めしておくように」

「ロメロ猊下げいかにも秘密にしろと?」


「いや、まああの人には大丈夫だろう……って、話す機会なんかあるのか?」

「はい。時々お忍びで覗きに来て下さるのです」

「そ、そうか」


 ロメロとはクロストバウル枢機卿すうききょうのことである。


 あの枢機卿なら結界のことを知っても言いふらしたりはしないだろうし、むしろ彼が教会の重要人物と繋がっていることを宣伝してもらうにはまたとないチャンスと言える。


「とにかく食糧などを出来るだけ備蓄して有事に備えておいてくれ。その時はなるべく早く迎えに来る」

「迎えに、ですか?」


「ああ。それとたとえ善意だったとしても、誰かが子供たちを保護する目的で結界の外に出るように言ってきたら断れ。この国はおろか大陸中で最も安全なのは孤児院の敷地内だからな」


 悪意を持つ者は結界内には入れないから、そういう輩はハナから相手にするなとも付け加えた。


「さ、エビィリン。皆と遊んでおいで」

「パパ、わたしをおいていかない?」

「行かない行かない」


「大丈夫よ、エビィリン。ソフィアお姉ちゃんと私も一緒に遊ぶから」


 その日の夕食はヴアラモ孤児院で摂ることにしたので、エビィリンも他の子供たちも大喜びだった。

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