第九話 フライエスパドン
十一月に入ったところでソフィアは休職となった。むろん魔法国に旅行に行くためである。ポーラはすでに退職し自堕落な生活を満喫している、わけではなかった。
さすがに職業紹介所の指導官を務めていただけあって、普段の言動とは裏腹にきっちり自分を律して行動しているようだ。結婚後は伯爵夫人になるため、貴族社会での立ち回り方などをウォーレンから習っているらしい。
「意外だったよ、ポーラ」
「何が?」
「温泉浸かりながら怠けて過ごすのかと思ってた」
「あ、私もそれ、思ってました」
アルタミール領主邸の三階にある談話室で、優弥とソフィア、ポーラの三人がゆったり寛いでいる。
「あら、週末は怠けてるわよ」
「そのメリハリのつけ方が立派だって褒めてんの」
「ポーラさんを見る目が変わりました」
「素直にありがとうと言っておくわ。ねえユウヤ」
「ん?」
「明日から魔法国に連れてってくれるのよね?」
「ああ」
「どうして船なの?」
「私も聞きたいです」
「実は前々から思ってたんだよ。転送ゲートを使わずに馬車と船で二人と旅行したいって。その方が旅の風情が味わえるからね」
「「風情?」」
「旅って目的地に行ければいいってもんじゃなくて、そこにたどり着くまでの過程も楽しめたら思い出が増えると思わないか?」
「でも冬の海は寒さがすごいらしいじゃない」
「魔物……は、ユウヤさんがいれば大丈夫ですね」
皇帝トバイアスが用意してくれた船は防寒の結界を張れるため、寒さを感じることはない。
それでも寒さを実感したければ、
「やるわね、皇帝陛下」
「早くどんな船か見たいです」
「明日の朝には着岸する予定だから、それまではお楽しみってところだな」
「ユウヤはどんな船か知ってるの?」
「いや。実は俺も知らされてないんだよ。アスからは大船に乗った気分でお待ち下さいとしか言われてないから」
「もの凄く大きな船だったりして」
「楽しみですぅ!」
「あはは、大船は例えだよ、例え」
そして翌朝、朝食を済ませて馬車に乗り込む。御者はいつもの通りリックだ。
「ユウヤおじちゃん、ソフィアおねえちゃん、ポーラおねえちゃんもいってらっしゃーい!」
「エビィリン、お土産買ってくるからな」
「うん! いいこにしてまってるー!」
本当は寂しいはずなのに、エビィリンはいっぱいの笑顔で手を振っている。帰ったら思いっきり甘やかしてやろうと優弥は固く心に誓った。
馬車は予定通り二時間ほどで港に到着。ところが降車した優弥たちは、文字通りその場であんぐりと口を開けることとなった。
何故なら着岸していたのは――
「ユウヤ、私はよく知らないんだけど……」
「ユウヤさん、私もよくは知りませんが……」
「「軍艦……!?」」
全長百メートルはあるだろうか。この世界の船としては相当にデカい。
(アス、本当に大船だったのかよ)
さらに驚かされたのは、今回の航海で船を仕切る船長からの挨拶だった。
「久しいな、竜殺し殿」
「あれ? もしかして提督?」
「如何にも! 元レイブンクロー大帝国艦隊の総指揮管、海軍提督だったナサニエル・フォスターだ」
「生き延びたんだ。よかったな」
「まさか皇帝陛下の勅命が、竜殺し殿を魔法国へ送り届けることだとは思わなかったぞ」
「よろしく頼む。念のために聞いておくが、敵対しようなんて思ってないよな?」
「
船のクルーもあの戦争で生き残った者たちだった。ところでそのクルー、女性がかなり多いのに気づいて優弥は驚いた。
今は日本でも雇用機会均等法などにより女性の船乗りはいるそうだが、地域によっては乗せない風習が残っているところもあるらしい。しかし彼には偏った知識しかなかったので、軍艦に女性が搭乗していることを不思議に思ったのである。
「面白いことを言う」
だが、そんな疑問をぶつけると元提督は豪快に笑い飛ばした。
「竜殺し殿の国ではどうか知らんが海を護るのは女神で、女神は男好きなのだ」
「ほ、ほう……」
「だから男を攫おうとするのだよ」
「攫うって、もしかして船を沈めるってことか?」
「左様。故に船には必ず男より女を多く乗せる」
女が多いと女神は彼女たちから男を奪ってはいけないと、逆に船を守護するのだと言う。実際に女神と言葉を交わした彼は迷信と分かっていたが、言わない方が面白そうなのであえて否定はしなかった。
一瞬、次に女神が夢に現れた時に
(でも神罰とか下されたら嫌だな。やめておこう)
小市民である。
ところでこの船の動力は魔石から得ているとのこと。魔力が燃料の役割を果たし、海流をコントロールして航行するそうだ。大帝国の最新鋭艦で、この一隻が完成した直後に軍事工場が破壊されたため、以降は建造されていない。なお、装甲には鉄が使われている。
「なあ提督、甲板にあるあの井戸みたいな囲いはなんだ?」
「あれか。運がよければ面白いものが見られるぞ」
「面白いもの?」
優弥が言った通り、甲板には一辺が一メートル、高さ一メートル弱ほどの四角い囲いがあった。だが、水を汲み上げる
(運がよければってんなら、その運とやらに賭けようじゃないか)
そうして優弥たちの航海が始まりを告げた。
「とっても寒そうです」
「結界がなかったら間違いなく凍死するわね」
出航してから約一時間、ソフィアとポーラが甲板に出てみたいと言い出した。しかし海上は猛吹雪が吹き荒れ、船も大きく揺れている。結界のお陰で海に落ちる心配はないが、転んで怪我をする可能性は拭えない。
「大人しく部屋にいような」
「こういう時なら魔物も出ないでしょうね」
「魔物は怖いです」
ソフィアが彼の腕にしがみついたので、反対側からポーラもしがみついてくる。二人の甘い香りが鼻腔をくすぐり、柔らかい感触が両腕に押し当てられ、彼はこの世の天国を味わっていた。
ところがそれを台無しにする声が背後から聞こえてくる。
「お嬢さん方、こういう
「
「いやいや、嘘ではないぞ。現に船底にはフライエスパドンの群が寄ってきておるからな」
「フライエスパドン?」
「カジキに羽根が生えた魔物だよ。時化ている時に海中にいれば見つけられにくいだろう?」
「まあ、そうだろうな」
(翻訳スキル、分かりやすくてグッジョブだ)
「だから時化の中を航行中の船はヤツらにとって格好の餌食なんだ」
尖った鼻先、正確には
「甲板を見るがいい」
ナサニエルに言われてそちらに目を向けると、剣を持ったクルーたちがそれぞれ海側に神経を集中させていた。
「羽根があって飛べるとは言っても、所詮は海の魔物に過ぎん。ヤツらは空中で方向を変えられないから、ああして待って飛んでくるのを躱せば簡単に仕留めることが出来る」
「食えるのか?」
「もちろんだ。特にこの辺りは冬の時期が長く、旬と言われる期間が続くのだよ」
甲板に張られている結界は、戦闘時以外は風雪や寒さを防ぐことを目的としているため、物理的な防御力は皆無に等しい。そしてフライエスパドンに対して物理結界を張らないのは、貴重な食料を確保するためだった。
(そう言えばカジキマグロの旬も真冬だったような気がする)
ちなみにカジキマグロはマグロではない。
彼がどうでもいいことを思い出していると、甲板から威勢のいい叫び声が聞こえてきた。
「お前らー! 獲るぞー!」
「「「「おーっ!!」」」」
やがて甲板は、フライエスパドンが飛び交う戦場と化すのだった。
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