第八話 娼館

「兄さんじゃないか。今回も久しぶりだねえ」


 その日優弥は、ハセミ領でダラスマ集落の住民に任せる料理屋のレシピを教わるべく、モノトリス王国のロレール亭を訪れていた。


「野菜スープとここで出してるパン、それともう一品なんか体が温まる料理のレシピを教えてほしいんだ」

「店を開くのが他国ってのは間違いないんだね?」


「それは保証する。女将さんに迷惑はかけないよ。いくら払えばいい?」


「金より聞いたんだけどさ、バーベキューセットって兄さんが考えたんだって?」

「ん?」


「ソフィアからじゃないよ。客が話してるのを聞いたのさ」

「まあ女将に知られて困ることはないからな。そうだよ」

「それを二つで手を打とうじゃないか」


「二つかよ、がめついなあ。先に言っておくけど、絶対に室内では使うなよ。死人が出るぞ」

「それはソフィアから聞いてるよ」


「寒かろうが雨だろうがダメだぞ」

「分かってるって」

「後で届ける」


 ここで無限クローゼットから取り出すわけにはいかないので、後ほど魔王が派遣した警備員に届けさせることにした。


「それともう一つ相談があるんだが」

「なんだい?」


「ソフィアを一カ月ほど休ませたい」

「シンディーとニコラも一緒に?」

「いや、ソフィアだけでいい」

「理由を聞こうじゃないか」


「ソフィアと婚約したのは知ってたよな?」

「聞いてるよ。兄さんも隅に置けないねえ」


「もう一人、ポーラのことも?」

「もちろんさ」


「なら話は早い。実は二人と旅行に行こうと思ってるんだ」


 先日魔王ティベリアから誘いを受けたので、二人を魔法国に連れていこうと思ったのだ。ソフィアを一カ月も休ませるのは転送ゲートを使わずに、かねてから考えていた船旅を満喫したかったからである。


 アルタミール領からなら港まで馬車で二時間ほどで行けるし、船は皇帝にレンタルを依頼して了承済みだ。


 なお、婚前旅行ということでシンディーとニコラはむろんのこと、ビアンカも同行しない。


「なるほど、そういうことなら仕方ないね」

「恩に着る」


「ならこっちも一つ頼もうかね」

「俺に出来ることなら構わないぞ」


「ソフィアは結婚したらここを辞めるだろ?」


「本人次第と言いたいところだけど、多分そうなるだろうな」

「シンディーとニコラもだよね」


「二人の本業はソフィアの護衛だからな」

「ビアンカも辞めそうなんだよ」

「あー、皆仲がいいから」


 週末は皆でアルタミールに来ているし、ソフィアたちがいなくなれば彼女もあっちに行きたがるだろう。本来なら彼女まで面倒を見る義理はないのだが、それを見越してか最近はメイドたちを手伝っている姿をよく見かける。


 努力して自分の居場所を作ろうという姿勢は、彼は嫌いではなかった。


「そこで問題なのは、人材の募集ってわけさ」

「まあ、確かに」


「で、鉱山ロード様のお名前を使わせてもらったらダメかね?」


「んー、本当はダメだと言いたいんだけど、前もそれで募集してるしな。女将が貴族や商人をうまいこと躱せるならいいぞ」

「そうか、それがあるんだよねえ」


 ロレール亭が鉱山ロードの名を使って人材募集すれば、優弥に取り入りたくて仕方がない者たちがこぞって仲介を頼みに来るのは火を見るより明らかである。しかしロレール亭は一介の宿屋に過ぎない。その女将が彼らを一蹴出来るとはとても思えなかった。


「要求を断った女将が無礼討ちとかされたら、仇くらいは取ってやるぞ」

「よしとくれ。アタシだってまだ死にたくはないさ。いいよ、その件は諦めるから」


 ひとまずロレール亭の件は片付いたので、彼は借家に戻って女将と約束したバーベキューセットを警備員に届けるように伝える。その後アルタミール領主邸に戻ると、ウォーレンが待ってましたとばかりに彼を執務室に連れていった。


「どうした、ウォーレン?」

「実は貧民街の娼館から要望が上がっておりまして」


「娼館? そんなものがあるのか?」

「生きるために自らを商品とする女もおります」


 この世界では男性の数が少ない。しかしだからと言って、全ての男性が女性と特別な出会いに恵まれるわけではないのだ。容姿の問題だけではなく、奥手の者にもチャンスは巡ってこない。


 そういった男たちがいるからこそ、彼女たちの商売も成り立つのである。そんな女性をまとめているのが娼館で、貧民街にあっても報酬次第でどこへでも派遣するというもの。


 魔法国に限らずほぼ全ての国で合法であり、ある意味セーフティネットの役割を果たしていると言っても過言ではないだろう。


 とは言え、危険が全くないというわけではない。悪意を持った者にさらわれて行方知れずになったり、最悪は翌日死体で見つかるなどという痛ましい事件も年に数件は発生していた。


「で、その娼館がなんだって?」


「作業員の簡易宿舎に娼婦を入れさせてほしいとのことにございます」

「部外者は立ち入り禁止だからな」


「特にあの場所は閣下の肝煎きもいりですから違反者は厳しく取り締まられます。ですから無断で入ろうとせず許可を求めてきたのでしょう」


「安全面でも魅力的なんだろうな。しかし仕事を得たと言っても貧しい人たちだぞ。女を買う余裕なんてあるのか?」


「余裕はなくとも男性なら仕方ない部分もあるでしょう」

「どうしたもんかなあ……」


「簡易宿舎施設とは申しましても浴場の設置を優先したりなど、これまで女性に大変手厚い環境となっております。どこかでガス抜きしませんと、最悪は男性が暴動を起こす可能性も否定出来ません」

「仕事を与えたのに暴動ってか?」


「人間というのは置かれている状況にはすぐに慣れ、以前よりずっとマシになったことなど忘れてしまうものなのです」

「それで不満が溜まって爆発か。一理あるから悩ましいところだな」


 彼が悩んでいるのは、女性の出入りを認めると極めて高い確率で別の問題の発生が懸念されるからだ。それは声である。


 宿泊施設は十分に防音されているわけではない。それどころかむしろ、小さな話し声でも隣室に聞こえてしまうほどなのである。


「行為中の声は隣室どころかもっと先まで聞こえるんじゃないか?」

「確実にそうだと思います」


「うーん、認めるなら厚めの壁で囲って、内側に小屋なんかを建てるしかないか」

「ですがそこに人員を割くと、反発する者も出てくるでしょうね」


「娼館にやらせればいいんじゃないか? もちろん警備も含めてだ」


「なるほど。それでしたらこちらは土地を貸すだけということになり、使用料も納めさせることが可能にありますね」

「あとはツケの禁止とトラブルには一切関与しないってところかな」


「娼婦は食堂も含め、その場所以外は立ち入り禁止とした方がよろしいでしょう」

「食堂もダメなのか?」


「男たちの気が散りますし、女たちはいい顔をしないでしょう」

「それはあるか」


「さらに無料ではないとは言え、食堂の価格は材料費と人件費のみから算出されております。これは現場作業員に与えられた言わば特権のようなものですから、娼婦の利用は認めるべきではないと考えます」


 余談だが食堂の飲み水は、魔単11を消費した燃焼魔法がかけられた小石を使って熱した湯を冷ましたもの。気温が低いのですぐに冷めるし、温かい飲み物なら湯をそのまま使える。


 焼いたり煮たりするのも、同様に熱を放ち続ける石の上に置いた鉄板や鍋を使用しているため、燃料費はかかっていない。


 ちなみに、魔単11ならおよそ四百六十二日、一年と三カ月間ほど燃え続ける計算になる。また、お陰で食堂は常に暖かく、熱を逃がす必要もあるため換気も十分だった。


「じゃ、今のことを娼館に伝えてくれ。条件を飲むなら商売を認めよう」

「承知致しました」


 この約一カ月後、十二月を前にして娼館の営業が始まるのだった。

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