第八話 損して得取れ

「お肉はぁ?」

「美味しい鶏肉がお土産じゃなかったでしたっけ?」

「バーベキューはぁ?」


 優弥の帰宅を待ちわびていたソフィアとポーラに、ラプレスをドラゴンに横取りされたことを告げて返ってきた反応がこれだった。しかも無言ではあったもののシンディーとニコラ、ビアンカまでいる。


 ドラゴン討伐を面白おかしく自慢しようと考えていた彼は、やはりあの場で奴を解体して腹の中から鶏肉を引っ張り出すべきだったかと後悔した。


 しかしドラゴンの魔力吸収は早く、ティベリアからはあの一瞬でも半分以上は消化されていただろうと聞いていたため、すぐにその考えを否定する。

 間違いなくラプレスの鶏肉としての味も失われていたであろうからだ。


「どうしようもなかったんだって……」

「鶏肉、食いたいかー! って言ってたわよね」


「もうお野菜をバーベキュー用に下ごしらえしちゃったんですけど」

「お肉がないバーベキューなんて考えられなーい!」

「いやあ、本当に申し訳ない……」


 その時、扉をノックする音が聞こえた。誰かと思えば騎士のトニーとチェスターだった。


「どうした?」

「すみません、詰め所にどなたもいらっしゃらなかったので直接来てしまいました」


 優弥がシンディーとニコラにジト目で視線を送るとさすがにバツが悪いと感じたのか、二人ともふいっと顔を背けた。


「お前たちなら構わんよ。何か用か?」


「実はエバンズ会頭からどうしてもユウヤ様に取り次いで欲しいと言われまして」

「商会の会頭が? 何の用だ?」


 彼が貴族や商会からの面会要請を禁じているのは現在も変わっていない。トニーたちを通したからといって、エバンズ商会だけに特例を認めるわけにはいかないのだ。


 そんなことをいちいち許していては、禁止が単なるお題目に成り下がってしまう。


 ただ、相手は王国最大の商会でもあり、禁止を押してでも面会を求めてくるからにはそれなりの事情があるとも考えられる。さらに会頭が幸運だったのは、彼が女性陣から責められている状況に陥っていたことだった。


 ここで断れば、待っているのは針のむしろだけである。


「分かった。今回だけ特別に話を聞くから呼んできてくれ」

「いいんですか?」

「そう言ってる」


「失礼しました。すぐそこまで来ているので呼んできます」


 優弥の魂胆などとっくに見抜いていた彼女たちが、あからさまに批難の目を向けてきた。しかしひとまず五人ともソフィアの部屋に入っていく。ここで間違った対応をすれば、コンラッド会頭が帰った後が地獄となること受け合いだ。


 そうしてやってきた会頭だったが、前回会った時より幾分やつれて見えた。相変わらず髪にはきちんと櫛が通されていたが、口髭に精細さを欠いていたのである。


「まずは会ってくれたことに感謝する」


「どうした? 元気なさそうじゃないか」

「ああ、実はな……」


 鉱山ロードとエバンズ商会が和解したニュースは、すでに王国中に広まっていた。だが、一度失った信用を取り戻すのは容易ではなく、売り上げは多少改善したもののまだまだ以前の二割にも満たないのだとか。


 それというのも王国祭で味を占めた卸売人の一部が、独自に小売りを始めて商会に商品を卸さなくなったからだそうだ。彼らは元々王国で商売する鑑札を持っていたため法に触れることもない。


 エバンズ商会傘下の店より商品が安く売られているので、多少の不便があっても多くの市民の足がそちらに向いてしまうのは致し方ないだろう。そこには一時的にでも鉱山ロードと敵対したというレッテルも、大きく作用しているとのことだった。


「で、俺にどうしろと?」


「鉱山ロードの名で、我が商会を宣伝させてもらえないだろうか」

「は?」


「ハセミ殿が積極的に我が商会を利用していると知られれば、市民も戻ってくるのではないかと思ってな」

「大商会の会頭様とは思えない浅知恵だな」


「分かっている。だが商会を潰すわけにはいかんのだよ。私の肩には何千、何万という者たちの生活がかかっているのだからな」


「追い詰められて目が曇ってんじゃねえのか?」

「そうかも知れん。いや、きっとそうだろう。だが……」


「宣伝の件はお断りだ。勝手に俺の名前を使えば今度こそ本当に潰すぞ」

「やはりダメか……」


「当然だろ。そんなことに協力してみろ。もっと厄介な連中が際限なく湧いて出るのが目に見えているじゃないか」


 しかし優弥も鬼ではない。目の前の会頭一人がどうなろうと知ったことではないが、彼の下にいる多くの部下やその家族が路頭に迷うのを良しとは思わないのである。


 それはやがて自分やソフィアたちにも返ってくるからだ。


「会頭さんよ、損して得取れって言葉を知ってるか?」

「なんだ急に。聞いたことはないが、何やら含蓄を感じる言葉だな」


「市民がアンタの店に寄りつかないのはどうしてだと思う?」

「それは……」


 コンラッド・エバンズは優弥の問いに対する明確な答えを持っていた。そんなことは商売云々以前の問題である。全ての客がそうだとは言わないが、同じ商品であれば少しでも安い方を求めるに決まっているのだ。


 しかし商品を小売りしている卸売人たちと同じかそれ以下に価格を下げるとするなら、他の卸売人からさらに安く仕入れなければならなくなる。そうなればますます反発を招き、一層商品の仕入れに支障が出ることは自明の理でしかない。


 しかし、そこで引っかかったのが優弥の言葉だった。


「損して得取れ……」


 商会が卸売人に与えるのは、安定かつ定量の仕入れである。卸売人が商品を小売りすれば、確かに商会に卸すより高く売ることが出来るだろう。しかしそこに安定はないし、販売量を予想するのも難しいはずだ。


 しかも彼らは商会のような広い販売網を持っているわけではない。結果的にどちらに利があるかは、答えが出ているようなものなのである。


「それを分からせてやればいいんじゃないのか?」

「つまり商品の価格を下げても仕入れ値は下げるな、ということか」


「そこまでしても分からない卸売人なんかと付き合いを続けても、この先利があるとは思えないけどな」

「うむ。損して得取れ、か……」


「ま、一度値下げしたら元の値に戻すだけでも市民は値上げと感じるものだ。さじ加減はかなり難しい……そんなことは言われなくても分かってるか」

「いや、目から鱗とはこのことだろう。分かっていても生かしきれなければ、それは分かっていないのと同じことさ」


 たとえ小売りにシフトした卸売人たちより安く商品を販売しても、利益が減るだけで商会が損をするわけではない。それよりも客足が戻ったところで値上げに踏み切れば、今度こそ離れた客が戻ってこなくなることは想像に難くなかった。


「今日は話せてよかった。感謝する、ハセミ殿」

「そう言ってもらえたならよかったよ」


「しかし驚いたぞ。まさかハセミ殿が商売にも精通しているとは」

「いや、そこまでじゃないさ」


 その後二人で少々の世間話を交わした中で、彼はついバーベキュー用の肉がないことを喋ってしまった。むろんこの国にはいないラプレスという鳥の魔物や、ドラゴン討伐のことは伏せてではあったが――


「なんだ、そんなことなら協力させてくれ。後ほど最上級のクーの肉を届けさせよう」

 クーとはまさに牛に似た獣のことである。


「いいのか?」

「売れ残りだ。気にするな」


「あ……あははは……」

 皮肉だが、そこに嫌味はなかった。


 これでめでたく鶏肉ラプレスの件は帳消しとなり、女性陣からは今後商会傘下の商店で起こるであろう値下げについても大いに賞賛されたのだった。

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