第二話 ウィリアムズ伯爵邸
「あれ? 私なんで……ひゃぁぁぁっ!」
「ん? ソフィアか。どうした……わわっ!」
ソフィアの悲鳴で目を覚ました優弥は、自分が彼女を抱きしめていたことに気づいて慌ててその手を解いた。そこへタイミングよく(悪く?)ポーラが部屋に入ってくる。
「ユウヤぁ、ソフィア来てな……い……?」
半分涙目のソフィアが後ずさるようにして浴衣の胸元を押さえている。これは全く言い逃れ出来る状況ではない。次の瞬間、問答無用のポーラの平手が優弥の頬に見事な紅葉を描きだしていた。
◆◇◆◇
「ユウヤさん、ごめんなさい」
「ユウヤ、悪かったわよ」
救いは昨夜、彼が泥酔せずに記憶を留めていたことに尽きる。あの美味い料理の数々とワインを目の前にして、よくぞ酔い潰れなかったと自分を褒めてやりたい気分だった。
もし記憶がなくなるほど酔っていたとしたら、ソフィアとどうなっていたか分からない。いや、分かるからこそ彼は、自分に対して心から最大の賞賛を送ることが出来たのだ。
「まあ、あの状態じゃ疑われてもしかたなかったからな」
イエデポリを出立して三日目、一行は次の宿場町ピターバラを目指して馬車を走らせていた。朝、出掛けに宿の主人からせめてもう一泊と引き止められたが、そうそうタダで泊まらせてもらうのも悪い気がして丁重に断ったのだ。
それにまだ早朝だったというのに、一角鹿の肉を求めて貴族の馬車が列を成していたのも大きい。ここでは鉱山ロードの肩書きを知られてはいなかったが、勘のいい者なら名前から気づかれてしまう可能性だってある。
(肉はたった一頭分だからな。全員には回らないと思うぞ)
そうしてダンドリーを出てから迎えた夕刻、そろそろピターバラに到着というところで雨が降ってきた。小雨程度なら問題はないが、本降りになると道が
「何日か滞在する覚悟で宿を探そうか」
だが、よくないことは重なるもので、無事にピターバラには入れたものの、たまたま大きな商隊が滞在していたせいで宿に空きがなかった。町に入ったところで門番の兵士が心配してくれたが、その通りになってしまったようだ。
「俺の肩書きを明かして部屋を譲らせるか」
「でもユウヤ、それだと借りを作ることになるわよ」
「そうですよ。私はユウヤさんに嫌な思いをさせてまで、宿に泊まりたいとは思いません」
「そうね、ソフィアの言う通りだわ。この馬車なら寒くはないんだし、少し詰めれば皆で寝られるでしょ。馬車で一泊なんてちょっと粋じゃない?」
「旦那様、泊まれるほど快適な馬車に乗ってたなんて、私たちも仲間内で自慢出来ます!」
「ロレール亭のシモンさんにも自慢しちゃいましょう!」
「あははは。皆ありがとう。正直肩書きを利用するのは嫌だったから助かるよ」
しかし悪いことはさらに続く。件の商隊が多くの馬車を伴っていたせいで、
かと言って路上に止めるわけにもいかない。往来の邪魔になるし、そもそも落ち着いて眠ることなど出来ないからだ。
また市街地から離れると手洗いなどの問題が出てくる。優弥は男だからなんとかなるかも知れないが、若い女性に外で用を足させるわけにはいかないだろう。
いよいよもって鉱山ロードの肩書きを利用するしかないと諦めかけた時だった。
「失礼、御者のお嬢さん」
「はい、どちら様ですか?」
「こちら、ユウヤ・ハセミ様の馬車とお見受け致します」
シンディーと話す男の声が聞こえてきた。キャビンの窓から覗くと、貴族の使用人と思しきタキシード姿が目に入る。彼に傘を差し出して濡れないようにしているのは、さらにその下に仕える者ということだろう。
優弥は御者台に移動して、シンディーの横に腰掛けた。
「俺になにか用か?」
「では貴方様がユウヤ・ハセミ様ですね?」
「そうだが」
「私はウィリアムズ伯爵家にて執事を仰せつかっております、チャド・ブラウンと申します」
「それで?」
「当家の主、ブレンドン・ウィリアムズがユウヤ・ハセミ様を邸にご招待したいと申しております」
「貴族が俺に接触するのを禁じているのを知らないのか?」
「いえ、存じ上げております。ですから主は鉱山ロード様ではなく、ユウヤ・ハセミ様個人のご招待を望んでおります」
「理由は?」
「一角鹿の角のお礼、と申し上げればお分かり頂けますでしょうか」
「あれはダンドリーの宿にくれてやった物のはずだが?」
「はい。宿から昨夜、当家に献上された次第にございます」
その際に宿の主人は、優弥から一角鹿の肉と共に譲り受けたと伝えたそうだ。主人は彼を鉱山ロードと知らないはずだから、伯爵が名前を聞いて思い至ったのだろう。
しかしそれを知ってもなお、鉱山ロードではなく優弥個人を招きたいと言っているなら、本当に礼を言いたいだけという可能性もある。あの主人の口ぶりでは相当に貴重な物らしいから、可能性がゼロではないというわけだ。
それにこの雨の中、馬車をどうするか悩んでいたところでもあり、伯爵からの招待は正直渡りに船とも言えた。もし伯爵が何か魂胆を隠しているとすれば、発覚してから懲らしめればいいだけだ。
今はそれより、ソフィアたちが少しでも快適に過ごせることを優先すべきだろう。
「連れが四人いる。俺も含めて全員平民の身分だ。それでも構わないのか?」
「もちろんでございます。おそらくこの状況ですと宿はどこも満室でございましょう。主は邸に皆様のお部屋をご用意しております」
「分かった。案内してくれ」
「ありがとうございます。御者を交代させて頂いても?」
「ああ。任せる」
シンディーをキャビンに下がらせ、チャドが代わって手綱を握った。傘を差し出していた使用人は徒歩で帰るようだ。
「さっきの使用人は乗せなくていいのか?」
「あの者は下人ですので当家のお客様の馬車には乗せられません」
「気の毒なような気もするんだが」
「お気遣い感謝致します。ですがご安心下さい。主は下人だからと粗末に扱うことはございません。当家を出て他家に奉公する場合、身分相応の振る舞いが出来るようにとのお考えにございますので」
「なるほど、納得したよ」
「ありがとうございます」
一行は馬車に揺られること数分でウィリアムズ伯爵邸に到着した。この距離ならあの下人と呼ばれた使用人の心配も必要なさそうだ。
馬車を降りると優弥たち一人一人に、傘を持ったメイドが横についた。彼女たちは雨に打たれるが、招かれた五人には一滴の雫もかからない。
(伯爵家のメイドさん、すげーな)
慣れない出迎えにソフィアたちは恐縮しきりだったが、玄関ホールに通された瞬間の光景には、さすがの優弥も息を呑むしかなかった。
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