第四章 王国祭

第一話 一角鹿のステーキ

 これはかなり後になってからの話だが、ヘルナンデス子爵が彼を無礼討ちしようとしたことがどこからか国王の耳に入り、子爵家は取り潰されたとのことだった。取り潰しを告げる際に国王と宰相は不快感を隠さず、一切の申し開きを聞かなかったそうだ。


「さて、帰るか」

「旦那様、帰路もお任せ下さい!」

「シンディー、ニコラも頼んだ」

「「はい!」」


 王都に向けての帰路は順調な滑り出しだった。天候にも恵まれ、一日目は予定通り宿場町に到着してゆっくり旅の疲れを癒すことが出来た。


 もっとも街道でサーベルウルフ十頭の群に出くわし、シンディーとニコラが嬉々として討伐。臨時収入を得たことも付け加えておこう。二人の連携は見事の一言に尽き、優弥の助太刀は全く必要とされなかった。


 しかし問題は二日目の夕刻である。間もなく次の宿場町に到着するというところで、御者を務めていたニコラが急に馬車を止めたのだ。


「ニコラ、どうした?」

「旦那様、あれを……」

「ん?」


 彼女が指さした先には、かなり距離があったが鹿のような魔物がこちらを窺っているのが見えた。ソフィアたちもキャビンの窓から頭を出している。


「あれは?」

一角鹿いっかくじかです」


「あれがか!? 美味いんだよな!」

「はい」

「狩るぞ!」

「ですがまだ距離があり……」


 そう言いかけたニコラが優弥から前方に視線を戻したところで言葉を切った。彼女の目には一角鹿が力なく倒れる様子が、スローモーションのように映ったからである。


「よし、回収だ。ニコラ、頼むぞ」

「え? は、はい……」


 さすがは魔物討伐を生業としていたシンディーとニコラだ。仕留めた獲物を解体する手際は素晴らしかった。それぞれ異なる部位ごとに小分けし、水魔法を応用した氷魔法で冷凍する。


 しかしいくら寒い季節だからといって、王都まで冷凍状態を維持するのは不可能とのことなので、自分たちで食べる分以外は宿場町で売るしかない。そうして一行は宿場町ダンドリーに入った。


「まずは一角鹿を調理してくれる宿を探しましょう」


 するとすぐに目的に合う宿が見つかり、そこで獲物も丸々買い取ってもらえることになったのである。一角鹿はなかなか出回らないため、目玉としての客寄せ効果が絶大なのだと宿の主人がホクホク顔で言う。


 そんな主人から買い取り金として差し出されたのは、金貨百枚の手形だった。日本円にしておよそ一千万円である。


 もちろん一番美味いとされる部位は、今夜の夕食のメインとして出してくれるそうだ。通常であればその肉だけで金貨数十枚は取れるらしい。


 そもそも絶対数的にほとんど出回ることのない獲物である。どれだけ金を積んでも捕らえられないことにはどうしようもない。紹介された料理人のやる気オーラは、ソフィアが思わず優弥の後ろに隠れてしまうほどだった。


「ですが角まで頂いてよろしかったのですか?」


「特に強い武器や防具の素材になるわけでもないらしいし、俺たちには使い途がないから好きにしてくれ」

「これをご領主様に献上すれば、おそらく肉以上の褒美を頂けますよ」


 宿の主によると領主は十五代続く名門の伯爵家で、現当主の名はブレンドン・ウィリアムズ。その広大な領地は次の宿場町ピターバラまで続いているそうだ。人柄が温厚な上に税もかなり低く抑えられているため、領民からも慕われているらしい。


「ならアンタが献上するといい」

「ですがそれではあまりに申し訳なく……」


「黙っていれば分からなかったことを、失うのをいとわずに教えてくれたアンタだからいいんだよ。それでも気に病むってんなら、俺たちの宿代を少しだけマケてくれ」


「お代を頂くなどとんでもない! どれだけ儲けさせて頂けると思ってるんですか。ハセミ様ご一行は無料でご滞在下さい。ええ、何日でも!」

「いや、予定通り明日の朝出るよ。しかし宿代無料というのはありがたく甘えるとしよう」


 そうして夕食の時間を迎えたのだが、宿の食堂が一角鹿のお陰で大混雑しているとのことで、急遽ソフィアたちの部屋に料理を運んでくれることになった。しかも専属の給仕係二人がつき、彼女たちは最上級のおもてなしをするようにとの厳命を受けているそうだ。


(日本でもこんな接客受けたことがないぞ)


 肝心の料理だが、一番の空腹時に一番美味い料理をとの配慮から、本来なら前菜、椀、造りなどと続くべきところを初っ端からステーキが出てきた。焼き加減は絶妙なミディアムレアで、口に入れた瞬間に思わず笑みがこぼれてしまうほどの美味さだった。


「美味しい!」

「なにこれ、口の中で溶けるぅ!」

「前に食べた時と全然違います!」

「さすがはプロの料理人ですね!」


 シンディーとニコラは以前食べたことがあるとは聞いていたが、所詮は素人調理だったということだろう。


「お肉のお替わりもございますので、どうぞお申しつけ下さい」


「ユウヤさん、お替わりしてもいいですか?」

「いいぞ、ソフィア。好きなだけ食え」


「ユウヤ、私もお替わり! あとワインも!」

「俺もワインをもらおうか」


 優弥とポーラには食前酒が出されていたが、二人とも追加でワインを求めた。それからいくつもの料理が運ばれてきたが、どれも料理人の腕を手放しで絶賛したくなるほどの味だった。


 その後、大満足の夕食に一行は満腹となり、ほろ酔い気分で優弥は自分の部屋に戻る。ベッドに横になってうとうとしていると、扉をノックする音が聞こえた。


「誰だ? ソフィアか? ポーラか?」

「私です、ユウヤしゃん」


「しゃん? ソフィアか。鍵はかけてないから入っていいぞ」

「失礼します」


 そう言って部屋に入ってきたソフィアだったが、浴衣が少し乱れているように見えて、なんだか妙になまめかしい。

(いかんいかん。相手は一回りも年下の女の子だぞ)


「どうした?」

「えへへー、ちょっとだけワイン飲んじゃいました」

「は?」


「ユウヤしゃーん、なんらかフラフラしますぅ」

「お、おい!」


 足取りが覚束なくなっていたソフィアが、ベッドの上の彼に覆い被さるように抱きついてきた。


「ユウヤしゃん、あったかいれす」

「ちょっとソフィア、ソフィア?」


 どうやらそのまま彼女は眠ってしまったようだ。柔らかい感触と甘い香りにクラクラするが、さすがにこの状況はマズい。なんとか起こして部屋に帰らせないと、ポーラ辺りに見られたらとんでもないことになりそうである。


 彼は体を捩って上半身だけでも起き上がらせようとしたが、次の瞬間に動けなくなってしまった。


「お父さん……お母さん……会いたいよ……」


 ソフィアの頬を涙が伝う。彼女が両親を崩落事故で失ってからわずか数カ月。それでも最近はよく笑うようになっていた。


 しかし実は無理をして、気丈に振る舞っていただけではなかったのだろうか。本当は心の奥底でずっと泣いていたのかも知れない。


 そう思うといても立っても居られなくなり、気がつくとか細い体をそっと抱きしめていた。


「俺が守ってやるからな。なにも心配しなくていいぞ」


 そうして髪を撫でているうちに、いつしか彼も眠りに落ちるのだった。

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