第7話 引導を渡された後の訃報の数々
女は、意を決して健診に臨んだはいいが、最後の医師の診察がとても怖かった。自分の胸部レントゲン写真を見る事が恐ろしかったのだ。
恐れていた感情は、普通に女に説明をし始めた医師のショッキングな発言でかき消された。
「あのですね。これまでの数年間の検査結果を見比べて申しますが」
「はい……」(心臓の事かな)
「どうしてここまで放置していたんですか!もう経過観察などのレベルではないです。治療が必要ですよ、本日から!」
「……えっ?」(放置?何を?)
医師は淡々と続ける。
「先程の採血した中から、健診の項目とは別の検査をします。こちらは保険診療になります。まあ、ご存知でしょうけど」
「あっ、はい……」(健診は保険外だけど、異常が見つかったら保険に切り替わるのは分かるけど……異常?)
女は医師に恐る恐る尋ねた。
「あのう……そんなに酷かったんですか?」(普通、結果は1ヶ月後くらいに郵送だよね?直ぐ分からないよね?)
「はい、それをこれからご説明します。長くなりますが、要点だけお伝えしますから.先ずは、こちらのレントゲン写真をですね……」と、おもむろに電子カルテの画面を表示した。
女は、ショックの連続で頭が真っ白になっていた。
が、先週の母親の画像を目撃していたせいか、ワンクッション置く事が叶い、多少の冷静さが保てていた。
女の恐れていた通り、心臓は中央部に位置している。どう見ても、以前の記憶の中の画像と比して、目視で2~3㎝は移動していた。
(ああ!写真に撮りたい!定規を当てたい!前はこの辺に心臓が在ったんです!って先生と看護師さんに今!今!ここで言いたい!)
無言で画像を見つめていると、医師は次々と画像の説明の他に病状や治療方針の前の検査等の説明を続けてしまう。女は、気が遠くなりそうな混乱しそうな自分を抑えて、医師の言葉が切れるのを待った。
この画像を見て:、医師や看護師は慌てふためかない。先週の母親の循環器内科の主治医も同様であった。
つまり、こちらの世界線では、この画像の様に中央部に位置している心臓が正常なのだ。彼等はそうやって医大や看護学校で学び、資格を取得したのだ!
女が元いた世界線であったなら、素人目に見ても位置異常であり、定期的に精密検査を必要としていたであろうと思われた。
医師が紙媒体に記入し始めた。こちらは紙媒体と電子カルテを併用しているらしい。
彼が手を止めて次の話に移る所で、女はやっと恐る恐る質問を投げかけた。
「先生、あの……私の心臓は、どれですか……?」
随分間の抜けた問いだとは思う。女は何度もこの病院で健診を受け、説明を聞いている。それ以前に、医療事務として30年以上もクリニックに勤めている。その上、循環器内科の受診歴がある事を健診時の問診票に記入済みである。
それでも、女はこの医師本人の口からこの言葉を聞きたかった。
「心臓ですか。これてすね」
間違いなく、中央部を指していた。
女は続ける。
「……ど真ん中ですね……」
「そうですね。真ん中ですね」
(……言った!今、確実に先生の口から「真ん中」って言った!嘘じゃない!夢じゃない!今、確かに「真ん中」って言った!)
それから医師は、女の病気や症状等について淡々と話し続けた。
数ヶ月後に自身のクリニックに診療情報提供書を書いてもらい、定期的な検査の他はそちらで投薬治療を続けて下さいとの状況になった。
そこで初めて、女はいっぺんに5つもの病名を付けられていたのだと知る。
せいぜい3つくらいだろうと軽く思っていた女は、一気に頭から足先までの血が逆流したかの様になり、自身のカルテを見つめながら倒れそうになった。
この辺りから、女の身の回りには不穏な空気が流れ始めていた。
女が健診後に職場のクリニックへ紹介状(診療情報提供)を書いて貰うのは、数ヶ月後になる。
それより少し前から、女の周辺ではだんだんと、妙な状況になって行った。
10月下旬の健診で予期せぬ疾患を告げられた女は、自らの治療に専念しなければならなかった。
いきなり「何故ここまで放置したのか」との問いは、寝耳に水である。
女には自覚症状もなければ、放置した覚えもなかった。
期待通りに医師の口から「あなたの心臓は真ん中ですよ」と宣言して貰えたというのに、女にとってそれは、 「この躰はこの世界線の者の躰であって、お前の躰ではない」と引導を渡されたのと同じであった。
(やっぱり、この違和感は、本来の私の躰じゃないからだよね……なんとなく違うと思う。でもでも、ホクロとか筋肉の付き方とか骨の出具合がソックリだ。全くの別人だと思うのに、何故か似ている。)
自分の躰であって、他人のそれの様だった。何故か生活習慣も異なるらしい。毎日毎日がイライラの塊であった。
SNSでは、同じ様に違和感を述べている者は見受けられなかった。元々あまり他人とは接点を持たなかった女は、狭い範囲内でマンデラーという更に狭まった世界の彼等と同等の知識も所見も持ち合わせていない為、会話に入っていけない。ただひたすら、帰りたい、これは自分の躰ではない、おかしい!とわめき散らしていた。毒を吐くように、文字を打ちまくっていた。
心優しい先輩マンデラーの彼等は、女をたしなめ、慰め、元気付けようと様々なアドバイスを述べ伝えてくれていたが、女は次々と公私共に不穏な空気に包まれて行き、せっかくのアドバイスが宙に浮かんだ状態のままであった。
はじめに女が勤務するクリニックは、患者の殆どが後期高齢者であり、平均年齢を出すとすれば、80代半ばあたりになる事を触れておく。外来も在宅も100歳を超える長命な患者が数名いた。
言葉は悪いが、どの患者もいつ、何が起きてどうなるか、予測不可能な高齢者たちである。
事の初めは、外来患者の家族の訃報からやって来た。
患者は90代の姑である。その家の60代の嫁(他院に通院中)が急死して、程なくして姑も亡くなってしまった。
次は、在宅患者の共に90代前半の夫婦が相次いで体調を崩し、やはり間を空けずに他界してしまった。
こんなに相次いで訃報が入るのは珍しい。
当然だが殆どが後期高齢者である。が、例年通りならばぽつらぽつらと入院騒ぎになるとか、施設に入所してから悪化して入院するとか、しばらくは訃報の知らせなどは縁遠かった。急に他界される事など近年まれであった。
そして、以前通院していた患者(祖父)が施設に入所中、他院に通院中の孫が病死、それから直ぐに祖父が、その後やはり以前通院していた祖母が病院へ入院して、少し経ってから他界したと知らせが入った。
(こんなに亡くなる人が多いなんて……しかも同じ家で。若い人もいるし。今までこんなに訃報が相次いで入った事なんか無かったのに!嫌だな……)
カルテ棚には死亡者専用のスペースがある。そちらが例年よりも約3倍の速さで埋まって行った。
その年の初めから流行りだした未知の感染症は、田舎のクリニックではまだ縁がなかった。遠い世界の病だった。感染者も身近にはおらず、それよりはインフルエンザの予防接種を受けたい者が例年よりも多く続出し、予約受付と共に混乱状態であった。
イライラと体調不良と周囲の例年よりも多い訃報と新たな感染症と、インフルエンザの予防接種が女を疲弊させていた。
そして、それ以上に女を奈落の底に突き落とすかの事態が次々と襲い掛かって来る。
マンデラエフェクトと同時進行とは、果たして良き世界線へと女を誘ったのか、それとも真逆の地獄へと突き落としたのか……。
12月中ごろに、突然母方の60代前半の従姉妹の急死の知らせが入った時は、女は精神的にも肉体的にも疲れ果てていた。
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