第6話 母と娘の定期検査と健診そして胸部X-P(レントゲン写真)

 10月下旬にさしかかっていた。

 女の母親は、約5年前に前触れも無く、熱も咳もなく、いきなり血痰を吐いて突然重症の肺炎になり、入院を余儀なくされた。

 不幸中の幸いとでも言うべきか。はたまた泣きっ面に蜂とでも言うべきか。

 入院中、付けっぱなしの心電図計から主に夜間の鼓動が1分間に5回しかないと分かり、また、血液検査から貧血がみられたので、原因を探ろうと胃や大腸のファイバースコープの検査を行った所、いや、進行性の大腸癌の邪魔により管が入らずに検査が不可能であったのだが……緊急に手術を受けねばならない状態だと判明した。

 そして、入院先から他病院を紹介されて、ペースメーカーを付けた後、大腸癌の摘出手術を受けた。

 それから約5年経過して、最低半年に1度は老母の胸部レントゲン写真を拝見していた。以前の病院での肺炎の時の分を含め、何度も彼女のペースメーカーが映り込んでいる胸部レントゲン写真をある時は医師の説明を伴い、またある時は電子カルテに表示された映像を盗み見て、確認していた。

 胸部レントゲン写真には、縁があった。女も心臓に先天的な異常があるらしく、それはあまり問題ないものの様であったが、循環器の専門病院への受診も経験していた。勿論、レントゲン写真を見せてもらい、説明を受けた。

 くどい様であるが。女は職場で胸部レントゲン写真を眺めていられる環境とは別に、個人的にも医師の説明と共に拝見する機会に恵まれていた。

 ……心臓の位置は、老母のペースメーカーの位置と共に把握していた。

 その、老母の定期検査の日がやって来た。女はSNSで見た画像の様に、本当に中央部にあるのか否か、それだけが頭を占めていた。まさか、そんな事があってたまるか、心臓が真ん中にあれば左上部に付いているペースメーカーは、一体どうなっているのか?

 老母のペースメーカーは、以前と変わらない位置に見受けられる。その部分だけ、盛り上がっているので肌の上から分かるのである。

 当日は心電図を取り、胸部レントゲン写真を撮り、ペースメーカーの業者がやって来て、パソコン類を使用しながらペースメーカーの検査をする。その後医師の診察を受けるのだ。



 そしてその瞬間がやって来た。


 女は目を疑った。


 まず最初に目に飛び込んで来たものは、老母の胸部レントゲン写真が表示されている電子カルテ画面であった。

 心臓は、ほぼ中央部に位置しており、ペースメーカーは斜め上部に見受けられた。

 以前の画像であれば、心臓の上部辺りにペースメーカーが映り込んでいた。

 ……女にはペースメーカーから出ている2本の導線の正確な長さの知識など無い。

 が、不自然にペースメーカーから離れた位置に心臓が写っていた。

 その日の医師の説明など、耳には勿論の事、頭にも記憶にも入らなかった。

 その日は女がマンデラエフェクトを体験してから数えて12日目であった。

 


 母親の定期検査から1週間後、今度は女自身の年に1度の健診の日が来た。

 女は、先週の画像を見たショックから完全に立ち直れてはいなかった。納得がいかぬまま、日々を過ごしていた。

 (……あの画像は……見間違い?心臓がまさかのど真ん中にあった!ずっとこれまで見てきたレントゲン写真とは絶対違う!……今度は、私の番だ……嫌だな。もし、もしも……お母さんと同じように真ん中に心臓があったら?この躰がおかしいという事?になるよね……もし、もしも私のこの違和感が、躰が異なるから感じていたのだとしたら?本やネットの画像や記事と同じくど真ん中にあったら?……嫌だな……どうしたらいいんだろう)

 女は、ありとあらゆる場面で違和感を感じていた。起床から就寝まで、がおかしい。

 特に朝の起床時の行動がちぐはぐに思えた。マンデラ経験をした日から3週間も経過すると、頭と躰が伴っていない事に薄々気付いて来る。

 自分が考えて、行動に移そうと動くと、何故か噛み合わないのだ。違う行動に移ろうと躰が勝手に動く。癖、又は習慣が異なるのだろうか?

 自分の躰であるのに、躰にも自我が芽生えているかの錯覚に陥る。

 ……まさか、は自分の躰であって、自分の躰ではない……? 

 ふと、そんな考えに席巻される脳内。瞬時にいやいや、バカな。そんなオカルト的な。第一、自分の躰が変わったら、一体何処で変わった?自分の躰ごと、あの日は持っていた荷物や服装は全く変わりがなかったではないか。

 その後、何処でどう変わったと言うのか……?

 時折覗くSNSでは、皆一様に冷静な投稿をしている。何故、そんなに落ち着いていられるのか……理性的に受け止めて建設的に物事を判断して行動出来るのか……感情に左右されてしまう女には、逆立ちしても真似など出来ない事であった。

 周囲の風景、環境が変わったと報告している人々もいた。女には全くその様な現象など起きてはいない。先輩マンデラーの彼等は、映像をふんだんに使用して、人体の変化を「良い方向へと」進化した、と評価し喜んでいる。何故、そんなに落ち着いていられるのか女には全く理解不可であった。

 (皆さん、躰に違和感が無いのかな……頑丈になったとか進化した、なんて言ってる……どうして気味悪くないんだろう。私が変なのかな……もし、心臓がど真ん中にあったら、私は冷静でいられるかな……医師になんて聞く?質問する?……その前に、質問出来る?)

 母親の定期検査の時は、あまりにショックが大き過ぎて医師の言葉さえ耳に入らず、尋ねる事など無理難題であった。

 1週間経過しても、まだ信じられない。仮に心臓がど真ん中にあったとして、医師にどうやって話を切り出すのだ?

 『先生、私は今月初めにマンデラエフェクトに遭ってしまったんです。クリニックや自宅にあった辞書や百科事典の中身が変わってしまったんです!躰の中身が変わってしまったんです!世界地図も有名絵画も微妙に変わってるし、亡くなったはずの芸能人が生存していたんです!心臓は、確かに左寄りにあったんです!』

 なんてどの口から発するのだ?健診先の医師や看護師は、自分がどのクリニックに勤務する医療事務で、看護師や職場環境まで知り尽くしている。

 もしも、医師が勤務先へ「健診時の発言により。精神鑑定を要すると判断し、専門の医療機関への診療情報提供書を発行致しました」などと報告されたら……?

 女は、自らの発言により波紋を広げ、勤務先の院長先生や看護師の信用を失い、30年以上も自分だけに任されて来た仕事を失い、路頭に迷い、老母や猫たちの生命の危機にまで発展してしまうかもしれない、そんな事態にはなってはならない、と全てがマイナス方向へと思考を引っ張られていた。


 女は、どうすれば自らが納得出来るだろう?と考えた。先ずは自らを落ち着かせたい。


 女は考えた。


 (健診先の先生に発言してもらおう。何とかして、先生の口から私に1でもいい。自然に話してもらおう)

 その考えが「引導を渡される」結果になるとは、その時の女には想像も出来なかった。



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