第14話 善行 その三
ダンジョンの出入口。虚空に浮かぶ穴。そこから澄まし顔で出てきた男が一人。
「……」
サポは言った。あの男こそが愚か者だと。ふわふわトレニャーの面々に対し、モンスタートレインを行った殺人鬼であると。
サポの言葉の真偽を問う必要はない。彼女が『そう』と言えばそれは真だ。何故ならサポはダンジョンの化身。ダンジョンにまつわる全てを把握している、システムそのものなのだから。
ダンジョンの中にいる時点で、彼女の監視から逃れることなどできない。ステータスを付与されている時点で、世界的のどこにいようと捕捉されることになる。
「……さて、私のマスター。これからあなたはどうしますか?」
──故に目をつけられた時点で詰み。ダンジョンという領域で、管理者にして神である伊織とサポの目に止まったその瞬間、愚か者の破滅は決定した。
「……」
ゆらりと、伊織は再び交番へと一歩踏み出した。人目があるため、サポの問いには答えない。だがそれは言葉にしないだけ。全ては行動で示すのだ。
「大沢君? どうした?」
「──ちょうど犯人が出てきました。顔と装備からして、間違いありません」
「「っ……!?」」
端的な報告。それによってふら兄と、控えていた警官の顔が強ばった。
殺人鬼が現れたのだから当然だ。この場にいるほとんどが、自らの意思で荒事に身を投じる冒険者ではある。だがそれでも、彼らは根本的な部分が平和に染まった、いや平和ボケした日本人なのだ。
モンスターと戦いはしても、同じ人間と戦ったことのある者はいない。そもそも想定すらしていない。だからダンジョンの外であるという一点だけで、彼らは警戒レベルはゼロに等しい。
故に不味い。相手は殺人鬼。この場にいる冒険者の大部分と異なり、自己利益と感情に従って他者を害することを厭わない者。状況次第では、平然とこの場でも暴れかねないのだから。
「……緊急、緊急──」
警官が無線に語りかける。犯人の男に勘づかれないよう、小声かつそれとない仕草で。
「……大沢君、どれがそうなんだ……?」
「アイツです。あのツーブロの男。カメラに写って……チッ」
思わず伊織の口から舌打ちが漏れた。ふら兄の問いに答えている途中で、犯人の男と目が合ったのだ。
別に騒いでいたわけでもない。あからさまに凝視してたわけでもない。ただ単に、相手に悪事を働いたという自覚があっただけなのだろう。
後ろめたいことがあるからこそ、つい臨時交番の方に視線を向けた。そして偶然にも伊織と目が合い、その近くに険しい表情の警官がいることを確認した。
「勘づかれましたね。仕方ない」
「え、ちょっ……!?」
伊織が動く。背後でふら兄の声が聞こえてくるが、それを意に介さずに移動する。
「……んだよ」
そして犯人の男の前で止まった。素早く状況を察知し、早足で立ち去ろうとした屑の行く手を阻むために。
「邪魔だよ。どけよ」
「嫌です。拒否します」
「ああ?」
不機嫌さを隠しもせず、男が伊織を睨んだ。威圧のため、そして逃走するためだろう。男はあからさまに伊織に敵意を向けていた。
「なんだよクソガキ! いきなり絡んでくるんじゃねぇよ!!」
「うるさいですね。騒いだところで、自分の首を絞めるだけですよ?」
男が声を荒げたことで、なにごとかと伊織たちに周囲の視線が集中する。
注目を集めたことで、男の表情はより一層険しくなった。それこそ、いつ伊織に危害を加えにかかってもおかしくないほどに。
「チッ……」
だがそれでも、最後の理性を振り絞ったか。それとも駆け寄ってきている警官たちを意識したか。舌打ちを響かせつつ、伊織を避けるように男が歩きだし──
「だから、逃がすわけないでしょう? 卑怯で卑劣な腐れ外道が」
──やはり伊織が立ち塞がった。
「テメェ! 本気でなんなんだよクソガキ!! ぶっ殺されてぇのか!?」
「うるさい。うるさいんだよ犯罪者が。できるものならやってみろ」
まさに一触即発。逃走を邪魔される形で絡まれた男はもちろん、伊織もまた不快感を隠そうともせずに敵意を放つ。
普段の伊織からは考えられない行動だが、それだけ目の前の男を嫌悪しているという証明である。
自分がどれだけ歯を食いしばって、したくもない殺戮に手を染めていると思っているのか。犠牲を呑み込んでいると思っているのか。
神経を逆撫でされた。逆鱗に爪を突き立てられた。不愉快で、不愉快で、不愉快で──。
「おい、なにをしている!!」
「チッ……!」
その瞬間、ついに警官たちが到着する。伊織と男の間に素早く二人が割って入り、さらに男の背後に二人。少し離れて左右に二人。完全に包囲する。
「んだよ!? 俺は別になにもしてねぇよ!! 絡んできたのはそこのクソガキだぞ!?」
「はいはい。分かったから熱くならない。ちょっと落ち着きなさい」
囲まれたことで怒鳴り散らす男に対し、警官たちは淡々と言葉を返していく。
暖簾に腕押し、糠に釘。そんな表現が当てはまるような対応に男は余計にヒートアップするものの、やはり警官たちは取り合うことなく包囲を続ける。
「キミも危ないことをするんじゃない。なにかあったらどうするんだ」
「失礼しました。僕のミスで勘づかれたので、最低限の責任ぐらいは取ろうかなと。幸いにして腕に自信はあったので」
「あのなぁ……」
伊織は伊織で、近くの警官に軽めの説教を食らっていた。警官が近くにいるにも拘らず、高校生が犯罪者の足止めを行ったのだから当然である。
伊織もそれを理解しているので、大人しく説教を受けていた。
「……はぁ。それよりも、本当にアイツで間違いないんだな?」
「ええ。間違いありません。顔もしっかり憶えていましたし、その後にも被害者グループが回していたカメラの映像で確認しているので、断言できます。あの男がモンスタートレインを行った犯人です」
顔を憶えていたというのは嘘。ふわふわトレニャーが回していたカメラに映っていたというのは本当だが、人相まで一目瞭然かというと否。しかるべき技術で解析をかければ、証拠にはなるぐらいにはボヤけていた。
それでも伊織は断言する。警官たちが動けるように、犯人を決して逃さぬように、サポから得た情報を『証拠』と扱われるよう言葉に変換していく。
「──おいふざけんなよ!! 俺はなにもやってねぇよ!! 証拠はあんのかよ!?」
「いいから来なさい! コラ暴れるな!」
伊織の言葉が聞こえたのか、それとも包囲していた警官たちから伝えられたのか。
騒ぎがより一層大きくなった。男が無理矢理にでも包囲から逃れようとしたのだ。
「ばーか」
こうなればもう勝ちだ。男は冒険者、超人の卵であり、ダンジョンから出たばかりで武装もしているのだ。
そんな状態で暴れ出せば、どうなるかなど明白。見事に男は、周囲の警官たちに取り押さえられ、連行されていく。
これにて一件落着。あとは取り調べを受け、そのままモンスタートレインの罪を追及されて終了だろう。
「ふざん、なぁぁ!! ハイドぉぉぉ!!」
「っ!?」
──だが思いの外、男は往生際が悪かったらしい。伊織が振り返った時には、すでに男は拘束から逃れていた。
「お前っ……!?」
恐らくスキルを使ったのだろう。ダンジョンマスターの力で検索を掛けたところ、【ハイド】は異世界の気配遮断や精神干渉魔法を掛け合わせた認識阻害系の斥候スキルと出てくる。
スクロール辺りで入手したであろうその力を使い、認識を歪めて強引に隙を作って脱出したのだと思われる。
「うるせぇんだよ……!! こうなったらもう知ったこっちゃねぇ!!」
そして自由となった手で、男は隠し持っていたソレを引き抜いた。
「さあ離れろぉ!! じゃねぇとぶっ殺してやる!!」
タァンッという破裂音。そして視界の中で異彩を放つ黒色の金属塊。──ドラマなどでお馴染みの拳銃だ。
「うわぁぁぁ!?」
「きゃぁぁぁ!?」
何故そんな物騒な物を、と伊織が眉を顰めるのとほぼ同時。周囲から悲鳴が上がる。なにごとかと注目していた野次馬たちが、ようやく事態を把握したのだ。
如何にステータスで強化されようが、銃の脅威には依然として逆らえない。音速で飛来する凶弾など、超人の卵には荷が重い。
それは警官たち、アマチュアである冒険者とは比べものにならないプロフェッショナルであっても変わらない。銃口を向けられているせいで下手に動けない。
彼らも対冒険者を想定しているだけあって、武装はしている。だが流石に銃が出てきたのは想定外だったのだ。これでは不用意な行動はできない。
素人が銃を打ったところで、マトモに当たるわけがないとはいえ。防具の性能を考えれば、急所に辺りさえしなければ致命的なことにならないとはいえ。
まだ人が多い現状では。パニックが広がっているせいか、避難が完了していない現状では。流れ弾の危険性がある以上、男が逃亡しないよう包囲を維持し、隙を窺うことで精一杯。
「はぁ……」
──だからこそ、伊織が動いた。
「オラッ、どけよ!! 大人しくどけよ!! 殺されてぇのか!?」
「──大人しくするのはそっちだよ。このクソ野郎」
音もなく、それでいて誰にも気づかれることなく駆け、男の死角に周り混んだ伊織が告げる。
「おまっ、いつ……!?」
「うるさい」
「ぎっ……!?」
男が振り向き、言葉を吐き出し終わるよりも早く。伊織は片手で男の腕を捻りあげ、破壊し、無理矢理に銃口を天井へと向けさせる。
「っ、がぁぁぁ!?」
「だから、うるさい」
そして〆。腕を捻ったまま、痛みで絶叫を上げる男を床へと叩きつけ、物理的に口を閉じさせる。
「不愉快なんだよ。二度とその口を開くな、このクソ野郎め」
これにて終わり。今度こそ一件落着。紆余曲折はあったものの、足掻きに足掻いた男は捕まり、怪我人はなくハッピーエンド。
「ふふ。お見事です、私のマスター。さあ、賞賛のお時間ですよ?」
「……はぁ」
──それを証明するかのように、宙を漂う妖精が慈愛の微笑みを浮かべていた。
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