第11話 亀裂
『お前のせいで彼が死んだ!』
『あの子を返して! 返してよ!!』
『なにが世界のためだ! お前なんかただの殺人鬼だろうが!!』
『目的のために誰かを犠牲にすることが、正義でなんかあるものか!!』
──声が聞こえる。名前も顔も知らぬ人々の怨嗟が聞こえてくる。
「っ……」
別に罵詈雑言を向けられたわけではない。ありもしない幻聴である。
たまたま身近で一つの破滅を知った。伊織の選択によって発生した不幸が、同級生に襲いかかった。その罪悪感から湧き出る幻。
サポは言った。伊織の苦しみは自縄自縛の産物にすぎないと。一種の自傷癖であり、贖罪という免罪符を欲しているためだけの自己満足でしかないと。
ただ己を正当化するためのパフォーマンス。聖人君子が抱くような高尚なものではなく、苦難を乗り越えようとする主人公のような純粋なものでもない。
全てはエゴに塗れた紛いもの。誰かに向けたものではなく、ただ自分自身を納得させるためだけに、見知らぬ大勢の不幸を自分事のように受け止めている。
『『『──代わりにお前が死ねばよかったんだ!!』』』
──だがそれでも。それを理解してなお、今だけは思わずにはいられない。この苦しみがパフォーマンスであるのなら、この無意味なはずの幻聴を止めてくれと叫びたい……!!
「……サポ。なんで僕はこんなことをやってるんだろうね……?」
「マスター……」
いつものように学校を終え。いつものようにダンジョンに潜り。いつものように人気のない通路を隔離し閉じこもって。
通路に腰を下ろしたらもう駄目だ。壁に寄りかかったまま、それ以上動く気力が湧いてこない。自分の足で立ち上がることができそうにない。
「ダンジョンマスターなんて役目を押し付けられて、まだ数カ月も経ってない。それでもずっと悩んできたし、苦しんでもきた。……そりゃそうでしょ。脈絡なく意味不明な代物を管理させられて、そこで毎日毎日どんどん人が死んでるんだもの」
死の瞬間を目の当たりにしているわけではない。ただ淡々と数字が増えていくだけだ。膨大な数、それこそ何万、何十万とカウントが進んでいくだけだ。
それがテレビ、ネットの向こう側の話ならまだよかった。毎年数えられる自殺者のように、または何処かで行われている紛争の被害者のように、縁もゆかりもない数字の増加なら全然構わなかった。
だが現実は違う。その数字は全て、伊織の管理下で増えたもの。例え押し付けられたものであっても、無関係を主張するにはあまりに近すぎるもの。
「それだけでもキツいのに、今はもう最後の言い訳すらできなくなってさ……!」
ましてや今や、伊織は自らの手でダンジョンを生み出し、そして手を加えている。
ダンジョンは押し付けられたものであり、責任は全て製作者に帰結する。そんな免罪符はもう通用しなくなった。
伊織は人殺しだ。大義名分のために犠牲を許容した悪党だ。どうしようもないロクデナシで、もう後戻りはできなくなった。
「家族の心まで踏みにじって、大勢の人を不幸に追いやって……!! 『世界』なんて大きすぎるものを背負わされて!! 僕がなにをしたっていうのさ!? なんでこんなことをしなくちゃならないのさ!?」
嘆きの言葉が溢れ出る。何故と叫ばずにはいられない。望まぬ役目、重すぎる責任、発生する犠牲。そうした全てが伊織を苛む。
歯を食いしばってあらゆるものを切り捨てて、その先にいったいなにがあるというのだ。──なにもないのだ。ただ同じような日々が永遠と続くだけなのだ。
終わりという名の救いはない。役目の終わりは全ての終わり。世界の滅び。だからその時がくるまで、伊織はひたすらに『必要な犠牲』を生み出し続けなければならない。
今日の一件で伊織はその事実を理解してしまった。改めて実感してしまった。知人ですらない、顔も知らぬ同級生の不幸ですらこれなのかと。この苦しみが未来永劫続くのかと。
「なんで、なんでっ……!!」
──だから揺らいだ。そして自己満足の自傷行為が致命傷をもたらした。
「私のマスター。もうすぐお時間ですよ。そろそろ帰りましょう」
「……慰めることすらしないんだね」
「ええ。だってマスターは強い人ですから。私が慰めるまでもなく、あなたは一人で立ち直って歩き続ける」
「できないよ! 前から思っていたけど、僕はそこまで強くない!!」
「では全てを投げ出しますか? 世界は滅びますが、私は別にそれでも構いませんよ?」
「っ……!!」
朝食をパンか白米のどちらにするかを訊ねるような、そんな気楽さを滲ませながらサポは終わりを提案した。
冗談、というわけではないだろう。恐らくここで伊織が頷けば、粛々と魔王たちに連絡を取って終末の段取りを整えるはずだ。
伊織にはその確信があった。唯一のダンジョンマスターが折れた時点で、この世界を切り捨てる方向にシフトすると。
何故ならサポは魔王によって生み出された擬似生命体。伊織の世界には、なに一つ思い入れもないのだから。
「……できないよ。そんなことできないよ……」
「でしょうね。あなたはそういう人ですから。優しくて責任感の強い人ですから」
「なんで……」
膝を抱えて項垂れる。投げ出すことはできない。自らの我儘に世界を巻き込めない。伊織にそれほどの身勝手さはない。
もう何度目か分からぬ問答だ。そして結論はいつも同じ。どんなに嘆き悲しもうとも、伊織は歯を食いしばって受け入れるしかないのだ。
まるで酔っ払いの愚痴のよう。うわ言のように日々の不満を吐き出して、それでもどうしようもないからフラフラと頼りない足取りで歩み出す。
「それができる時点であなたは強いのですよ。並の人間なら心が折れて投げ出すか、ゲームのように割り切る方向に舵をきる。全てを受け止める選択を取る者は少なく、その最高峰があなたなのです」
「なんだよそれ……。結局犠牲を出すのなら、割り切れる人間の方が強いじゃないか……」
「まさか。その手の人種は大きく二つに分類されます。自分のために割り切る者と、効率のために割り切る者です。前者は論外ですし、後者は効率を優先しすぎて必ず道を踏み外します。実際、選別の時はそうなりました。だから割り切る者は不適格なのですよ」
どちらがマシか、というあやふやな話ではないのだ。魔王たちによる選別という、確かなデータに基づいた結果なのだとサポは語る。
「人は感情で動きます。霊長などと奢っている癖に、一皮向けば獣と同じ。いえ、下手に知恵をつけているため獣よりも欲深く面倒くさい。──そういう種族を守るのですから、あらゆる感情を受け止め、呑み込める者が適任なのです」
「……そんなの、折れるでしょ」
「ええ。大抵は折れますね。でも極稀に折れない者がいるのです。それがマスターでした。……マスター以外にいなかったのは予想外もいいところでしたが」
「……なんなんのさ本当に……」
ボソリと付け加えられた呟き。それはあまりにどうしようもなく、なんとも情けないもの。
適任者不足であるが故のワンオペ体制。伊織が置かれた状況は、結局のところそれなのだから。
「──とはいえ、今の状況では鬱屈としたくなる気持ちも分かります。どんなに真っ直ぐで強靭な心の持ち主であっても、辛い役目ばかりでは嫌にもなるでしょう」
「……なにが言いたいわけ?」
サポの言動に不穏な気配を感じ、伊織が眉を顰める。
まるで子を導く親のような優しさ、穏やかさ。なにも知らぬ者ならば、あっさりと信じ絆されてしまうであろう慈愛に満ちた表情。
──だが伊織は知っている。彼女がこのような表情を浮かべた時は、得てしてロクでもない続きが待っていると。ダンジョンマスターとして有益であろう教導も、伊織にとっては喜ばしいものではないということを知っている。
「そう警戒なさらないでください、マスター。大したことではありませんよ。今のあなたに必要なものを与えようと思っただけです。おあつらえ向きの舞台もありそうですし」
「今の僕に必要……? いや、そもそもおあつらえ向きって?」
「はい。あなたは自らが背負うべき業を知った。ですがそれだけでは足りません。──功績には報奨を、献身には称賛を。これは人の世の理ですが、マスターには称賛が足りていません」
報奨はある。ダンジョンマスターとしての特権がそれにあたる。
ダンジョンの管理者権限は、伊織を救世主の地位に縛りつける鎖ではある。だが同時に、その気になれば巨万の富を容易く築くことができるだけの大権でもあるのだから。
「あなたに必要なのは称賛です。それに伴う名声です。他者から向けられる正の感情こそが、心の翳りを打ち払うのです」
「……いや、名声とかいらないんだけど……」
「そう言わないでください、私のマスター。別に名声を得るために悪事を働けと言っているわけではありません。むしろ、これからするのは人助けですよ」
「人、助け?」
「ええ。ダンジョンマスター云々を抜きにした、ただの善行です。ちょうどこのダンジョンで、愚か者が悪巧みをしているようですので、それを邪魔するのです」
そしてサポは微笑む。蹲る伊織に向けて、その小さな手を差し伸べながら。
「──今回ばかりは、なにがあっても気に病む必要はありません。正義は我にありです。なので存分に鬱憤を晴らしましょう。誰かに感謝されるのは、とても気持ちが良いことですから!」
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