第10話 誰かの不幸

 新たなダンジョンが世界に出現してから一週間。たった一週間で世界は大きく揺れ動き、その足音は少しつづ日常へと近づいている。

 その気配は誰もが感じていた。注意深く世界情勢に目を向けている者はもちろん、漫然と日々をすごしている一般人たちも、どことなく浮き足立った気配を放っていた。


「……隣のクラスの話、聞いた?」

「聞いた聞いた! 冒険者やってた彼氏のやつでしょ? マジで可哀想だよね……」


 伊織の通う高校もまた、その例に漏れず。

 前期の中間テストが迫りつつある今日この頃。それでもなお、テストよりもダンジョンの話題の方が優先される光景がまま見られた。


「──ねぇねぇ! 大沢君、ちょっといいかな? また訊きたいことがあるんだけど」

「んー?」


 昼休み。いつもの如く伊織が一人で弁当箱を突っついていると、唐突に声をかけられる。

 話しかけてきたのは光だった。どうにも見覚えのある展開に、伊織は箸を咥えながらパチパチと瞬きをした。

 先日の一件以降、光とはしばしば言葉を交わす程度には交流が深まっていたのだが……。そのせいでまた妙な話題を運んできたらしいと、彼女のまとう雰囲気で伊織はなんとなく察する。


「なに? また相談とかそういうの?」

「あー、そうじゃないんだけどさ。ちょっと気になることがあって。冒険者の大沢君の意見を訊きたいなーって?」

「そんなコメンテーターみたいなことしろって言われてもね……」

「駄目?」

「駄目じゃないけど……」


 正直な感想を言ってしまえば、断固として拒否したい程度には嫌なのだが……。

 それをすれば余計な波風が立ってしまうのと、『何故?』と訊かれたら返答に困るため、伊織は渋々ながらも了承した。もちろん表情には出していない。


「ただご飯中だし、血なまぐさい話題はNGだからね。そこは譲れません」

「あ、うん。私もグロいのは遠慮したいんで、そこは了解」

「じゃあ話して。なにが訊きたいわけ?」


 途中にささやかな抵抗を挟みつつも、伊織は傾聴の姿勢を取る。


「いやさ、なんか最近またダンジョン関係で騒がしくなったじゃん。ニュースでも中国がーとか、イタリアがーとかばっかりでしょ?」

「そうだね。あの辺りの国がダンジョン資源の独占反対、ってこれまで騒いでたわけだし。それが急に手のひらを返しはじめたせいで、残りの反対派がカンカンになってるとかね」


 さもニュースで聞きかじったといいたげな、どことなく他人事の雰囲気を放ちながら伊織は話を合わさていく。

 だが実際は違う。他人事どころか当事者だ。それも各国代表のような表の当事者ではなく、世界情勢が大荒れになるように仕向けた裏の黒幕、その二代目。

 初代である異世界の魔王たちは、特定の国にのみダンジョンを発生させることで世界を二つに分断した。

 そしてダンジョンマスターとして、魔王たちの役目を継いだ伊織は、同時に彼らの計画も引き継いだ。

 二つの陣営の片側、すなわちダンジョン資源の独占反対派の中核となる国々にダンジョンを発生させ、さらに分断したのである。

 格差は人を動かす原動力足りえる。そんなどうしようもない人の性を利用して、伊織とサポは国が率先してダンジョンに潜ることを推奨するように仕向けたのだ。

 事実、後発となった国々は、先をいく国々に置いつこうと必死にダンジョンに人を送り込んでいた。日本のように民間に解放したわけではないが、その代わりに大量の軍人を動員していた。


「まあその辺は、私もどうでもいいんだけどさ。なんかダンジョンが増えたのが原因か、いろんな部分で変化が出てるって噂があるじゃん。怪我人がすっごい増えてるとかなんとか」

「……みたいだね」


──そしてダンジョンにまつわる燃料が新たに焚べられたことで、比例するように死傷者の数が急増していた。


「それが本当かどうか気になったんだよね。で、冒険者やってる大沢君なら、なにか知ってるかなって」

「そう」


 知っている。知っているとも。どんなに素っ気ない反応で誤魔化そうとも、伊織がそうなるように仕向けた事実は変わらない。

 弱敵ばかりが出現し、それでいてワンランク上のアイテムがドロップするように設定されていた従来の設定、サポの語るところの『スタートダッシュボーナス』は終了した。

 現在の設定では、奥に進めば進むだけモンスターは強くなり、そしてモンスターの強さに比例したランクのアイテムが生成されるようになっている。

 この変化によって、多くの死傷者が発生している。言ってしまえば環境の変化であるために、適応できなかった者たちが淘汰されてしまっているのだ。


「まず結論から。怪我人が増えているのは本当。でも伝えきく話と、あと僕自身の体感を合わせると、そういう人たちは大抵が不注意が原因かなって思う」

「というと?」

「新しいダンジョンができたことがきっかけなのか、奥に進むにつれ強いモンスターが出るようになったんだよね。それと体感だけど前より稼げなくなった。だから前の感覚で奥まで進んだり、前と同じぐらい稼ごうとして引き時を間違えたっぽいんだよねぇ」

「……強いモンスターって、大丈夫なの?」

「んー、なんとも言えないなぁ。ただゲーム序盤の街でちまちまレベル上げしてたつもりが、調子にのってワンランク上のレベル帯の敵が出るところまで移動しちゃった、って雰囲気がするんだよねぇ」

「あー……」


 内心の苦しみはおくびにも出さず、それらしい表情でを憶測のように語っていく。

 怪我人、そして死者が急増している理由はこれだ。ダンジョンの変化を警戒せず、従来の感覚で行動したことによるしっぺ返し。RPG風に言えば、エリアの変化に気付かなかったことによるゲームオーバー。

 もちろん、根本の原因が伊織にあるのは間違いではない。だから伊織本人は、現状に対して深い罪悪感を抱いている。少なくとも、もっと分かりやすい形で人類に警告することはできなかったのかと、頭を何度も掻き毟った。

 ただダンジョンマスターの存在を、何者かの意思を匂わせるようなことを、サポが許さなかったのだ。

──まだ早いと。いずれ存在は勘づかれることにはなるだろうが、現段階で確信を与えるのは悪手。まだ疑惑レベルに留めておくべきだと、強い説得を受けたのである。


「……冒険者ってやっぱり大変なんだね。あの時、大沢君に止めてもらって助かったかも。そんなすぐになれるもんじゃないんだろうけど、準備途中でこうなったら私マジで泣いてたよ」

「あははは。運が良かったね」

「いや本当に。割とガチで感謝してます」

「いえいえいえ」


 だから伊織は警告することを諦めた。葛藤から目を逸らしながら、粛々と設定を有効化させた。

『この程度で負傷、死亡するような者たちは所詮ミーハー。マスターの決断に関係なく、いずれ不注意で脱落してたことでしょう。遅いか早いかの違いですよ』というサポの主張を受け入れ、無理矢理にでも己を納得させて。


「ところで、なんで笹原さんはこの件が気になったの? ぶっちゃけ関係ないよね?」

「あー、それね……。あんまり大きな声で言うべきじゃないんだけど、隣のクラスでちょっとね。大沢君は知ってる?」

「なにが?」


 わずかにトーンを落とす光に、伊織は不穏な気配を感じる。

 聞かない方が良いという予感はあった。だがそれと同時に、聞かなければならないという確信があった。

 だから続きを促す。表面上は素知らぬ顔を浮かべながらも、机の下では血が滲みかねないほどに強く拳を握りながら。


「私もマトモに会話したことない人だから、噂レベルでしか知らないんだけどね? 加藤さんっていう隣のクラスの女子の彼氏が、冒険者やってたらしいんだけど……」


 。それだけ伊織は察した。その加藤某という女子の恋人が、どうなったのかを察してしまった。


「昨日、ダンジョンで死んじゃったみたいでさ。──それで加藤さん、錯乱して後追い自殺をしようとしたんだって。なんかその彼氏とは幼馴染で、念願叶って付き合いはじめた矢先だったとかで」


 身近で発生した不幸。突きつけられた誰かの末路。その原因となったのは、伊織の決断。


『──お前のせいで。お前のせいでっ……!!』

「っ……!」


 顔も知らぬ少女の叫びを、憎悪と呪詛を伊織は聞いた気がした。

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