第9話 愛と平和

『──緊急ニュースです。昨夜、フランスで新たなダンジョンが発見されたという発表がありました。これにより、各国は自国内の再調査に乗り出したようで、未確認の情報ではありますが、ネットではさらにイタリア、カナダ、中国でもダンジョンが……』


 ダンジョンが発生してから一年と少し。初期の熱狂から、ようやく世間の熱が収まり始めた時期に追加された燃料。

 新規ダンジョンの発見という爆弾情報によって、世界はまた大きく揺れ動いていた。


『独占反対派の国々に新たなダンジョンが出現したことで、世界情勢は急転することになると専門家は見ています。また、新たなダンジョンが出現したことで、既存のダンジョンにもなにかしらの変化が出るのではと──』


 朝食を口に運びながら、伊織は流れてくるニュースに思いを馳せていた。

 結局、伊織は決断するしかなかった。救世主の宿命に従うことしかできなかった。

 自らの意思でダンジョンに手を加え、サポの助言をもとに世界に新たな爆弾を投げ込み、その結果が今。

 ここから世界はまた混乱期に入り、多くの人々がそのうねりに巻き込まれることになるだろう。そして多くの命がダンジョンによって失われることになるであろう。


「ダンジョンね。本当に勘弁してほしいわね。また変なことにならないといいんだけど……」


 伊織の母が家事をこなしながら、同じようにニュースを眺めて愚痴を零した。

 その内容は薄く、具体性もない。テレビの向こう側を対岸の火事としか認識しない、一般人の感想そのもの。ただ漫然と不安を口にしているだけだ。

 それが伊織には悲しかった。母と自分の間に横たわる、認識の差が辛かった。自分が一般人ではなくなってしまったことを、否応なしに突きつけられている気分だった。

 黙々と朝食を口に運びながらも、心はどんどん軋んでいく。心の内を吐き出すこともできない日常には、すでに安らぎというものが消え失せている。


「ねぇ伊織。やっぱり冒険者とかやめなさいよ」

「……急にどうしたのさ」

「ニュースよニュース。なんかダンジョンが変になるかも言ってたでしょ? なにかあったら危ないじゃないの」

「かもね」


 ここで危険性などないと断言できたら、どれほど楽だろうか。ついでにダンジョンマスター云々の話も打ち明けられたら、どれだけ心が軽くなるだろうか。

 素っ気ない相槌を打ちながら、伊織はそんな妄想を頭の中で浮かべていた。

 どうせ碌なことにはならないというのは分かっている。両親の人間性を疑っているわけではないが、それとこれとは話が別。伊織の大半の言動を肯定するサポですら、流石に難色を示すことだろう。

 ……いや、実際に示していた。伊織の妄想を読み取ったのだろう。母に知覚されることなく、視界の端で宙を漂っていた妖精が、その小さな首を何度も横に振っている。それだけ悪手ということなのだ。


「私のマスター。以前にも説明しましたが、他者にあなたの秘密を打ち明けることは推奨しません。──魔王様たちの試練を突破できたのが、全人類の中であなた一人だけ。その事実が全てを物語っています」


 伊織はなにも反応しない。母の目があるからという理由。だが同時に、サポの忠告に対する無言の同意でもあった。

 伊織が誰も頼れないのはこういうこと。ダンジョンの秘密を打ち明けられるような人間ならば、始めの選別もクリアできているはずだという悲しい理屈。

 だから実の母であっても、伊織の孤独は解決できない。地獄への道は善意で舗装されているという言葉のように、情愛は時として障害となってしまうから。

 すでに断絶は起きているのだ。伊織と残りの全人類の間には、決して埋まることのない溝がある。


「かもねってアンタ……。そんな他人事みたいな反応をしないでよ。お母さんは本気であなたを心配してるのよ?」

「知ってる。あれだけ言い合いになったんだから、ちゃんと理解してる」

「だったら冒険者なんて辞めてちょうだいよ。お金がほしいのなら、普通のバイトをすればいいじゃない。それでも足りないなら、お小遣いぐらいあげるから」

「お金の問題じゃないよ。こういうのは浪漫ってやつだから」


 心配する母を騙すためだけに、伊織は心にもない言葉を吐き出した。

 ダンジョンに浪漫など求めていない。むしろ嫌悪の情すら抱いている。なにせ『浪漫』という言葉によって、大勢がダンジョンに誘われ死んでいるのだ。

 始めから明確な誘引剤として設定されており、伊織自身も自らの意思で利用したばかりであるからこそ、吐き捨てたくなるほどに浪漫という言葉を嫌っていた。

 それでもこうして掲げなければならないのは、浪漫以外に両親を説得できる理由が見当たらなかったから。

『普通のバイトで稼げばいい』という正論が存在している以上、命懸けとされる冒険者を金銭目的でわざわざ選択する必要など皆無。

 よくある物語のような、ファンタジーなアイテムを必要としている肉親、知人も存在しない。

 だから浪漫でゴリ押すしかなかったのだ。どこぞの主人公よろしく、心の奥底に無限の冒険心が眠っていたかのような演技をするしかなかったのだ。


「浪漫なんて……。本当にどうしたのよ伊織。そんな子じゃなかったでしょう?」

「こんなことが現実になるなんて思ってなかったからね。フィクションと現実は別だって分かってたから、抑えてただけだよ。オトコの子の夢ってやつ」

「──でもアンタ、浪漫なんて言ってるわりに、ここ最近ずっと楽しくなさそうじゃない。むしろ苦しそうだって、お父さんも心配してるのよ?」

「……」


──これも親の愛というやつなのだろう。伊織の懸命な演技は、どうやら両親にはまったく通じていなかったようだ。それどころか、深い疑念を抱かせてしまっていたらしい。


「言葉に詰まったってことは、やっぱりそういう事なのね。取り繕ってもお見通しよ。……ねぇ、なんか私たちに隠してることもあるんでしょ? 冒険者って、そういうよろしくない人も多いって言うじゃないの。トレイン? とかいうモンスターの擦り付けとかで、たまに事件になってるし。そういう輩に目をつけられたりしてない?」

「……」

「それとも学校? イジメとかされてて、お金が必要とか? もしくは冒険者になれって強要されたりとか、なにか理由があるんでしょ? じゃないと、アンタの性格的に冒険者なんかなりたがるはずないもの」


 次々と挙げられる推測。息子を案じているからこそ、止まることのない疑問の嵐。


「マスター。これは……よろしくない流れです」


 サポが遠慮がちに告げる。伊織も苦々しくも理解していた。

 詰問の流れは止まらない。遅刻を理由に逃れようとしても、恐らく逃がしはしないだろう。学校も確かに大事ではあるのだろうが、それでも伊織の身の安全にまつわる話し合いを優先するに決まっている。

 息子の必死の演技を見抜き、演技の理由を追求する。それも全ては我が子を愛しているからであり、最悪の『もしも』がチラつく以上は決して引き下がることはないのだろう。


「伊織、本当のことを話して。一体なにを隠しているの? 私やお父さんに、全て教えてちょうだい」

「……」


 誤魔化すことは難しいと思われる。演技を見抜かれた以上、嘘もまた見抜かれると判断した方が無難。

 ならば真実を語るか──否。それはサポですら難色を示す悪手。腹を括るにはあまりにリスキーだ。

 ダンジョンマスターとして、世界を守ることは大前提。それに支障が出かねない選択はできない。選ぶことなどできるものか。

 バッドエンドは伊織だけに降りかかるわけではないのだ。人類全てが終わってしまう。そこには当然、伊織の両親も含まれている。


「……母さん、心配してくれてありがとう」

「話してくれるのね?」


 人類の未来と、母の愛。ダンジョンマスターの責務と、子を持つ親のとしての役目。どちらが優先されるかなど、悲しいほどに明らかだった。


「──ごめんなさい。本当に、ごめんなさい……」

「謝罪を言外の指示と判断。ご両親を対象に、思考誘導を行います」


──伊織は世界平和を免罪符に、親の愛を歪め踏みにじることを決断した。

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