第8話 踏み出す一歩、背負う業

「こちらがマスター用に設定した操作ウィンドウでございます。これを使って、ダンジョンの各種パラメーターを設定してみましょう」


 伊織の目の前に表示されたウィンドウ。予定されているダンジョンの大まかな看取り図と、その横に設けられた三項目。

 内容は『モンスター』、『アイテム』、『ステータス』。各項目をタッチすると、より詳細な項目と操作可能なバーが現れるようだ。

 子供でも分かるぐらいに簡単で、とてもゲーム的なシステム。見習いダンジョンマスターである伊織でも、簡単に操作できるようにというサポの気遣いが窺える。

──実に恐ろしいことだ。ゲーム感覚で人の生き死にを左右するかのようで、伊織は自身の胃が軋んでいくのを感じた。


「……本当にやるの?」

「嫌というのなら、私はマスターの意見を尊重しましょう。ですが、いずれやるべき作業ではあります」

「……」


 問題の先送りにしかならない。世界を背負い続けるのなら、ダンジョンの調整は必ず行うことになる。

 どんなに伊織が忌避感を覚えたとしても、無常な現実がいつだって立ちはだかる。運命が伊織を逃がさない。


「マスター。これはあなたの苦悩を理解した上でのアドバイスです。今はまだ次元エネルギーは許容範囲に収まっています。ですが、このままいけば必ずデッドラインに到達します。──ですので余裕のある時に進みましょう。犠牲はそちらの方が絶対に少ないのですから」

「っ……!」


 突きつけられた二択。感情に任せて問題を先送りにするか、歯を食いしばって取りかかるか。

 二択の結果は犠牲者という数字で現れることになる。感情を優先し背負う骸の数を増やすか、感情を犠牲に背負う骸を減らすかが焦点。


「……分かった。説明して、サポ」

「かしこまりました。マスターの決断に敬意を」


──そんなもの選ぶまでもない。自らの怠惰で流血を増やすなど、伊織にはとても受け入れられないのだから。


「では以前に軽く説明した点も絡めながら、望ましいパラメーターのバランスを解説していきます」

「お願い」

「まず大前提として、ダンジョンは次元エネルギーの消費を第一としたシステム及び施設です。消費、つまり様々な形でダンジョン内から次元エネルギーを放出することを目的としています」


 二つの世界を支えるダンジョンは、常に膨大な負荷がかかっている状態だ。

 二つの世界がぶつかれば双方が崩れ去る。つまり世界二つ分を滅ぼしてあまりある量のエネルギーが常に供給されていることであり、それを異世界の魔王たちと分割して伊織が消費に動いている。

 単純に半分と考えても、世界を滅ぼせるだけのエネルギー。一部はダンジョンの維持に消えていたとしても、それでもなおエネルギーは膨大。それも伊織の世界の技術では活用すらできない未知のエネルギーとなれば……。

 当然、マトモに消費することなど叶わない。故にこそ、ダンジョンのシステムを介して、様々な形でエネルギーを消費しているのが現状である。


「まずはモンスター。彼らは私と同じ擬似生命体であり、誕生と維持に次元エネルギーを消費しています。擬似的とはいえ生命を生み出しているだけあって、最弱設定のゴブリン一体でもかなりのエネルギーを消費してくれます。ダンジョンの主力ですね」

「生物ではないとは知ってたけど、サポと同じなんだ」

「はい。擬似生命体ですので区分的には同じです。純粋な生物として誕生させる案もあったのですが、そうするとダンジョンの支配から逸脱してしまうので没となりました」


 純粋な生物は欲求によって行動する。なので管理が難しい。次元エネルギーの消費という観点だけなら悪くはないのだが、管理者側の支配から外れるのはよろしくないと判断されたのだとか。

 対して擬似生命体はプログラムで動くAIのようなものなので、管理者である伊織やサポの命令には忠実だ。ダンジョンと繋がったいるため存在の維持が楽というメリットもある。


「次にアイテムです。これはダンジョンに人を呼び込むための餌であり、同時にモンスターを構成していたエネルギーの再吸収を阻止する役目があります」

「呼び込むための景品っていうのは分かるけど、再吸収の阻止?」

「はい。擬似生命体方式を採用した弊害ですね。彼らは物質として顕現していますが、あくまでそれは擬似。仮初の肉体であり、本質はエネルギーの塊です。なので討伐され肉体が維持できなくなった場合、処置を施さないと大変なことになるのです」

「た、大変というと?」

「物質の体をとっていたエネルギーが炸裂します。次元エネルギーなので既存の物理法則とはまた異なるのですが、とりあえず核兵器の上位互換的な破壊が巻き起こると思っていただければと」

「ひぇっ……!?」


 サラリと壮絶な例えを出され、伊織の顔が盛大に引き攣った。

 そこら辺を歩いているモンスター、それこそ最弱と呼ばれるゴブリンですら、それだけのエネルギーを秘めていると知らされたのだ。管理者である伊織も、いや管理者だからこそ顔も青くなるというもの。


「それではダンジョンが意味をなさなくなるので、再吸収か再利用の二択になります。で、再吸収はできる限り控えたいので、再利用先にアイテムが用意されています」

「なるほど」

「なお、アイテムの質と要求エネルギーは比例しますので、死体分で足りなければダンジョン側で追加しています。といっても、基本的には大した量ではありませんが」

「ゴブリン一匹の方が、伝説級のアイテム一個よりもエネルギーが多いんだもんね……」


 伝説に謳われる万病を癒す霊薬よりも、バット一本で仕留められるゴブリンを生み出す方がエネルギー消費量が多い。

 擬似とはいえ『命』であるゴブリンと、伝説級の力を秘めていても『アイテム』でしかない霊薬の差なのだ。

 言葉にすれば確かに頷きたくもあるのだが、心情的にはどうしても納得しかねるというのが伊織の本音。恐らく、全人類が抱くであろう釈然としなさであった。


「これはモンスターが主力となっている理由でもあります。表面的な人命を優先するのなら、モンスターではなくアイテムを生み出せばいいのですが、これだと途端にダンジョンがアイテムで埋めつくされ、最終的に入口から外界へと放出されます。伝説級アイテムの津波によって、確実に国が滅びることでしょう」

「前に言われたことは憶えてるから、釘を刺さなくていいよサポ……」

「それは重畳でございます」


 かつて伊織は、似たようなことをサポに訊いていた。モンスターではなく、アイテムを生み出すようにすれば平和的ではないかと。

 返ってきたのは否の言葉。似たような説明とともに『システムとはなるべくしてなっている』のだと締めくくられたのだ。

 事実それはそのとおり。大抵の物事には意味がある。一見して理解不能な現象であっても、視点を変えれば確かな理屈で動いている。

 ダンジョンなどまさにそれだ。世界中が血眼になって究明しようとしているダンジョンの謎も、管理者である伊織の視点では全てが明らかになっているのだから。


「次にステータス、及びスキル。これはモンスターの死体からアイテムを生成する際、どうしても発生してしまうエネルギーロスの受け皿ですね。それと同時に、常人でもモンスターを倒せやすくなるようにと、ダンジョン側からの支援でもあります」


 死体からアイテムを生成する過程で、微量の次元エネルギーが空気中に霧散してしまう。ダンジョンの破壊、または再吸収を防ぐために考案されたのがこの各種支援システム。

 霧散したエネルギーを集め、討伐者たちに付与魔法という形で押しつけるのである。

 そうすることで次元エネルギーの再吸収を防ぐのと同時に、より強力なモンスターを討伐できる実力者を増やしている。


「また、ステータスはダンジョンのシステムであるため、維持のためにも次元エネルギーが消費されます。一人では微量でも、塵も積もればなんとなやら。さらにはこちら側での行動把握が可能となりますので、とてもお得なシステムです」

「……プライバシーは?」

「考慮にすら値しませんね。大義はこちらにありますし、この程度で悪用もなにもというやつです。精々、意図的に特定人物の位置を把握するぐらいでしょう。マスターに備わった力なら、もっと色々できますよ?」

「しないよ?」

「あ、でも女性を対象にすれば、もう少し悪用の幅は広がるかもですね。ステータスを基点にして、いろいろと工夫すれば私生活を覗き見することはできるでしょう。ご要望であれば、容姿の優れた女性をピックアップいたしますが……」

「しないよ?」

「まあ、マスターなら高額アイテムで釣るか、そうでなくても力で相手を支配することぐらい容易いですしね。わざわざ盗撮のような迂遠な手段に訴える必要もないですか」

「だからしないよ?」


 平然と犯罪行為を列挙し始めたサポに、伊織は頭が痛いと眉を顰めた。

 救世主の運命を背負った伊織は、全ての行いが肯定されて然るべきと断言するだけはある。根本からして倫理観が違う。

 だがせめて、外見に相応しい言動は取ってほしいというのが正直な感想である。妖精とはいえ可憐な少女の見た目をしているのだから、性犯罪の類いを助長するような台詞は控えてほしいと思わずにはいられない。


「冗談はさておき。私たちの目的のためにも、ステータスによる人々の強化は必須です。だからこそ、魔王様たちもこちらの世界に合わせた魔法のカスタムを行ったのですから」

「無駄にゲーム的なのはそういうことなのね……」


 世間では『まるでゲームのようだ!』と騒がれているステータスやスキル。それはあながち間違いではなく、事実としてステータスには伊織の世界の、それも日本のゲーム類が参考にされていた。

 強化の具合は数値として可視化され、異世界の技能の数々は、スキルという枠組みで行使できるようになっている。

 実際はステータス云々はただの付与魔法であるし、スキルは各種技能の一部を睡眠学習の要領で無意識下に刷り込んでいるだけだ。

 つまりは仮初。ダンジョンからの供給が止まれば、その時点で与えられた力は機能を停止する。ステータスによって超人へと進化した人々は、いつだって常人へと堕ちるのだ。


「本当に怖いねぇ……」

「ご安心しください。私は、そして魔王様たちもマスターの味方でございます」

「分かってるよ。これはそういうんじゃない。コズミックホラー的な怖さだよ」


 世界中の人々が手のひら上。次元エネルギーを消費するためのパーツとして組み込まれていながらも、首根っこはしっかりと押さえられている。

 世界を守るという目的のために、全てを最大効率で巻き込もうとする計画性。そしてそれを形とする実行力。

 それが恐ろしい。敵味方の問題ではなく、それほどまでに強大な力の持ち主が存在していることが恐ろしい。

 理不尽な運命を押しつけられながらも、伊織に逆らう気力が微塵も湧かないのはこれが理由だ。

 あまりにも底知れないのだ。ダンジョンが崩壊すれば世界を滅ぼすという宣言が、嘘偽りと思うことすらできないほどに。だから伊織には反抗の選択肢が浮かばない。


「ふふっ。私のマスター。お忘れのようですが、あなたもこの世界の人々視点では、抗いようのない超越者なのですよ?」

「力だけはね。でも精神面じゃ超越者には程遠いよ。ダンジョンマスターなんて、僕には貧乏くじを押しつけられた中間管理職にしか思えないし」


 異世界の魔王うえの機嫌を損ねないようビクつきながら、人々したの面倒をみる日々。そして時には殺人という名のリストラ宣告もさせられる。

 与えられる給料ちからに見合った職務内容かどうかは人それぞれだろうが、少なくとも伊織にとってわりに合わないブラックな役目である。


「それでも力の有無は重要です。あなたはこの世界では明確な与える側であり、世界を動かす側なのですから」


 さあ、とサポが操作ウィンドウを伊織に近づける。台詞通り、世界を動かすための第一を踏み出させようとしてくる。


「今説明した知識をもとに、ダンジョンを調整していきましょう。現在は魔王様たちが設定したテンプレート、初期設定の状態ですので、新たにダンジョンを増やすついでにマスター流のカスタマイズをいたしましょう」

「か、カスタマイズ?」

「ええ。大丈夫ですよ。私もアドバイスしますし、ある程度のルールを理解すれば難しいことではありません」


 そしてサポは語っていく。ダンジョンに組み込まれたルールを、管理者側の思惑を。


「ルールその一。モンスターは段階的に強くしなければいけないません。何故ならダンジョンに潜る人間を強化していき、より強いモンスターを狩らせる必要があるからです」

「入口付近に強力なモンスターを配置しても、殺戮が繰り広げられるだけで無意味、と。モンスターが狩れなくなって逆に問題が出るってことね」

「YES! ですのでモンスターの配置はとても重要です。入口付近は弱く。そこから段々と強めのモンスターを配置していき、一定以上の強さは別の階層に隔離。基本的にはこれの繰り返しです」


 伊織たちの目的は人々を殺すことではない。むしろそれとなく導き、大勢を成長させることを狙っていると言っていい。


「ルールその二。ドロップアイテムの質と、モンスターの強さは比例させましょう。高品質のアイテムはそれだけ次元エネルギーを消費しますが、モンスターの生成には及びません。そして強いモンスターほど、より多くの次元エネルギーを消費します。だから強いモンスターを狩らせるよう誘導するのです」

「弱いモンスターからレアアイテムが大量に出たら、大勢がそれだけで満足しちゃうから、ってことだね」

「これまたYESです! 報酬は働きに見合ったものを。これはダンジョンだけでなく、あらゆるビジネスにおいても共通していますね」


 強いモンスターを狩らせるには、それに見合ったリターンを設定する。逆に弱いモンスターを狩り続けるせせこましい連中には、それに相応しい程度のリターンしか与えない。

 人々を無駄に富ませる必要性は皆無であるために、その辺りの設定はシビアでいい。楽をすれば稼げないが、努力すれば青天井。それぐらいの配分がベスト。


「ルールその三。ひと握りの夢を与えましょう。具体的には、ドロップアイテムや宝箱などに極低確率でレアアイテムを忍ばせましょう」

「……それで人を呼ぶと」

「またまたYESです! 人間は欲深い生き物です。ギャンブルがそうであるように、リスク以上のリターンがあると思えば人は動くのです。少なくともそういう人間が大勢いるのです。浪漫って便利な言葉ですよね」


 夢、希望、浪漫。そうした甘い言葉で人々を誘い、ダンジョンへと招き入れる。全員が引っかかるわけではないが、引っかかる人間もいる。

 実例が出ればなおことだ。そういう人間は考えなしだからこそ、自分もそうなると夢を見る。そうしてサイクルは完成する。

 母数が増えれば、それに比例して成功者は増える。まるで歯車のように回りだし、やがてその回転は周囲を、社会を巻き込むほどに大きくなる。


「これが大まなかルールです。長々と語りましたが、マスターの知るゲームのそれと変わりません。キャラに合ったレベルの敵とアイテムを用意するだけ。そこにひと摘みの夢を添えればいいのです」

「……」

「現在のダンジョンは、魔王様たちによるデフォルト設定。ダンジョンの存在を受け入れさせるために、生み出すモンスターは弱めにして、アイテムはワンランク上のものが出るようになっています。いわばサービス開始のスタートダッシュボーナス設定。──それをマスターの手で終わらせるのです」


 サポは高らかに語る。伊織が理解しやすいようにと、俗っぽい単語を織り交ぜ謳っていく。


「そっ、か……」


──その台詞を、その気遣いを今ほど苦々しく思ったことはない。主を想っての明るい言葉は、より深く伊織の心を切り裂いた。

 何故なら伊織にとって、これは辛く苦しい第一歩、血を吐くような選択なのだ。それなのにゲームのように語られればどうか。娯楽の延長のように語られればどうか。

 両手をさらに血で染める覚悟が、より多くの骸を背負うという決意が、まるで軽いもののようではないか。陳腐なお遊びのようではないか。


「──不満そうですね、マスター。私の演説はお気に召しませんでしたか?」

「……当たり前だよ。もしかして、分かっててやった?」

「もちろんでございます。私はあなたと繋がっていると言いましたよね?」


 だが妖精は、ダンジョンの化身は止まらない。世界を手玉に取るのと同じように、伊織の覚悟を転がしていく。


「これはまだまだ序の口です。あなたはこれから、いえ永遠に茨の道を裸足で歩むことになる。この程度の選択で、一世一代の決意を消費されては困るのです」

「っ……!!」

「さあ、私のマスター。理不尽によって、世界を背負う羽目になってしまった可哀想なあなた。私の愛しい人。今こそ成長の時ですよ」


 頬に添えられた手。玩具のように小さなそれは、だが確かな熱を宿して伊織の頬を──いや心を焼いていく。


「自らの手でダンジョンを変えることで、あなたは真のダンジョンマスターになるでしょう。与えられたもので四苦八苦していただけのあなたが背負っていたのは、あくまで仮初の業なのですから」


 伊織がダンジョンマスターとなってから、多くの人間がダンジョンの中で命を落としている。世界中のダンジョンのデータを読み込んでいた伊織は、それを具体的な数値として知っていた。

 深手を負い、ダンジョンの外で死亡した者たちも含めれば、さらに数は増えることだろう。

 伊織の背中には、それだけの骸が乗っている。世界を救うという大義名分のもと、それだけの人命が犠牲になった。

──だがそれは仮初、幻想であるとサポは断じる。何故なら今までのダンジョンは、異世界の魔王たちが調整した設定で運営されていたのだから。


「あなたが定めた設定、いやルールがこれからのダンジョンには適応されます。そうして初めて、あなたは自らの選択で人を殺めたことになる。大のために小を切り捨てた業を背負うことになる」

「ぅ、ぁ……」

「それは優しいあなたにとって、耐え難い苦しみとなるでしょう。仮初の業にすら呻いていたのですから、真の業となれば……」


 サポが静かに目を伏せる。言葉などいらない。ありありと想像できてしまうから。


「乗り越えるのです、私のマスター。あなたにはそれができる。夢の試練で覚悟を示し、選択を続け、なおその善性を喪わなかったあなたには! 透明な心を持ったあなたには、絶対にそれができるのですから!!」

「っ……!!」


 マトモな言葉は出なかった。伊織にできたのは、声にもならぬ呻き声で喉を震わせることだけ。


「──」


 ……だがしかし。だがそれでも──。

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