第7話 妖精型ダンジョンマスター支援システム 

──学校が終わり、放課後。伊織は今日もまた、ダンジョンで腰を下ろしていた。

 管理者権限によって隔絶した通路。誰にも認識されず、世界からも分かたれた空間で、人知れずダンジョンの維持管理作業に勤しむ日々。

 その背中はどこか草臥れ、まとう雰囲気も暗い。学生として振舞っていた和やかさは消え去り、あるのは果てしない憂鬱さのみ。

 それも当然だ。こうしてダンジョンにまつわる情報を浚っていくだけでも、否応なしに実感してしまうのだから。

 世界を背負っていることを、そしてダンジョンで多くの人命が喪われていくことを。その全てを突きつけられる作業など、憂鬱にならないはずがない。


「マスター。今日はとても素敵な一日でしたね」


──そんな伊織の憂鬱を晴らそうとしているのか。サポが作業を手伝いながら、おもむろにそんな言葉を口にした。


「素敵な一日? 特に変わったことのない一日だったけど」

「いえ。ご学友から感謝をされたではないですか。あのできごとだけでも、マスターの心は少し軽くなったのではないですか」

「まあね……」


 サポが話題に挙げたのは、昼休みに受けた相談のことだった。

 世界を支えるダンジョンの化身であり、伊織と存在が同期されているサポは、ダンジョンの外であってもその力を振るうことができる。

『世界』を支えているために、世界の全てに力を及ばすことができるサポにとって、外界で起きたことを把握することなどたやすい。

 だから彼女は伊織と話を合わせることができる。伊織の一日を把握し、同じ目線で共通の話題について語らうことができるのだ。


「でも、怒らないんだね。次元エネルギーの消費を第一とすべきダンジョンマスターとしては、冒険者を減らすような行為は褒められたものじゃないと思ってたんだけど?」

「一人ぐらいでは変わりませんよ。それよりもマスターの心の安寧の方が重要ですから」

「そう……」


 朗らかに笑うサポに対し、伊織は短く言葉を返した。

 肯定されたことは喜ぶべきなのだろう。サポは魔王側、伊織にダンジョンマスターの立場を押しつけた側の存在ではあるが、それでも伊織の意志を尊重してくれる。

 擬似生命という理外の存在でもあっても、彼女は間違いなく伊織の味方で、唯一の理解者である。


「ありがとう」


 だが、だからこそ。だからこそ伊織はサポの言葉を素直に受け止められないのだ。世界を背負う伊織の重圧を理解しているがために、彼女は伊織の大半を肯定してしまうから。

 伊織は昼の行為を偽善と思っていた。価値ある品で世界中の人々を惑わしているのが自分が、すでに両手が血にまみれている自分が、知り合いには危ない目に遭ってほしくないと動いたことが、醜いエゴではなくなんというのかと。

 世界を救うという大義名分はある。だが伊織の中にある良心が邪魔をするのだ。他者を害することは許されないという価値観が、自身を『悪』と断定してしまうのだ。

 だから全てが薄っぺらい。なにをやっても代償行為にしか思えず、自身の行為を肯定できない。ストレスだけでなく嫌悪感すら湧き上がる悪循環。


「マスター。あなたは本当に難儀な人ですね。分かってはいました。分かってはいましたが……」


 善人であるが故に止まらぬ自己嫌悪。噛み合うことのない運命と人間性。仕方のないことであり、逃れようのないことであるが、それでもあまりにも不憫でならない。

 藻掻き苦しむ伊織の姿は、彼を支えるサポですら嘆息してしまうほど。


「……なにが?」

「誤魔化しは無意味ですよ。私はあなたと繋がっています。マスターの心の動きだってお見通しです」

「サポ、プライバシーって知ってる?」

「私は擬似生命ですよ。マスターに分かりやすく言ってしまえばAIです。モノに心の内を覗かれたところで、なにを恥ずかしいというのですか」

「キミを道具扱いするのは、僕には難しすぎるよ……」

「マスターの善性は好ましくはありますが、そこまで気にする必要はないのです。道具として扱うにしろ、意思ある個として尊重なさるにしろ、私がマスターを支え続けることには変わりありません。あなたは私のマスターで、私はマスターの従僕なのですから」

「難しいなぁ、本当に……」


 ダンジョンマスターと、ダンジョンの化身。その関係性は絶対であると告げるサポに、伊織は困ったような笑みで誤魔化すしかできなかった。

 永遠に寄り添い、支え続けるという宣言。言葉にすれば愛の告白を連想させるそれも、裏にあるのは永遠にダンジョンに縛られるという呪いのような現実なのだ。

 可憐な妖精の甘美な囁きなのは認めよう。伊織とてなにも知らなければ、人外の美を宿すサポの言葉に溺れていたかもしれない。

──だが受け入れられない。受け入れるには、伊織はサポを知りすぎてしまっているから。そしてこの世の不条理を知りすぎてしまっているから。


「私の話はどうでもいいのです。それよりもマスターの心についてです」

「心、ね……。メンタルケアでもしてくれるのかな?」

「いえ。メンタルケアは不要です。あなたはそんなものは求めていない。あなたが求めているのは、罪に対する罰だけです」

「……罪か。やっぱりこれは罪なんだ」

「違います。あなたがそう思っているだけです。ただあなたは優しくて頑固だから、罪と思わないと誰かを害することができない」

「……」


 伊織は無言だった。心の奥底で、サポの指摘が図星だと理解してしまったから。


「そして罪には罰が必要です。でも誰もあなたを裁けない。あなたの存在を知らないから」

「名乗り出れば、法が僕を裁いてくれるのかな?」

「心にもないことを言わないでください。ダンジョンマスターに選ばれたあなたが、世界を背負う資格のあるあなたが、そんな愚かな選択をするはずがない。いや、できない」

「……」


 これまた図星だった。存在を明かすことによるデメリットが大きすぎるのだ。悪手はそのまま世界の存亡に繋がるからこそ、見えている地雷を踏みにいくことは伊織にはできない。

 そんな風に投げ出せる人間なら、とっくのとうに折れている。世界を背負う重圧に潰されている。


「あなたは責任感の強い人です。あなたはすでに、全人類の命を背負っているという自覚がある。そして多くの骸を背負っているという想いがある。だから誰かに裁かれるという未来は永遠にこない」

「……」

「ならば自分で自分を責めるしかない。あなたを肯定する私は不適格。かといって自殺を筆頭とした物理的な自傷行為は論外。──だから延々と心に澱を溜め込むことにした。それが自分に与えられる、いや唯一の罰だから」


 容赦なく、伊織の心の内が暴かれていく。湧き出る罪悪感も、その身を苛むストレスも、ただの自傷行為の延長でしかないと。自身を正当化するために行われる、愚かで醜悪なエゴの発露なのだと。


「私のマスター。これだけは勘違いしないでください。別に私は責めているわけではありません。そして止めるつもりもありません。あなたはそうして心のバランスを取っているのです。それを無理に止めてしまえば、それこそ精神に悪影響です」

「……そう、なんだ。止めないんだ。身体に悪そうなことをやってるなって、我ながら呆れたくなるけど……」

「もちろん、難儀な人だとは思ってますよ。ただそういうあなただからこそ、ダンジョンマスターの資格を与えられたのです。ならば否定なんてできるはずがありません」

「……その資格ってさ、具体的にはどういうものなの? ちょくちょく耳にはしてるけど、改めてちゃんと訊いたことはなかったし。この際だから教えてよ」


 それは伊織が前々から疑問に思っていたこと。何故、自分はダンジョンマスターに選ばれたのか。ダンジョンマスターとしての資格とはなんなのか。

 異世界の魔王曰く、夢を通して行った試練の結果だという。だがその試練の記憶は伊織の中に残っておらず、故に全てが謎だった。


「簡単ですよ。言葉にする必要もないほどに」

「つまり教えないってこと?」

「具体的な言葉は不要ということです。──そうですね。ちょうどいい機会ですし、少し実践をいたしましょうか」


 ふわりとサポが羽ばたく。伊織の真横で漂っていた彼女は、新たにウィンドウを表示しながら伊織の真正面へと移動する。


「溜まりはじめた次元エネルギーを消費して、世界に新たなダンジョンを構築しましょう。ついでモンスターとアイテム関連の設定も、デフォルトから変更してみましょう」

「それって……」


 やぶ蛇。そんな言葉が伊織の脳内をよぎる。事実、この流れは不味い。逃れられぬことであったとは理解はしていてなお、時計の針が進んでしまった感覚がある。

 忘れてはならない。受け入れてはならない。確かにサポは伊織の唯一の理解者であるが、決して隣で共に歩む存在ではないのだ。

 従僕でありサポーター。しもべとしてそばに侍り、サポーターとして役目を先導する彼女は、根本的な部分で伊織とは遠い位置に在る。

 伊織を支援する彼女は、ただの伊織の孤独と苦悩を解さない。

 もう戻れない過去の残滓として、先を見据えて切り捨てるように勧めてくる。


「ダンジョンマスターとして、一歩成長する時がきたということです。──大丈夫ですよ、私のマスター。心の在り方を自覚した今のあなたなら、絶対に乗り越えることができますから」


──妖精の囁きは、いつだって人を狂わせるのだ。

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