第5話 学生と、ダンジョンマスターと
「──で、あるからして……」
ダンジョンマスターであり、冒険者でもある伊織だが、本業と呼ぶべき立場は学生である。
故に日常の大半が学業で占められており、現在も実に真面目に授業に取り組んでいた。
「で、この英文は……」
四限の後半、もう間もなく昼休みという時間帯。クラスメートの多くが気もそぞろとなっている中、熱心に伊織がペンを走らせているのは理由がある。
成績が怪しいというわけではない。勉強することが好きというわけでもない。──ただこの学生としての時間が、伊織にとっては数少ない癒しなのだ。
「ここ、テストに出すからなー」
つい最近まで、伊織は普通の学生だった。そこからいきなりダンジョンマスターという肩書きが増え、更にそれに伴い冒険者という肩書きも増えた。
普通の人生が唐突に終わり、全人類の命を背負う救世主の立場を押しつけられた。永劫に続く苦難の日々が確定した。
だから伊織は日常を、学校生活を愛するようになった。学生の本分は勉強であるために、授業の間だけは自分の変化を忘れられるから。話題に挙がることはあれど、必ず授業の内容に戻るから。
もう戻れない『普通だった頃』を思い出し、仮初の日常に浸ることができる。だから伊織は真剣に授業に臨み、学生の時間を噛み締めているのだ。
「っと。もう時間だな。じゃ、号令」
「起立──」
チャイムが鳴り、教師が早足で去っていく。それと同時に、教室が喧騒に包まれる。
購買に急ぐ者。学食に向かう者。弁当を開く者。友人の席に向かう者。待ちに待った昼休みということもあり、それぞれが思い思いに行動していた。
そんな中、伊織は一人で弁当を広げていた。寂しい光景に見えなくもないが、これが伊織の日常的な昼食風景だったりする。
友人がいないというわけではない。ただ学食勢だったり、伊織とそこまで交流のなき部活仲間と食べてたりで、昼食の時だけは仲のいい面子と離れ離れになるのである。
「──ねぇ、大沢君。ちょっといいかな?」
「笹原さん? どうしたの?」
だが今日は違った。弁当を広げ、いただきますと手を合わせようとしたタイミングで、クラスメートの女子が声を掛けてきた。
笹原光。クラスの中心的な女子の一人で、ハキハキと喋りコロコロ笑う、活発で気持ちの良い少女だ。
「いやさー、実は大沢君に相談したいことがあってさ」
「……相談? え、なんで?」
誰かから伝言を頼まれたとか、その手の事務的な内容かと思っていたのだが、伝えられたのは伊織の予想に反するもの。
というのも、伊織と彼女の接点はそこまで多くないのだ。クラスメートとしての交流こそあるが、言ってしまえばそれだけの関係である。
大人しい性格からその他大勢に紛れがちな伊織と、視線と話題の中心にいるような光では、なんらかの理由がなければ会話自体が発生しないのである。
なので伊織はとても驚いていた。まさか相談を受けるとは、と。クラスメートであり、悪印象を抱かれているつもりはなくとも、クラスの中心人物である彼女に頼られる理由が見当たらないから。
「知ってるかどうかは……っと、その前に。お昼も一緒に食べていい? あんま時間かけてらんないしさー」
「……いつものグループで食べなくていいの?」
「それは大丈夫。もう伝えてあるから」
「あ、はい」
光のジェスチャーを目で追うと、彼女が所属するグループのメンバーに手を振り返される。承知の上という言葉は真実のようだ。
絶妙な距離感のクラスメート、それも異性とともに昼食を食べることに若干の気まずさを覚えるも、断る理由もないので伊織は頷く。……珍しい組み合わせからか地味に注目を集めていたため、断る勇気がなかったともいう。
「ありがと。で、相談なんだけどさ。大沢君が知ってるかどうかは分からないけど、私って色んなバイトしてるんだよね」
「あー。なんか、それっぽいことは聞こえてきたような?」
軽く記憶を浚いながら、伊織は光の台詞に相槌を挟む。確かに時折聞こえてくる会話を思い返すと、光はかなりのバイト戦士だった印象がある。
「バイトで凄い忙しいんだっけ?」
「そーそー。今は掛け持ちで三個。ファミレスとコンビニとピザ屋」
「それは、凄いね……」
「そこは慣れだよねー。やれば案外なんとかなるんだ……って、そうじゃなくてね」
「あ、はい」
「私が沢山バイトしてるのって、ちょっと理由があるわけよ。自分の遊ぶためのお金欲しさってのもあるんだけど、それ以上に貧乏なんだよね」
「へ、へぇ……」
サラりと伝えられた内容に、伊織はなんとも言えない表情を浮かべてしまう。
クラスメートの家庭事情。それも大した交流のない異性のそれを、昼食のついでのように伝えられれば反応に困るというもの。
どう返すのが正解か。他人と衝突することをできる限り避けるタイプである伊織にとって、ここからの先の舵取りは実に難問であった。
「っ、あははは! 大沢君、ちょっと真面目すぎだよ! そんな困った顔しないでってば。自分から話しておいて、そういう気遣い求めるとかかまちょじゃん。そんなんじゃないよ私」
「それは……よかった?」
「いやー、知ってはいたけど大沢君ってアレだねぇ。なんかホワってしてるよね。近所のワンコ見てる気分。なんか和むわー」
「ワンコ……」
「そーそー。The小動物って感じ。顔もベースは悪くないし、オシャレすれば癒し系男子って感じでモテるんじゃない? 私のタイプではないから断言はできないけど」
「最後の台詞いる……?」
「だって私、ちょっと影のあるタイプが好きなんだもーん」
「ア、ハイ……」
またしても伊織の顔に微妙な表情が浮かぶ。反応に困り、そして地味にショックだった。
恋愛とは無縁の日々をすごし、もはや望むことすら叶わない立場になったとしても。やはり伊織も健全な思春期男子なのだ。恋愛感情を抱いていない相手といえど、異性からの恋愛対象外宣言は辛いものがあるのである。
「で、話を戻すんだけどね。私、弟いるんだわ。ありがちな話なんだけど、弟の進学費用を頑張って貯めてるの」
「凄い。立派だね」
「まー、生意気だけど可愛い弟ですから。あとはやっぱり、両親だけに無理はさせられないし? 私の手を借りなくても、弟も大学に入れられるとは言ってんだけどね。かなり無茶しないと難しいってのは、娘目線からもバレバレでねぇ。かといって奨学金は……ほらアレって借金でしょ?」
「うん。将来的に苦しむことになるとか、わりと聞くよね」
「でしょー。そんなわけで、私も微力ながら協力してる次第でして。バイトと学業を両立してたんだけど……」
「けど?」
「バイト先、全部あと一、二ヵ月潰れちゃうんだって! 全部だよ!? こんな偶然ある!?」
「うわー……。それはちょっとキツいね」
「でしょう!? やってらんないよ本当に!!」
どうやらクラスの人気者の勤労少女も、学校の外では中々に苦労しているようだ。
大声で叫び、ヤケだとばかりに弁当をかき込むその姿に、伊織も自分の立場を棚上げして同情してしまう。
「まあ、そんなわけで! 稼ぎがなくなるのは、私としても凄く困っちゃうんだよ。いや本当に」
「新しいバイトは探さないの?」
「時給やシフトを見て検討、って感じ。ぶっちゃけ、ファミレスとコンビニはチェーン店だから、他の店にいけば即戦力って感じで雇ってくれるとは思う」
「なるほど。不幸中の幸いだね」
「まあね。それに、ちょっといい機会ではあるんだよ。バイトの掛け持ちは、やっぱり辛いものがあるし。減らせるのなら減らしたいわけ。……で、そこで大沢君に相談、てか質問があります」
「……ここで僕?」
「そ。実は前々から気になってたんだけどさ、私の周りで答えられるの、大沢君しかいないんだよね」
──だがやはり、世界でもっとも同情されるであろう立ち位置にいるのは伊織のようで。
「──単刀直入に訊くけど、冒険者って本当に儲かるものなの?」
上げたはずの棚は落下し、学生としての時間にまでダンジョンが侵食してきたのであった。
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